人材の墓場
この国は、醜いままに生まれ変わった。
脳裏に浮かぶのは、先生先生と慕ってくる明るい笑顔。
彼は、描きたいことが多すぎて、たくさん色を使ってしまう子だった。
貴族の妾腹で、スピレードの元に売り飛ばされてきた彼は、スピレードの洗脳的な教育とどんな化学反応を起こしたのか、絵を描くことに目覚め、当初は見せなかった笑顔を見せるようになった。
……ああ、“失敗”したな、とスピレードは思った。
彼が興味があるのは、帝国を倒せる人材。芸術は時として人の心を震わせるが、無用の長物というのがスピレードの感想だった。
だが、なぜか殺せなかった。だが、今になって思えば、やはり殺さなければならなかったと思う。
この国と同じ、彼は醜く生まれ変わってしまった。
パフェちゃんがカフェオレを飲み始めたのを見て、ジルトもコーヒーに手をつけた。
生きた心地がしない。
スピレードの言葉に流されないようにしていたら、彼をシリウス先生と言う不審な教え子らしき青年が現れた。それから、喫茶店の中の空気は澱んでいるように見える。
「それではジルト君、そろそろ行こうか」
「……え?」
そんな最悪な空気を払拭するかのように、スピレードは懐中時計を見て言った。
「あそこに行くまでの間、君には昔話をしてあげよう」
元内務大臣を警戒してか、王都は人通りが少ない。ジルトはパフェちゃんと左手を繋ぎながら、スピレードの跡をついていった。
近くに見え始めた白い外壁は、それを取り囲むこんもりとした緑と相まって、青い空に映えている。いい天気だ。ジルトは日の光に目を細めた。
「そういえば」
スピレードは、左手に持ったステッキを揺らしながら、なんとはなしに呟いた。
「君は、どうしてガウナ君と踊っていたんだい?」
「ぶーっ!?」
さっき飲んだコーヒーを出しそうになった。ジルトは袖で口を拭った。パフェちゃんが、心配そうな瞳で見てくる。ジルトは彼女に「なんでもない」と笑いかけた。
「ななな、何のことですか」
吃った。てっきりこの人にはバレていないものかと思っていた。
「喫茶店で言っただろう? 君はその瞳を持つ限り、誰かに縋られる運命にある、と。君は、君のお母さんそっくりだよ。姿も、生き方もね」
可哀想にね。
はっきりと告げられた言葉は、ジルトに反感を持たせた。右手を握りしめる。
「どうして、可哀想なんですか」
「ああ、彼女が可哀想とは思っていないよ。君が、可哀想なんだ」
なんだそっちか。ジルトは安心して、握りしめた拳を解いた。
「どのみち、君は可哀想だったんだよ、ジルト君。人の不幸を測るのは無粋だが、君が経験したのは“マシな地獄”だと、私は思うよ」
「それは、これから貴方のもたらす地獄と比較してですか?」
「そうだ」
……不自然なほどに速い返答だった。
「流石に気付いたか。そう、これから、私はあの日の続きをするんだ」
「続き?」
「四年前、私は愚かな王を裁こうとした。だが、それは炎によって遮られ、この国は、醜いままに生まれ変わった」
なんの変哲もない、王城へと続く道。ただし、門の前に立っている衛兵は、スピレードのことをまったく警戒していない。どころか。
「お待ちしておりました、シリウス先生」
「こちらにどうぞ」
恭しく一礼をして、スピレード達を門の中に導いた。
赤い絨毯を踏みしめる。スピレードは迷いのない足取りで、優雅に目的地へと向かっていた。
「皆、私の“教え子”だよ。これ以上、無駄に犠牲を出さないために、ルートを作っておいたんだ」
「侯爵邸での衛兵たちと、警邏官一人は?」
「彼らは“教え子”じゃなかったし、あれで死ぬなら兵としての価値はないよ」
価値。この人にぴったりの言葉だと、ジルトは思った。たぶん、この人の中で、その尺度がブレることはないのだろう。
ジルトは、一応聞いてみた。
「帝国から王国を守ろうとするのに、王国を壊すんですか?」
「そう。まずは、浄化からだ。膿を出し尽くし、綺麗事を除いたこの国は、良い子になるんだ」
ああ、わかった。ジルトは納得した。
ーーシリウス先生は、国にとっての先生になろうとしてるんだな。
人だけじゃない、人の集合体たる国まで、自分の“教え子”にするつもりなのだ。だから、“同じ”人間を育てている。不都合がないように。
「それでも、上手くいかなかった」
スピレードは大きな、大きな扉を押し開け、ジルトはパフェちゃんにぐいっと手を引かれた。
「……」
うっすら微笑む彼女には。
玲瓏たる声が、上から降ってきた。
「ようこそ王城へ。歓迎しますわ、国賊、シリウス・スピレード」
玉座に座るは、金色の髪に紅い瞳の幼き女王。喉元に刃を突きつけられながら、微動だにしない。玉座から少し離れたところにいる公爵もそう。ジルトのことを見つけたのか、複数の兵士に囲まれながら、ひらりと手を振ってきた。
ーー余裕か。
その行為に、ジルトは半眼になる。
「流石は、形ばかりでも王族だ。そうでなくては」
スピレードは頷き、ジルトに振り返った。
「よく見ておくんだよ。これが次の“教え”だ」
「殺すんですか」
「そうだよ。この国のために必要なことなんだ」
「代わりは?」
「うってつけな人物が、ここにいる」
ジルトの頭をひと撫で。そういうことか。ジルトはため息を吐きそうになった。
「まだ十四のガキを祀るとか」
「まだ六歳の女の子を祀ったのがあそこにいるよ」
「あれは例外ですよ」
「あんまり聞こえないけど、君たち結構酷いこと言ってるよね」
ガウナがわざわざ大声で突っ込んでくるのを無視して、スピレードは「そうだな」と考え込み、リルウの方を見た。
「両方殺そうと思ったんだが……陛下は生かしておいたほうがいいか」
「とても良い案だと思います」
「……ジルト君」
「はい」
「君、私を信じてないね?」
「……はい」
この瞬間にも、ジルトは彼を殺せると、信じていない。
踵を鳴らす音が聞こえた。
「どっちにしようかなって思ったんだ」
微笑む公爵は、一斉に下げられた刃先に目もくれず、嬉しそうにジルトの方を見て言った。
「最初から敵側として出迎えさせるのと」
人差し指を立てる。
「途中から裏切らせるのと」
中指を、立てる。
ジルトからは、スピレードがどんな表情をしているのかわからなかった。
「ガウナ君、君は」
「貴方の真似事をしてみました。ま、貴方のも、教育者の真似事ですがね」
取り囲んでいたはずの兵士が、ガウナを守るように、スピレードの前に立ち塞がる。後方からは剣戟と怒号、悲鳴が聞こえてきた。
「サイネル君も……」
「ああ、そんな名前でしたね。今はサム君ですけど。貴方が“見捨てた”サム君は、とっても役に立ちましたよ。見る目がないですね」
こつん。ガウナは、一歩一歩こちらに近づいてくる。パフェちゃんが、握っていた手を離した。
「待っ……」
「貴方の教え子は、僕の言葉で簡単に寝返りましたよ? 育てるのは上手でも、見る目がないんじゃ救われない」
彼は、哀れな老人を嗤った。
「貴方は本当に、人材の墓場を作るのがお上手だ」




