一日前。しなくても良い苦労
潮風は、なんだかきらいだった。
「ガウナぁ! 早く早く!」
妹が、手を振っている。ぴょんぴょん跳ねて、よく疲れないものだと思う。
「こら、ルー。はしたないぞ」
「そうよ。少しはガウナを見習いなさい」
両親に嗜められて、妹は頬を膨らませる。
「まあまあ、良いじゃないか。子供は元気なのが仕事だ」
「それにしたって元気すぎますがね」
祖父母はそれを微笑ましく見守る。
家族写真なんてくだらない。ガウナは仕方なしに家族の方に向かって歩き出した。
「……」
何かに足をとられた。ガウナは派手に転んだ。
「だ、大丈夫? ガウナ!?」
「大丈夫だよ」
ここが砂浜で良かった。いや、もしかしたら砂にはまって転んだのかも。どちらにせよ、口に入ってくる砂は不快だった。
「さあ、撮るぞ!」
ガウナは妹に腕を取られて、ぶすくれた表情をしていた。が、カメラマンの表情を見た途端、笑顔になった。
「さん、にー、いち!」
その日撮られた写真は、家のリビングに飾られた。写真の裏には、とある言葉が綴られている。
それは、希望に満ち溢れた言葉。未来の彼に、送る言葉である。
腐敗臭が風に乗って、ラデイクの鼻腔へと到達した。
ラデイクはいつものように釣り糸を垂らしながら、ため息を吐いた。
「ヘッジ上等兵が正解だったということか……」
拙い水色と群青。幸せな家族写真。
殺された痛ましさを強調するかのような品々。それらに騙されることなく、彼らは一つの真実を見つけ出してしまった。
……知りたくなかった。そんな思いが過ってしまうのも、無理はないだろう。
ラデイクは、戦場にいてもなお人間の美徳を見つけることができた。
ラデイクが殺したあの敵兵は隣の兵を庇って死んだ。スピレード教官は少々自分のやり方に固執するところがあるが、兵士を死なせないことにかけては信頼できる。そしてあの後輩。あのくすんだ金髪の後輩は、諦めたような目をしながらも、時折思い出したように語ってくれる話は、家族の話だった。
これ以下はないと思われた戦場でさえ見つけられた美徳。その美徳を、あの魔女の家族にも見つけられると思っていた。
果たしてラデイクの希望はへし折れたわけである。淡々として事実を受け止め、猫と戯れていた男女には、驚愕を隠せなかった。どうしてそんなに平静なのかと聞けば、「いや、そのぐらいするだろうなと思って」や「わからなくもない話です」という言葉をもらった。
あの二人は、今日レトネアを発った。
ラデイクは釣りをやめて立ち上がった。
「ラデイクさん、客人は帰ったかね」
あの村の隣村に住む老人が、ラデイクの横に立つ。ラデイクは頷いた。
「貴方たちが、私を止めていたのは」
「あんたの希望を潰したくなかった」
祟られても知らない。その言葉は、ラデイクを真実から遠ざけるためのものだったのだ。
消えた王国海軍。ただ一人の生き残りこそが自分なのだと、老人は教えてくれた。
「トウェル王がここに来た理由を知っているかね?」
「……さあ、わかりません」
「英雄の餌を得ること、魔女を殺すことのできる聖剣を得ること。だが、そのうちの一つは叶わなんだ」
それまでラデイクに警告をし、遠ざけようとしていた老人は、いとも簡単に真実を教えてくれる。その答え合わせは、ラデイクの胸をますます痛めさせた。
「ワシが引き上げた短剣に、腕はついていなかった」
この王国には、海は一つしかない。
それが、王国南西にあるギリア海。新聞で見るそこは、青々とした水を湛えていて、海鳥がいて、美味しそうなご飯があって……。
チェルシーだって年頃の少女だ。好きな人と、素敵な土地に行って、素敵な思い出を作ることに憧れないでもない。
だが、彼女が海に行く意味は、勝者の凱旋である。
『一回会っただけの男を好きな人扱いするの普通に怖い』
自殺したご先祖さまが語りかけてくるが、チェルシーは気にしない。
『怖いっつーかキモい』
