必要悪
アントニー君のクズ発言の所以
手練れだった。
たいていの人間はその場のナイフで事足りたが、彼と、数人の男にだけは、魔女の“加護”つきの小刀で応戦して、辛くも勝利した。
彼は、あの場においては一番強い人物だと言って良かった。その近くにいた女は、男と違ってあっさり仕留めることができた。トドメを刺そうとしたら、動けないはずの男が、女を庇うように覆い被さった。
ガウナはその死に損ないを、とりあえず滅多刺しにして殺した。“加護”つきの小刀で。
あの言葉は、男が死する時に言った言葉である。人間というのは意外と律儀な生き物で、その時に興味がなかったとしても、きちんと覚えているものだ。
後に愛を知ったガウナが、魔女の狂おしい言葉を思い出したように。
優しいあの子が“加護”つきの小刀を抜こうとしていた死体が、最後に言った言葉が、ガウナの心に蘇り……そして、あの子以外の世界が色づいた。
そうだ。
『シルヴィ、愛してるよ』
そう言っていた。
あの少年と同じ、灰色の髪の男は、たしかにそう言っていたのである。
ジルトがアントニーとのやりとりを話すと、ハルバは「良かったな」と言ってくれた。
「俺も視てたんだけどさ、あのバカ息子怯えてなかったか? お前何したんだ?」
「いや、なにも?」
本音をぶつけただけだ。そっくりな目がどうとか言われたが、それは忘れたい。
「それにしてもハルバ、お前、アントニーさんにアタリ強くないか?」
「ん? ああ……まあ同族嫌悪って奴だよ、気にすんな」
「もしかしてお前も、女性関係で……」
「いや、そういう方向じゃなくて」
どういう方向なんだろう。
「まあ良かったな! アドレナさんにも報告しとけよ!」
「おう!」
これで、明日の新聞各社が何を報じるかだ。ガウナに主導権が戻ってしまうのは癪だが、アントニーの命と……殺されないことと引き換えれば、安いものである。
どうか、アントニーが諦めてくれますように。もうこれ以上、血が流れることはありませんように。
バルに入ってきた女は、澄ました顔でアントニーの隣に立った。良い女だ。だが、さっきからずっとアントニーのことを尾けてきていた女である。
酒を飲みながら、アントニーは横目で女を見た。
店を出たらいいのか、それとも出ない方が正解なのか、アントニーにはわからない。
「なぜ、今日は新聞社に行かないのですか?」
静かに問う女。アントニーはその言葉から正体を察した。彼の犬である。そういえば、そんな目をしている。
「スピレードか」
信用ないな、とアントニーは自嘲した。
「おっかねえ奴に脅されたんだよ。余計なことはするなってさ」
「約束が違います」
アントニーは、女が持っているハンドバッグを見た。あれはいけない。きっとやばいものが入っている。パンパンに物が詰まってそうだし。
だが、動揺したら負けだ。アントニーは冗談を言うように笑ってみせた。
「お前もあんな目に晒されてみろよ。小便ちびっちまうぜ」
「あの喫茶店で、烏と話していた少年ですか」
「そこから見てたのかよ」
頷く。俺の寿命もここまでだったりするのか?
せっかく酒の力を借りて、あの女どもを振ろうと思ってたのに。
アントニーはそんなことを思いながら、酒をぐびぐび飲んだ。もはや自棄である。
「俺はお役御免ってか、ああ!?」
一丁大暴れしてやれば、最後の悪あがきにでもなるだろうか。アントニーがそんなことを思い始めた、そのとき。
静かな店内に、一陣の風が吹いた。
どさっ、と女の鞄が落ちる。重く鈍い音がして、女の押し殺したような悲鳴が聞こえた。
助かったのはわかっていたが、アントニーは、顔面を蒼白にしながら、女の傍に立つ人物を指さした。
「お前、なんで……!?」
「偶然です」
女の腕を捻りあげながら、公爵の従者は言ったのであった。
クライスによれば、ことは三日前に遡る。
ジルトと喫茶店で世間話をさせられている時、アントニーの後に入ってきたのが、今現在床で伸びている女だという。
「犯人候補である貴方を殺されるわけにはいきませんから」
店主に言いつけて持ってきた縄で女をぐるぐる巻きにしながら、クライスが言う。その手際の良さに、アントニーはひきつった笑いを浮かべていた。
「俺を殺すんじゃないのか?」
「ジルト様に脅されたんでしょう。会話は聞かせてもらいました」
「はぁー……」
どいつもこいつも。アントニーはため息を吐いた。
「俺は取るに足りない存在ってか。財務大臣のクソバカ息子は命を獲るにも値しないってか?」
「ご不満ですか」
「別に。不満じゃねえよ」
生きてりゃ万々歳。アントニーは嘯いた。
「にしても、喫茶店の時から思ってたが、ジルト“様”ねぇ。あんなガキに敬意払ってんの?」
「小便を……」
「比喩だよ! 大真面目に言うな!」
さっき女に言ったことを掘り返されそうになり、アントニーは急いで反論した。聞こえてないかもしれないが、よっこいしょと座り込み、女の耳元で囁き、立ち上がる。
「何を話していたのですか?」
「お前らに得になること。こいつの目が覚めてたら、自白してくれるよ」
「そうですか。では後で聞いてみますね」
「……は?」
「“孤児院”出身者は、こんなことで気を失いませんから」
出た。“孤児院”。偽善者の女が元いたところ。
正直言って、アントニーはあの孤児院が燃えたことを、因果応報なものだと思っている。
「人はそんなに変われないと俺は思うよ。国だってそうだ。この国は、真っ暗なままだ」
「それは否定できません」
「綺麗事じゃ、世界は回せない」
「だから、お父上を降ろそうとしたのですね」
「更迭ならまだ良いかと思ってな」
当然のようにアントニーの心中を察しているクライス。
「あの女が育てていたガキどもは、果たして本当に、ただのガキどもだったのかね?」
「“孤児院”の子供たちは、普通の子供たちでした」
「あっそ」
じゃ、あの女は悩む必要なんかなかったわけだし、あの放火魔も父に訴える必要はなかったわけだ。
ーーそんなわけあるか。
アントニーは皮肉げに笑って、クライスと、床で伸びている女に別れを告げた。
『あの子達が、この国の未来を背負う子達だよ』
必要悪という言葉がある。量さえ間違えなければ、医療にも使われる麻薬。人を楽しい気分にさせてくれる酒。ギャンブルだって素寒貧になったりするが、概ね楽しい。
技術的にも物資でも、帝国に劣る王国が、一体何に力を入れてきたのか、アントニーは知っている。
冷たい目をした子供達は、身寄りがないか、必要とされなかった子供達だった。
『あの子達がいなければ、我々は帝国に侵略されてしまう。あの子達は、希望の光なんだ』
反吐が出そうな言葉に、感銘した振りをした。優しい父親ではない、こいつにしようと思った。
炎で焼かれてもなお、懲りない人種。守るという口実で、必要悪を作り上げる本物の悪人。
『親父はなーんにも知らないんだよ。“孤児院”を経営してたのは、お前の飼い主だ』




