死は、早足でやってくる
これは、変えられないことである。
悲壮な顔をして、ハルバに応接室での出来事を話すジルトに、ハルバはそう言った。
彼は今、真っ黒に塗り潰された父の未来を視ているのだと言う。
「父さんの一世一代の“予知”だ。俺に覆せるわけないだろ?」
そう穏やかに語る親友は、苦笑していた。ジルトは、親友がどうしてこうも落ち着いていられるのかわからなかった。なにより、ハルバには同じ思いをしてほしくなかった。
逮捕されたからといって、死刑になるわけじゃない。けれどあの公爵のことだ、アゼラ伯爵の時みたいに罪状をでっち上げるかもしれない。告解は聞き届けられない。
その可能性がわかっていてなお、ハルバは落ち着いている。
ジルトには本心がわからない。だから、「どうしてそんなに落ち着いていられるんだ」と無神経なことは聞けない。
「綺麗な遺言まで残してさ。アップルパイか、なるほどね」
くくく、と笑うハルバは、なぜか嬉しそうだった。
「お前のお袋さんが作ったアップルパイ、そんなに美味かったのか?」
ジルトが訊くと、ハルバはうーん、と悩んだ。
「普通なんだけど、父さんにとっては美味かったんだと思うよ。俺たちの次に、父さんが愛していたものだ」
死は、早足でやってくる。
冷たい牢獄の中で、彼はその瞬間を待っていた。
やることはやった。公爵家としてのことはレオンがやってくれるだろうし、ダグラスのことはハルバが引き継いでくれるだろう。まったく、良い息子たちを持った。
「なにを、笑ってるんです?」
「いや、別に悪くないことだと思ってね」
檻の向こうに立つ不機嫌そうな青年を前に、カルキは自分が笑っていることに気付いた。そんなカルキに青年は、ますます眉間の皺を深くする。
「貴方がそんなに呑気だから、ダグラスの傍流は付け入る隙を見つけようとしたんです。本家が、役目を、果たそうとしないから……!」
握り込まれた拳。エリオットは、燃えるような瞳でカルキを睨んだ。彼が少年だった時の瞳とは、まったく違う瞳で。
「逆恨みであることはわかっています。けれど、私は貴方達本家が憎らしい。我々が欲しいものを全て持っていながら、それを利用しないなんて」
「英雄に取り憑かれたからこそ、四年前の悲劇は起きたんだ。ダグラスは、英雄から離れるべきだよ」
その方が、エリオットも幸せになれるだろうに。
かわいそうに、幹ではなく枝葉に生まれてしまった青年は、本家よりも英雄思想に取り憑かれてしまったのである。
「もう、戻れませんよ。魔女を討ち、英雄は復活する。そして」
「君も救ってくれるのか? 甘えるのも大概にしろよ。あの少年に何を背負わせる気だ?」
言葉が鋭くなってしまった。カルキはジルトのことを、英雄ではなく、息子の親友として訪ねていったのだ。そして、彼に会った後もその評価は変わらない。彼は、普通の少年である。
……魔女が嫌なら魔女になり、お姫様が嫌ならお姫様になる、そんな約束をしてしまう、少し優しすぎるきらいのある少年である。
まあ、そこがエリオットの琴線に触れたんだろうと思う。そして、あの女王陛下の琴線にも。
「また、死なせる気か?」
依存された英雄が、最後にどうなったかをわかっているだろうに。
「死なせません。私は愚かな魔法使いではないので」
魔法使いの妄執に取り憑かれた男が何を言うのか。カルキは、額に手をあてた。
分家からシリウス・スピレードの元に売り飛ばされ、“教え”を受けた青年は、その性質を開花させてしまったらしい。さっさとこの世をずらかった老人のことを、カルキは本気で恨んだ。そして少しだけ憐れんだ。彼は驚いたことだろうーー暗殺術にも長けたこの青年が、次第に英雄思考に染まっていくのを。
おそらくスピレードが彼を手放したのはそれが原因だ。英雄という他者を自身の中に作り上げ、勝手に洗脳を解き、勝手に他者に洗脳されたエリオットは、まさしく落第生というわけである。
この青年が、今までどこで何をしていたかはわからない。四年前の大火に乗じて、スピレードの元からいなくなったことはカルキも把握しているが、その後のことはわからない。最近ひょっこり、アウグスト宰相の元に現れた。
しかしなぜ、宰相の元に?
現れるとしたら、英雄と同じ瞳を持つジルトの元にではないだろうか。いや、そもそも。
「君が仕えているあの男は何者だ? なぜ君は、英雄になり得るジルト君ではなく、あの青年に仕えている?」
父が予知した、王宮地下に閉じ込められていた青年。それが、ガウナ・アウグスト公爵兼宰相の彼である。
彼は、大火に便乗して宰相となり、リルウ女王陛下の後見人として実質の王となった。
なぜ、彼は閉じ込められていたのか、カルキには、それがわからない……。
「すげ替える首は、軽い方が楽でしょう」
その時、怨嗟の瞳をしたエリオットが、初めて微笑んだ。
「魔法使いは、はじめは魔女信者だったんですよ」
「まさか……」
「ええ、とある人が教えてくれました。醜い姫の家系は、もう一つの餌を用意していたんです。それが、あの方の正体です」
知り得なかった王家の醜さが、また一つ露呈された。そこまでして、英雄を求めるのか。だから、彼は生かされていたのか。
「彼にとっては、当然の復讐というわけだな」
「ええ、そうですね」
などと平静に答えるエリオット青年。だが、カルキは気付いていなかった。彼が一瞬遠い目をしたことに。
死は、早足でやってくる。
だから、特別な名前で呼んでほしかった。ロクでもない家族がつけた、意味のない名前よりも、貴方がそれを見るたびに私を思い出すような、そんな名前で。
「あの男は舌、貴方は喉。命以外を捧げてまで、何を願ったの?」
口を開けば怨嗟の言葉。その裏にどうしようもなく救いを求める少女は、彼女にそう訊ねる。
彼女は微笑んだ。
……大切な人の幸せ。
どうか、私の主人が、お兄ちゃんに救われますように。