「……今すごく傷ついた」
ディーチェル家の裏切り者は男だったようで、チェルシーに時折こうして話しかけてくる。それはチェルシーが、正しくディーチェルの血を継いでいるという証である。
「だいたい、元はと言えば貴方のせいじゃないか。生きたいと願った貴方が、英雄のことを裏切ったから」
『うっ』
「自分以外のディーチェル関連の人間を殺させて、せっかく魔術を手に入れたのに自殺? 舐めてるの?」
『やってみろよ! すっごく罪悪感がヤバいから!! 俺はどっかの魔法使いや魔女とは違うの! 普通メンタルなの!』
「やる前に気付けばよかったね」
そう言いつつ、チェルシーは実は男に共感をしていた。王家やダグラスは化け物だらけ、その化け物に殺されないように力を欲しいと思うのは、わからなくもないのだ。
それに、この男のおかげで、エリオット(今朝の新聞で名前を明かされていた。おそらくジルトの仕業だろう)に“裏同盟”だけを信じ込ませることができたし、何もわからなかったチェルシーは今日まで生きてこられたのである。
『なあ、葬儀に乱入とかやめない? お前、頭おかしいよ』
「頭おかしいご先祖さまに言われたくないなあ」
『死んで自分のおかしさは十分わかったんだよ。なあ、チェルシー。お前を死なせたくないんだよ。だから、魔女に関わるのをやめろ』
「やめないよ。私はディーチェルのただひとりの生き残りだから。あいつらが欲しいものを奪って高笑いしてやるんだ」
『復讐は身を滅ぼすぞ』
たしかに、ご先祖さまは死んで「マシ」になったらしい。そんな正論を言うとは。
「英雄のことを、私に希望を教えた貴方がそんなことを言うの? 無責任だね」
『違う。お前に生きてほしかったんだ。地下室で手記を見つけたお前が、思いを無駄にしないように。それなのに、お前は前じゃなく後ろに歩き始めた。貧民街で眠り、物乞いをし、時に暗がりで“結界”を使って人を殺し、金を毟り取った』
「あいつらはクズだったからね、善良な女の子を襲おうとしたんだ。命と金くらい払ってもらわないと」
『積まなくてもいい屍を築いているのは、ディーチェルも変わらないんだよ、チェルシー』
諭すような声だった。自分のために、人に人を殺させた男は、まるで教会の牧師のようにチェルシーに語りかける。
『お前は、しなくても良い殺人をして、しなくてもいい苦労をしているんだ。ディーチェルがどうして公爵家に選ばれたか知ってるか? 才能があったからだよ、お前の有してる目利きだって、そのうちの一つだ。その気になれば、なんだってなれる。なのにお前がここにいるのは、かわいそうな自分に陶酔しているからだ。海を見たいから? 見ることはかなわず? 見に行かなかっただけだろう?』
「うるさい」
『自分を追い込めば、奴らに勝てると思っているのか?』
「うるさい!」
どうして今日に限って彼は意地悪なんだろう。どうしてチェルシーの思いを否定するんだろう。
「なんでそんなことを言うの……」
『通行人には、通行人の幸せがある。俺はお前に、生きていて欲しいんだ』
「この、偽善者」
言って、チェルシーは舌打ちした。声は聞こえなくなった。
「明日、全部終わるから。そうしたら、私は海を見に行くんだ」
暗がりの中で、彼女は呟いた。
「英雄は来てくれるよ。じゃないと、ディーチェルが報われない」
足元に置いてある白刃は、彼女の陰鬱とした笑顔を映し出していた……。
妹に腕を取られながら、ガウナはぶすくれた表情を浮かべていた。
「さん、にー、いち!」
父の陽気なカウントダウンが聞こえ、仕方なしにカメラマンの方を見る。
するとどうだろう、カメラマンである男は、火のように真っ赤な顔で、とある二文字を頻りにぶつぶつと呟いていた。
家族のために笑うなんてお笑い草だが、彼のために笑うことはできるかもしれない。
ガウナは、ファインダー越しに彼を嘲笑った。
ーー残念。死にはしないよ。




