I’ll wait for you until that day you’ll....me
ずぶ濡れになったルクレールが服を絞るのを見ながら、ミュールは首を傾げる。
「それにしても、海底? 一体誰が、そんなことを?」
「自殺でもしようとしたんじゃないのか」
実際、死ぬかと思った。暗い暗い、群青の海の底。急速に死を伝えてくる冷たさと息苦しさは、まさに自殺に相応しい。
「海底……」
何かを考えるようなラデイク。こんこん、と結界を叩き、再度家の中に足を踏み入れる。
リビングは無音だった。ルクレールとミュールが足を踏み入れていないからかもしれない。
「この絵だ」
彼が見ていたのは、水色と群青で塗り分けられた絵。
「もしもこれが、あの伝説をもとにしているのなら?」
「あの伝説?」
海といったらそれこそ、ギリア海の名称のもとになった伝説しか浮かばないが。
「そう、聖剣伝説だよ……海の化け物を倒したギリア王が使ったとされる、伝説の聖剣。これは空と海じゃなく、海面と海底を表しているとしたら、このゴミのようなものは、浮いているのではなく、沈んでいることになる。つまり」
一息おいて、ラデイクは言い放った。
「これは、聖剣を表している」
ラデイクは、ルクレールとミュールに夕飯を振舞ってくれた。
魚のフライを食べながら、ルクレールは「それで」と話を再開した。
「どうして魔女の一族の家に、聖剣の絵が置いてあったんですかね?」
「わからない。聖剣といえば、魔女の心臓を一突きする予定だったものだが」
「今は海の底。ギリア王に一回だけ使われた聖剣は、なぜか海に沈んでしまった」
こくこくとスープを飲んでいたミュールがその言を引き取る。
ここは、ラデイクの住処。ルクレールたちが逗留している都市部から少し離れ、また、件の村に近い場所でもある。
ただの釣り好きおじさんと言ってしまったが、先輩は先輩だった。質素な家の外観(あまり豪華にすると野盗に狙われる恐れがあるからとのこと)に反して、中は格式高そうな調度品で揃えられている。
さすが、野糞はしたくないと言って上官に殴られた男。結局野糞はしたが、その上官に便所というものの必要性を延々と説いてノイローゼ気味にさせた男である。お堅い貴族の性質は、さっぱり治っていないらしい。
その先輩は、優雅な仕草で顎に手をあてた。
「英雄アルバートの物語が、単なる箔付けでないとするなら。聖剣は、魔女にとってとてつもなく恐ろしいものだ。海に沈んだ聖剣を監視、ないしは回収して破棄することで、自分たちの身を守ろうとしたということが考えられる」
お人好しの先輩らしい考え方だ。ルクレールもそれに賛同したかったが、何かが違う気がする。
「ただ自分たちの身を守るためであれば、良いんですけどね」
そんなルクレールの気持ちを代弁するように、ミュールが呟く。
「聖剣伝説の逸話をご存知ですか? なぜ、聖剣は海に沈んだか」
ミュールは一旦フォークを置いて、くるくると空中に円を描いた。
「化け物が絶命する瞬間に、その足でギリア王の腕に絡みついたので、腕ごと引きちぎれた聖剣は、化け物と一緒に海に沈んでいったというのが、定説」
その次にナイフを手に取り、「はしたないけど」とつぶやき、魚のフライを一刀両断。
「逸話はこれです」
「ギリア王が、自分の右腕を聖剣ごと切断した」
ラデイクの言葉に、ミュールは頷く。
「聖剣は、人にはあまりにすぎた代物でした。ギリア王は、聖剣に魅入られるのを防ぐために、自らの腕を切断した」
「逆に、聖剣の力を利用して、復讐をしようとしていたとも考えられるわけだね」
ラデイクは、ミュールの言わんとしていることを察したらしい。あの男の先祖や家族なら、それくらいやりそうなものである。今度は、ルクレールはそれに賛同した。こうして裏があると考えると、妙に安心感が増した。
