誰でもない人間
思えば、良い時代になったものだと思う。
教会の隅。チェルシーと腕を組みながら、ジルトは柄にもなくそんなことを考えた。
四年前は、当然個人の葬式など開かれることはなく、合同葬だった。黒焦げの死体はまだ良い。生焼けの死体は再度、彼ら彼女らの命を奪ったはずの炎に晒されて、骨も残らないほどに焼き切られた。王都は死体で溢れかえっており、どこにも埋めようがなかったからだ。
四年前、ジルトは幸運にもセブンスに拾われて命を取り留めたが、そうでなかったらと思うとゾッとする。王都では、毎日毎日、幾筋もの死体を焼く煙が立ち上っていた。
そんな地獄のような光景に比べれば、今ジルトが見ている光景は天国とも言える。死は悲しいが、見知っている人々に弔ってもらえるようになったのは喜ばしい。そう思ってしまうのである。
「しあわせなやつ」
チェルシーも、同じことを考えていたらしい。そんなことをぼそりと呟いていた。
今は献花の途中。膨大な参列者一人一人が、手渡された白い花を棺に入れていく。
すすり泣きが聞こえる。牧師はその人物に、死は始まりであるのだと諭していた。死は、始まり。その言葉は、なぜかジルトの背筋を凍らせた。
「あんなにいっぱい花を入れてどうするんだろうね」
「燃やすんだろ」
ジルトが答えると、チェルシーは目を丸くしていた。献花を終えたすすり泣きの主であろう人物が、自分の席へと帰って行く。今度はジルトが目を丸くする番だった。
「始まりだとはわかっているんだ……天国に行っても安らかに」
「泣いてるの親父だけだぞ」
「父様と呼べぇ」
「……」
袖でごしごしと目元を拭うのは、カイリ・マルクス財務大臣。冷めたようでいて労るような視線を送るのは、その息子のアントニーである。そして、カイリにハンカチを差し出すのは。
「パフェちゃん」
ジルトが思わず名前を口にすると、チェルシーがなぜか苦笑した。
「妬いちゃうな。わかっていても」
「どういう意味だ?」
「まだ教えたくない。それよりほら、前座を楽しもうよ」
「前座?」
ジルトが首を傾げた時だった。会場内にざわめきが広がり、前の方から男の声が聞こえた。
「なぜ私がぁ!? くそっ、くそくそくそ」
「お静かにしなさいな、狸さん?」
どうやら、献花の途中に何かあったらしい。
「くそっ、来るなっ!! やめろ、助けてくれ、どうして」
「予知は覆るのよ。昔同盟を結んでいたよしみで言うんだけど、今後本家に手を出さないと約束をすれば、命は助けてあげる」
その会話内容から、受付で揉めていた二人だとすぐにわかった。
「ほら、始まった」
声を殺して笑うチェルシーは、心底楽しそうだった。いや、そればかりでない。
くすくす、くすくすと、嫌な笑いが教会中から聞こえてくる。それはある人々に、波紋のように伝播していく。
「馬鹿な奴だ。早まりおって」
「だから、選ばれなかったのよ」
「よりによってこの場で殺そうとするとは」
嘲笑を浮かべるのは、真っ黒な瞳の人々。
「これが、魔法使いの一族だよ」
チェルシーが囁く。
「どんなに能力が優れていても、予知をできない者を無能と謗り、失敗した者を嘲笑う。これが、ダグラスの本性だ」
「……あの笑ってる人たちは、全部わかっていたのか?」
「勿論。彼らには、未来が視えているからね……さっきのフラウって女が言ってた通りさ。本家の二人を襲う依頼をされていた暗殺者が裏切って、ディアルを殺そうとするのを予知していたんだ」
「だからって、笑うことないじゃないか。性格悪い」
ジルトが苛立ち紛れに言うと、チェルシーはうんうんと頷いた。
「全くもってその通り。だから、高みの見物をしている方々にも、下に降りてきてもらう」
せっかく個人を弔いたいと思っていたのに、馬鹿な男のせいで台無しだ。なにより、これを想定していたであろう一族たちの嫌味ったらしい笑いが気に入らない。
フラウは、暗殺者に捕らえられて床に這いつくばるディアルを見た。才能に溺れて、自分を唯一無二だと勘違いした男。本家の椅子を狙っているのは、ディアルだけではないというのに。これが普通の葬儀だとでも、思っていたのだろうか?
「ほら、わかったなら、殺し屋さんと一緒に退場なさい。命だけは助けてあげるから」
あくまでもこちらが上であることは譲らない。それはディアルではなく、ディアルを嘲笑っている奴らへの牽制だ。
「くそっ、くそぉおおお!!」
ディアルは拳を握りしめ、床を叩いて項垂れた。これで前座は終わり。フラウの予知通り。
本当は、火葬後に墓地へ向かうところで本家の二人を殺す予定だったらしいが、面倒ごとは早めに片付けるに限る。だからフラウは、ディアルに殺し屋の存在を知っていることを匂わせ、ディアルが早計な行動をするように導いた。こうしてやり込めることで、ダグラス以外へのアピール……つまり、あの憎き公爵への牽制にもなるし。
ふと本家の二人を見れば、レオンの方は冷静にそのやりとりを見守り、ハルバの方は若干ディアルに同情の目を向けていた。そうだ、それでいい。ダグラスらしからぬ彼らは、フラウに好感を覚えさせた。
「あ、殺し屋さん。報酬の上乗せもするわね。期待してて?」
ディアルから離れつつある殺し屋の青年にウインクすれば、青年は頷く。つつがなく、暗殺劇は終幕を迎えようとし……
「日和ったものですね、貴女もーー殺れ」
皮肉げな青年の声が聞こえた。誰の声かはわからない。が、その瞬間、フラウの脳裏に視えたのは。
「叔父さん、逃げて!!」
ハルバが絶叫。フラウもディアルの元に駆け寄ろうとするが、時すでに遅し。
「助けて! 助けてくれ!! がッ…ア」
伸ばされた手は、ぱたりと力を失った。その図体に見合う、噴水のように吹き出す血液が、最前列にいる参列者と、本家の兄弟へと降りかかる。
フラウはぺたりと座り込んだ。自身も血を浴びていた。だからこそ、本物とわかった。
こつん。
靴音が聞こえた。フラウが顔を上げれば、警邏官の制服を着た彼が、彼女を見下ろしていた。
「お久しぶりです、フラウ伯母さん」
「貴方……誰?」
青年は、傷ついたような顔をしていたが、すぐに能面の様な笑みを浮かべた。
「エリオット・ノーワン。貴女達が、存在を認めてくれなかった誰でもない人間ですよ」




