全て、灰の中。
何目線で始めるか迷った。
ここには、良いものも悪いものもいない。
無邪気な少年の頭を撫でながら、男は自然と笑みを浮かべ、思ってもいないことを口に出した。
ここだけが、優しい時間、優しい場所。
だが、その優しさは、これから起こることに相応しくない。
男は役立たずの名前を出して、少年に言った。
『その子は、リルウというんだ。すまないが、一緒に遊んでやってくれないか?』
シリウス・スピレード死亡の報に接し、くすんだ金髪の壮年の男は、向かいの席に座る女に「どう思う?」と問うた。
「ジルト様はどうしてるのかなーって思います」
こいつに聞いた俺が馬鹿だったな……と男は額に手を当てた。それを見ていた女が、嫌々付け足す。
「先生のことは正直どうでもいいです。戦い方を教えてくれたのは感謝していますが、人を資源にしか見ていないのは虫唾が走るので。と、いうことを総合すると、十中八九、その記事は嘘です」
「だよなぁ」
あの男がそんな簡単にくたばるなら、四年前の自分は現財務大臣に泣きついたりしない。だが、アレが完全にはコントロールし得ない新聞媒体がスピレードの死を報道しているのは気になる。
獄死と書いてあるが、果たして本当に死んでいるのやら。
「死んでても、死んでなくても良いじゃないですか。大事なのは、あのドブネズミの枷がひとつなくなったという事実です」
「スタンスが違う必要悪を置いておけば、時間は稼げると思ったんだけどな。さっすが忠誠心のカケラもない大先生だな、待てができないとは」
「こっちを見ながら言うのやめてもらえます〜?」
駄犬の先生は駄犬だと言いたげな男に、紫炎色の瞳の女はむっとしながら言う。
「世間に死んだと思われた以上、あの人が表舞台に立つことはないでしょう。真偽はわかりませんが、先生を排した公爵の勝ちってところですね」
「まあ、そういう結論になるだろうな。さてさて、後任は誰になるのやら」
できればアレを止めることができる人物がいいのだが。そんなことを思いながら、男はこの地方の名物を口に頬張った。
久しぶりに来た公爵は、おっかない爺さんとの顛末を話してくれた。
「それで、戦争は一年後ということになったわけですね……アホかーー!!」
シンスは思い切り机を叩きながら立ち上がった。
「一年!? 一年て!! 今の日和った王国にそんなことできるわけないだろ!?」
「そう、だからこれは建前だよ。ところでシンス、お前の信者は何人いる?」
「唐突だな、えーと……ざっと三千人くらい?」
「王都の分は?」
「四百人くらい」
「四百人か」
考え込むようなガウナ。
「結構多いと思うぞ。数の力では英雄信者に勝ってると思う」
シンスがドヤ顔で言うと、
「いや、別にそこは良いんだけど」
と真顔で返された。心が傷ついた。
「何しに来たんだよあんた……」
「現状確認だね。あと、有益な情報を流してあげようと思って。これからは、戦争に便乗して王都の信者を集めるといいよ」
「はいはい、ありがとさん」
適当な礼をしながら、シンスは「こいつ、何を考えてるんだ?」と疑問に思う。
信者の数なんか聞いて、何をしようというんだ?
「ジルト君が、『魔女の信徒』はどこにあるのかって聞いてくるんだよ」
また、脈絡のない言葉が出てきた。おかしそうに笑っている。楽しそうで何よりだ。
「あのガキのこと、気に入ってんですか?」
「いいや、全然。ただし、あの目はよかった」
くすくす笑う藍色の瞳は、残酷な色をしていた。
「実はもう一人殺してるって言いたかったけど、やめた。簡単に潰れてしまっては、これから先の楽しみがないからね」
「舞踏会の時から随分甘々になりましたね。あんたを殺す英雄かもしれんのに」
「ああ、やっぱり知ってたんだ? そうだね、そうしたら、英雄信者もたくさん湧くんだろうね」
「なんで嬉しそうなの?」
英雄信者が増えるということは、ガウナにとっての敵が増えるということだ。それなのに、なぜか笑みを崩さない。
「それじゃ、僕は帰るよ。信者集め、頑張ってね」
「はあ」
言うだけ言って、満足したらしい。
「あ、ところで」
「なんすか」
「廊下に飾ってある絵、センスの欠片も無いね!」
「余計なお世話だよ!」
当たり前のように空間魔法を使って帰るガウナに、シンスはふつふつと湧いてくる怒りと共に呟いた。
「どいつもこいつも、絵をディスりやがって……絶対アイツは大成するんだからな、あとで吠え面かいても遅えからな」
あの男の性格を見る限り、逆張りが好きそうだから、これで絵は安泰。あとは、戦争の噂でどれだけ信者が集まるか、だ。
ガウナは王城にて、ひっそりと笑った。
胸ぐら掴んで、場所を聞き出そうとする少年の必死な顔。これは、簡単に殺したらつまらないと思った。ある意味、少年は彼らの命を延ばしたことになるが、被害者の数を増やしたことにもなる。
魔女の生涯は、引き算だ。
最初は村人。それから信者。それから……。次々と切り捨てて、最後に切り捨てたのは、英雄である。
奇しくもガウナは、彼女と同じ生涯を歩んでいた。
ただし、違う点が一つだけある。
“あの子”だけは切り捨てないことを、ガウナは決めていた。
金色の髪を夜風になびかせ、女王様は訥々と語る。
「四年前。父が何を考えていたのか、貴方にはわかるでしょう?」
その言葉を聞いて、スピレードは、四年前の自分が間違っていなかったことを悟った。同時に。
「貴方たちのクーデターさえ、父は計算に入れていた。父は、とても醜い心の持ち主だった」
紅い目をした少女は、偉大な父親と比べて罵られながらも、実はその父親に限りなく近い性質を持っていた。
「だから、あの炎はお兄様にとっての救いなの。そして、私にとっての救いでもある。真実は全て、灰の中。それでいいの」
「それで、女王陛下。貴方は無力な私に、何を望みますか?」
このための呼び出しだろう。四年前の続きを許してくれた女王様は、陶然として微笑んだ。
「とりあえず、アレリア監獄で死んできて」




