教え子
目の前の少年を見ていると、四人の人物を思い出す。
その灰色の髪からは、かつての彼の“教え子”を思い出し、その瞳の色からは、英雄と、強くあろうとした男爵令嬢を思い出した。少年の気質的には、やはり彼の“後継者”が思い浮かんだ。
アントニー・マルクスを助けたいという少年は、なかなかの変わり者である。だが、肝心な時に人の目を真っ直ぐ見る癖ーー自分で言うのもなんだが、自分のような危険人物の目さえもしっかりと見つめる癖は、好いと感じるものである。
そんな鮮やかな若草色を成熟したものに変えているのは、何なのだろうとスピレードは思う。それは、少年にとって良いものか、それとも悪いものなのか。スピレードにとっては、良いものに違いないのだが。
「さて、ジルト君」
少年が身構えた。まだ、彼は“教え子”の目をしておらず、猜疑心を抱いている。
「その子に、名前をつけてごらん」
「名前、ですか?」
少年は戸惑っているようだった。自分の隣の少女を見て、やはり、彼女と目が合っていた。そう、先ほどから名前のない少女は、頻繁に少年を見ている。これは良い傾向だ。
目の前の少年は、アントニーを救おうとするほどのお人好し。ならば、名前をつけさせて情を抱かせるのは有効な手段だろう。この少女を、スピレードと少年の繋ぎ役にする。
「え、えーと……」
「なんでもいいよ。その子の瞳にちなんで、シトリンでも良い。ペットにつけるような、簡単な名前でも良いんだ」
「ええーと」
たっぷりの沈黙。少年は、ちらりと少女を見た。
「君は、なんて名前がいい?」
「……」
「うん、そうか。わかった」
少年は頷いた。少女は何も喋っていなかったはずだが。
「パフェちゃんだね?」
少女の手元には、メニュー表が広げてあった。季節のパフェのパフェの部分を指差している。
「……シトリンじゃダメかい?」
我ながら良いと思うのだが、とスピレードが美意識を発揮して言えば、少年は首を横に振る。
「パフェちゃんで、ね?」
少女はこくりと頷く。少年に懐いているのが災いした。
「じゃ、パフェちゃんで」
「随分美味しそうな名前だね……」
「良いんじゃないですか。パフェが美味しかったんだろうし」
少年の空気は弛緩していた。なんと、まあ。
「どうして、君が名付けなかったんだい?」
「俺にネーミングセンスは無いってわかってるからです」
きっぱりと言い切った少年の瞳は、澄んでいた。
「そ、そうか……」
そういうこともあるのか。微妙に納得したような、しないような。
「それに、この名前なら、忘れられようがないですからね」
少年は、不思議なことを呟いた。
「難しい名前だと、忘れられてしまうから」
思い出し笑いをする少年は、案外手強い存在のようである。
なんて、スピレードが思っていた時。ジルトの内心は、冷や汗ダラダラであった。
ーーやっべ、名前つけるだけなのに緊張する。
トアヒェルのことがなければ、安易に少女に名前をつけていた。名前の重要さを知ってて良かった。いやだからって、パフェちゃんはどうかと思うけど。
ちらりと横を見れば、少女改めパフェちゃんが、ある一点を、警戒心も露わに見つめていた。つられて見ると、そこには、あの絵を持ってきた貴族の道楽息子らしき男がいた。
彼は、虚ろな目で笑った。
「お久しぶりです、シリウスせんせい」
「おや、誰かと思えば」
スピレードが、彼を見て少し微笑んだ。ほんの少しだけ。
「久しぶりだね、サイネル君。元気だったかい?」
「ええ。おかげさまで」
どうやら知り合いらしい。彼も“孤児院”出身者なのだろうか。
「あの絵は、君が描いたのかな? 随分画風が変わったね」
「はい。とても素敵な出会いがありました。せんせいと同じくらい素晴らしい方です。私は、とても幸せです」
病的なまでの笑顔。スピレードが表情を一瞬固くした。
「サイネル君、君は……」
「ああ、また絵を置きにいかないと。さようなら、せんせい」
「……」
今度は、明らかに、スピレードが拳を握りしめた。
さて、スピレードの“教え子”たるサム青年は、馬車の中でがたがたと震えていた。
「わ、私は、私は、なんで、でも、僕は、シリウスが邪魔なんだよ。殺したいとさえ思っている、あは、はははははっ」
がたがたと震えていたかと思えば、突如笑い出す。彼は、自分のことがわからなくなっていた。
「シリウスせんせい、助けて、また、私はいらなくなってしまう。でも、僕には君が必要だ。大切な、“引き算”だ……」
誰かの言葉を口に出すたびに、サム青年の瞳からは光がなくなっていく。
「“せっかくジルト君の驚く顔を見れたっていうのに、彼にはどんな罰が似合うかなあ、ね、サム君?”」
適当な鼻唄を歌いながら、手を動かす。
画布に赤を塗り重ねる。主題は炎ではない。“彼女”が都合よく捉えている三人の最期。
静謐な時間が流れていた。完成した絵を見て……銀髪の公爵は、微笑んだ。
サム君はsubstituteが由来。




