聖剣
アルバートは、短剣をとりおとしました。
『だめだ、おれにはできない』
わるい心だけをとりのぞく短剣とはわかっていても、魔女の胸に剣をつき立てることは、アルバートにはできませんでした。
ですが、そんなアルバートのまごころにふれて、魔女の目はさめました。
魔女は、自分がきずつけてしまった人たちのことを思い、さめざめと泣いてしまいました。
ぱたん。
『英雄アルバート物語』の絵本を閉じて、リルウはベッドへと倒れ込んだ。
『ずいぶん美化してあるものですね』
リルウの中にいるお姫さまは、プンプンである。
「子ども向けの本だもの。悪いのは魔女にとりついていた何かってことでしょ? ところで、この短剣とやらは本当のことなの?」
『ええ、本当です。おばか……けふん、まっすぐなアル様が、あの魔法使いに騙されそうになっていたことも、短剣を使わなかったことも本当です』
「ふうん。その短剣はどうしたの?」
『本当なら鋳溶かして捨ておきたかったのですが、聖剣として崇められていたようです』
忌々しそうなセレス姫。ところで、このお姫様、さっき英雄のことを貶していたような?
『貴方があまりにも私に従ってくれないので、だんだん自分が恥ずかしくなってきました。心中こそ美学だと思っていたのですけれど』
「百年、いえ、四千年の恋も冷めるというものね。まあ、私のお兄様への恋は冷めないけど?」
『美しい棚上げです』
くすくす笑うセレス姫は、とても魔術の始祖とは思えない。とても、業火で二人を焼いた人物とは思えなかった。
『私もそれくらい強かったら……』
「仕様がないわ。私だって、あんな状況下にいたらお兄様との心中を選ぶもの」
『ありがとうございます。貴方は優しいですね』
「恋する気持ちはわかるから」
まさか、自分を心中コースに誘おうとするお姫様が、恋バナに乗ってくれるとは思わなかった。今ではすっかりリルウの話し相手である。と、リルウは、はたと気付く。
「短剣……」
『魔女の信徒』に行った時のことを思い出す。ジルトが取り出して、呆気なくクライスに蹴られたそれを。
「まさか」
『どうされました?』
「ねえ、聖剣って、どんなものだったの?」
レフェリア監獄は、王城の地下にある。蟻を踏み潰したエリオットは、ようやく放心状態から覚め、ガウナの言った通り、死を利用することに決めた。
「どうしたの? せっかく、本家の男を死なせることができたんだ。笑いなよ」
王城から出て少し歩けば、主要機関に勤める者の宿舎や、それに伴い発展した高級店の通りに出る。
珊瑚色の髪の少女は、ここではフードを被っていて、壁に体をもたれていた。彼女こそが、エリオット……いや、ダグラスの“裏同盟”の相手、チェルシー・ディーチェルである。
四年前、大火の直後、スピレードの元から消えたエリオットは、その才能を活かして警邏官となった。その任務の途中で、骨董商を名乗る少女と出会ったのである。彼女は、ディーチェル家に伝わるという古文書を見せてくれた。
そこには、ダグラスとディーチェルの利害の一致、そして、一般人が知りうるはずのない、英雄と魔女の結末が記してあった。『信じるか信じないかは貴方次第。だから、一ついいことを教えてあげる』。
それが、英雄の生き餌と呼ばれるガウナのことであった。本人はそれを知らないが、確かに彼は生き餌だった。おかげでエリオットは、ジルトを見つけることができた。
自分の中に流れる血が、あれは英雄だと言っていた。本当に待ち望んでいた英雄が見つかったことで、エリオットはチェルシーと正式に同盟を結んだ。
そして、今。
チェルシーが、ジルトに、聖剣を渡したのである。
……聖剣。
十三代前の王、ギリア王の時に担ぎ出されたそれは、元は英雄が使うことのなかったもの。それを、王国南西に現れた海の化け物を退治するためにギリア王が使い、死闘の末に化け物に勝利した際、聖剣は海に沈んだという話である。
しかし、それはレプリカだと、彼女は言う。
本物は、聖剣伝説の前に同盟を結んだディーチェルによって王宮から回収されたらしい。いつか生まれ出る英雄のために、ディーチェルは、骨董商に化け、聖剣の番人をしていた、とも。
「ジルトは、魔女を倒すよ。そうして、私たちの英雄になってくれるんだ」
その瞳は、きっとエリオットと同じ感情を浮かべている。すり寄ってきた猫を抱き抱えた彼女は、「おや」と目を見開いた。
「お前、私についてきたの?」
猫は一声。ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「お前も同盟に加わる? ん〜?」
「猫はダメです。猫は魔女の使いですから」
「狭量な男め。ジルトが猫派だったらどうするつもりだ」
「頑張って転身します」
言いながら、何を言ってるんだとエリオットは思った。英雄は見つかり、聖剣も彼の手に渡った。あとは、お誂え向きの舞台を用意するだけ、というのに。
猫を撫で回す彼女を見ていると、胸がざわつく。本当にこれで正解なのか? 何かを、間違えてはないだろうか。
果たして、彼の予感は的中していた。
「あの男、存外ヘタレだなぁ」
たんたん、たん。
チェルシーは未完成な踊りを踊った。猫をジルトに見立てて、くるくる回る。これは結界。どんな魔法からも、チェルシーの身を守ってくれるものである。
故に、あの男の予知も届かない。猫や、ラテラ、ついでにアントニー、そして、姿の見えているあの男のことは許しているから、そこに存在できるだけで、この結界は未完成ながらも、ほぼ無敵なのである。
小娘だったチェルシーには、多くの危険がつきまとった。けれど、この結界を利用することで、チェルシーは多くの人物の命を奪ってきた。残念ながらこれは魔術であるから、それは無意味な殺戮だったけれど。
「別に、英雄じゃなくても良いんだよ。英雄じゃなくても、私は貴方を受け止めるから……」
貴族の屋敷が立ち並ぶ通りを、長い時間をかけて歩き、チェルシーは、とある建物の前で立ち止まった。
「お嬢ちゃん、誰かに用かい?」
大雑把そうな門番に、チェルシーは微笑んだ。
「はい。呼び出して欲しい人物がいるんです」