「聖剣を自分のものにしようとした、とすれば、あの結界を作ったのは魔女の一族ってことになるが……」
魔女の一族が善性であれ、悪性であれ、ガウナが現れるまで音沙汰がなかった。聖剣が彼らの手にあったのなら、とっくにアクションを起こしているだろう。そもそも、聖剣があれば虐殺になんか遭わなくて済むわけで。
「聖剣は海の底。もしかしたらもう、腐って使い物にならなくなってるかもしれないってこった」
幼いレオンがトウェル王に連れてこられたのは、王宮に複数存在するという隠し部屋だった。
「ここは?」
「数ある伝説の品々を収容している場所だ。君に見せたいのは、これだよ」
壁には、ある一本の剣が飾られていた。なんの変哲もない剣は、煌びやかな宝石や、黄金と比べると、異質と言えた。
「これは、聖剣だ。そして、この国の希望でもある」
レオンの肩に手を置いて、トウェルは囁いた。
「そして、君もまた希望だよ、レオン君。君は、獅子身中の虫となれる存在だからね。次期当主はカルキ、その次の当主は、君だ。だから、私はこれを君に見せたかった」
「僕に、家族を裏切れと?」
「そうだ。君のスピーチを聞いていてよくわかったよ。君は現実主義者であり、私の同類だ。知ったからには、利用せずにはいられない。この聖剣はね、獅子の腹を切り裂くための手段になり得るんだよ」
獅子。それは、帝国のことを指す。
「ですが、聖剣は海に沈んだはずです。どうして」
「引き上げたんだよ。魔術を使ってね」
「……」
絶句するレオン。無理はなかった。王自ら、異端であることを暴露したのだから。
「ギリア海近辺には、魔女の一族が住んでいた。私は帝国との戦争をやめさせた後、王国海軍を使って、とある村を制圧させた……なぜ村を制圧させたか知っているかい? 魔術は、他者が殺した魂を糧とするからだ」
悲しいことに、レオンは聡明だった。その光景をありありと脳内に描くことができてしまうほどに。
「魔女の一族と、村人を使って、とある魔術を敢行した。大規模な“抜け穴”を作って、そこに海軍を一斉投入させた。残念ながら、一人を残して死んでしまったが、成果はあった」
「それが、あの聖剣ですか?」
「そうだ。魔女から悪い心を取り除く魔法の剣。だが、それは誤りだ」
トウェルは、聖剣の柄を指でなぞった。それはそれは愛おしそうに。
「これは、握った人物を狂人へと変える剣だ。だから、殺人衝動に耐えられなかったギリア王は、自らの腕を切断した。その刃を、化け物から民へと向けないように。立派なことだね」
つまらなさそうに吐き捨てる。
「なぜ、それが、獅子の腹を切り裂く手段になるんですか?」
「それはね、この剣が、どんな人物でも殺せる剣だからだよ。ただし、条件がある」
「条件……」
「そう。条件だ。この条件は、ギリア王が怪物を殺したときにリセットされた」
「……英雄アルバートは、魔女を殺すまでに、百万もの民を殺した」
悍ましさに、声が震えた。レオンは、目の前の王を見た。
「貴方が、戦争をやめた本当の理由は」
「どこかの教育者気取りな参謀が、うまく立ち回ったから。共和国が帝国に攻めてきて、思ったよりも王国側の死者が望めなくなったから」
赤い瞳を細めて、魔女のなり損ないは嗤った。
「さきの戦争、王国の死者数は二十三万人。あと七十七万人が足りない。先代は本当に、決断力が優れている愚か者だ。さて、レオン君。我が国が帝国に与えた被害は?」
「死傷者数併せて、十万人です」
「そう、帝国は、私たちがどう足掻いても勝てない国だ。だが、あの血気盛んな獅子は必ず王国を攻めてくる。それならば、どうでもいい部分は食わせればいい。そして、知らずに聖剣の糧となってもらうんだ。そうすれば」
趨勢は覆り、王国は、最低限の血を流すだけで済む。




