猫
テキトーな名前の所以です
その三家の始まりは、御伽噺の少し後。
魔法使いの一族はダグラスとなり、緑色の髪に緑の瞳を持つ王の弟はドラガーゼとなった。そして、それとは仲間外れで、二家より少し劣っていたのがディーチェルである。
このディーチェル家は、はじめは緩衝材として設けられた。英雄信仰のダグラス、英雄などいないと、王家から分離したドラガーゼ。英雄を信じる者と信じない者、ディーチェルはその間にいた。
そんな成り立ちだから、ディーチェルは姫の家系の王家と、魔法使いの一族のダグラスには毛嫌いされた。代わりに、ディーチェルを推したドラガーゼとは親交を持った。
皮肉なことに、英雄などいないと言い切った王弟が、彼らには一番英雄に見えたのである。
時は流れ、三家の成り立ちは曖昧になったけれど、ディーチェルのご先祖さま達は、いつか王家とダグラスに消されるという恐怖を抱いていた。だから、いつの代も身代わりを立てた。王家とダグラスを欺く身代わりを。あるいはラテラの家のようなところから、あるいは身内から。
秘密の地下室から脱出したチェルシーは、外の世界に胸を高鳴らせた。
真っ黒に焼け焦げた世界でも、それが彼女にとって、はじめて肉眼で見る世界だったから。はじめて日の光を浴びて、チェルシーはこう思った。
「海、海はどうなんだろう」
写真でしか見ることのできなかった海。ぴかびか光る、妹の瞳のような色の海。
その時のチェルシーは、希望に満ちていた。
「でも、そんなことはなかった」
チェルシーは、近くのゴミ箱に腰掛けて、足をぶらぶらと動かした。隠れていた猫が、あくびをして丸まった。
「未だに海を見ることはかなわず。後になって、家族の真意を知った。そして」
チェルシーは、自分の手のひらを見た。
「ご先祖さまが、別の意味で英雄に取り憑かれているのを知った。いつしか私は、心の中の恐ろしい声に従って、妙な力を使えるようになった。魔術って言うんだって。その力を使って、私はゴミ溜めで生きてきた。いつか、英雄に救ってもらうために」
「なんでお前は魔術とやらを使えるんだ? お前んちは、英雄とまったく関係のない家系だろ?」
三大公爵家の一角、ディーチェル家の出身だとチェルシーが明かしても、アントニーに動揺する様子はない。これなら大丈夫そうかな、チェルシーはそう思いながら、話を続ける。
「ご先祖さまの中に裏切り者がいたらしいよ。その人はダグラスに取り入って、魔術の存在を知った。そして、多くの人を犠牲にして……ラテラの家をはじめとする“身代わり”の人たちを使って、魔力を自分のものとした。本人によると、最後は自殺したらしいけどね。小心者らしい最後だ。さて、ここからだ。そんなにまでして生きたかったディーチェルは、さっきも言った通り英雄を求めていた。それが誰かわかる?」
「ドラガーゼ。王弟の子孫……でも、ドラガーゼは絶えたはずだろ? あ」
何かに気付いたような様子のアントニーに、チェルシーは笑った。
「そう、貴方のお友達だよ。私と同じく生き残った……賽は投げられた。私は、四年前の続きをする。ま、要は復讐だね」
ゴミ箱から降りて、チェルシーは遠くに見える美しい城を指さした。今度こそ、猫が毛を逆立てて、日の当たる方へと走っていった。
「あれは魔女の城だ、御伽噺の悪役。本当はアルバートと結ばれた、可哀想な女の子の城。でも、あの男はちっとも可哀想じゃない」
「あの男って、もしかしてクソ公爵のことか?」
「そう、ガウナ・アウグスト。地下に閉じ込められていた英雄の生き餌。アルバートが王であるならば、魔女の血を引く彼もまた、王族ということだよ」
「……なんてこった」
額に手をあて、アントニーは空を仰いだ。
「ジルトが英雄、クソ宰相が魔女、リルウ陛下がお姫様。ダグラスの誰かが来れば、御伽噺の完成じゃねえか」
「そうそう。誰かさんの存在理由の完成だよ」
アントニーとは真逆に、チェルシーはくすくす笑う。
「そして、ダグラスに種は蒔いてある。決して芽吹くことのない、出来損ないの種だよ。私たちを見捨てた一族にはお似合いの最後」
「全部を灰にしたいんだな、お前は」
壁に背中を預けたアントニーが、静かに問う。
「そう、でも、通行人は通行人だからね。貴方に話しておくのも良いと思ったんだ……私は誰も許さないつもりだけど、魔女に殺されるのはやぶさかではない。魔女のことは、かわいそうとは思ってないけど、おんなじ被害者だと思っているから」
「うーん、被害者ね……アイツが」
歯切れが悪いアントニーを放っておいて、チェルシーは貧民街の暗がりへと足を進めた。
「それじゃ、話すことは話したよ。覚えておいてほしいんだけど、貴方には何もできないと思ったから話したんだよ。現財務大臣の一人息子である貴方にはね」
アントニーは何も言わなかった。馬鹿そうに見えて、馬鹿ではない人種だ。自分が動けば、父親の立場が危うくなる。そんなことは、もう理解しているだろう。
ディーチェルは歴史の通行人だ。特別ないわれを持つ人たちに、勝てるとは限らない。だから、同じ通行人でも生き残りそうなアントニーに話した。
復讐はする。チェルシーを悪い子と言った両親と、愛してると言ってくれた妹のために。それだけが、今のチェルシーを生かしている理由だ。
「ね、だから」
チェルシーは暗闇でひとりごちる。
「早く来てよ、ジルト」
貧民街から抜け出した一匹の猫は、青年の腕に収まった。
青年は、自分と同じ真っ黒な猫の毛並みを堪能しながら、呟いた。
「彼女が全ての原因か」
穏やかな青年にしては、低い声だった。それを感じ取ったのか、猫が毛を逆立てて腕の中から逃げようとする。
「ああ、ごめんごめん。君を脅かそうとしたわけじゃないんだよ。聞いてきてくれてありがとう」
猫は、まるで意思が通じているかのように、「にゃあ」と一声。
青年は、北東の方を見た。今日はよく晴れているので、ラーナ・ナーヤ連峰がよく見える。
「どうして一人に救いを求めるんだろう。どうせみんな、大きな猫に食われるのにね」




