殺意と善意
少し擦れた感じの青年は、悪どい顔をしながらも、言っていることは善人そのものだった。
『もう、ガキどもが殺さなくて済むように……死ぬだけの人間を育て、心をすり減らす人間がいなくなるように。俺は、ただの孤児院を作りたいんだ』
青年はとても素直じゃなかったので、脅されたという形にして、孤児院建設の援助を申し出た。施療院もそう。あまりにも死を嫌悪する彼の意思は、カイリにとって尊いものに思えたのである。
ああ、その頃はアントニーも純真で可愛かった。よくカイリの後についてきては、その仕事ぶりを憧れの目で見てくれたものである。
今は、あんな感じだけれど。
並べられた資料は、孤児院放火事件を延焼させている容疑者のリストだ。カイリ・マルクス現財務大臣は、冷や汗をかいて、目の前の青年を見た。
「実は、貴方の御子息も、候補に入っているのです」
藍色の瞳を憂いに沈ませる宰相、ガウナ・アウグストは、日々の仕事の重圧からか、儚く見える。というか、死相が出ている。そのことにカイリは心を痛めた。
ーーあのアホ息子……! 候補になんぞなりおって……!
今すぐとっ捕まえて突き出したいのを隠しつつ、カイリは直立。
「しかし、四年前から私を支えてくれた貴方の御子息が、そのようなことをするはずもないと思い……」
そうですとも! と言い切れないのがアホ息子のアホたる所以である。どうか、やってませんように。
「実は、お恥ずかしい話ですが、先の舞踏会。御子息と、女性に関して諍いを起こしてしまいまして」
百パーセント息子が悪いな、それ。カイリはガウナに謝ろうとして、ふと思い出す。
「もしや、それはあの金髪の?」
下世話な話だが、全力で話題を逸らすしかない。
帰ったらあのアホをとっちめることを心に誓いつつ、困った様に眉を下げて笑うガウナにほっこりする。そうか、別に十歳以下でなくてもいいのか。
カイリは舞踏会で見た少女を思い浮かべた。慣れないステップを踏みながら、一所懸命に踊っていた少女。
「とても綺麗なお方でしたね。あの瞳の色に、美しい金髪。今は亡き、ドラガーゼ公爵夫人を思い出しました」
「……ドラガーゼ侯爵夫人、ですか」
「ええ、生き写しかと思いましたよ」
なぜか、ガウナは黙ってしまった。少し俯き、独り言のように呟く。
「ドラガーゼ……英雄の……」
「そうです。英雄と同じ瞳の色を持つばかりに、不幸に見舞われもしましたが、いえ、火事で亡くなられたのは哀しいことですが。好いている人と結ばれたのは、喜ばしいことです」
「その、夫人の名前は?」
「シルヴィ様です。ウォールカ男爵家のご令嬢でした」
「シルヴィ、シルヴィ……ああ」
なにか納得したような顔で、ガウナは笑った。
「そうか、そういうことか」
三股かと思いきや六股。しかも開き直っている。
ジルトは、アントニーにジト目を向けた。
「なんだよ」
「いえ、別に。なんかゲスだなあと思って」
「直球で言うな。誤魔化そうとしろ」
「自分に女装しろと言う男が目の前にいたらどうします?」
黙った。
アントニーは、深い深いため息をついた。
「とにかく、俺は宰相煽りをやめるつもりはない。アイツが地面に這いつくばって、俺の靴を舐めるってなら考えなくもないがな」
ハードルが高くなっているのは気のせいだろうか。そんな姿、まったく思いつかない。
「逆なら思いつくんだけどなぁ」
「お前はさっきからちょいちょい失礼だよな。話はこれで終わり。だいたい、お前がどこの誰かも明かさないで宰相煽りをやめてくださいなんて、虫が良すぎる話だよ」
「アントニーさんは意外と考えてますよね」
「それ、もしかして、俺を煽って冷静さを無くそうとしてるのか?」
ちっ、気付いたか。ジルトは心の中で舌打ちする。財務大臣のバカ息子、とハルバは言っていたが、一筋縄ではいかないようだ。
「じゃあ話しますけど、このままだとアントニーさんは死にますよ。宰相……あーもういいや、公爵ははっきり言って化け物です。俺が喫茶店で話してたクライスさんあたりにぷちっとやられて終わりです」
「公爵の話じゃなくて、お前が誰かの話だよ。なあ、ジルト・バルフィン君。こちとらお前のことを調べても、問題児ということ以外、まったく何にもわかんなかったんだよ。セブンス・レイクとどんな関係がある? なんで公爵んとこの烏と仲良くお茶してんだ? なんで俺のプライベートを知ってる? たかが一学生なのにお前は不思議な点がありすぎんだよ」
よって、信頼することは不可能。アントニーはそう言った。ごもっともである。
「……俺は、公爵を殺したいんです」
なので、ジルトは本音を言った。アントニーが目を見開いた。
「両親を殺されたから、復讐をしたいんです。靴を舐めさせるなんて甘い。アイツをどん底まで突き落として殺す」
アントニーが何かを言おうとした。だが、ジルトは構わず続けた。
「だから、あんたは黙って指を咥えて見ててください。余計なことをするな。俺の邪魔をするな」
「……お前さ、あの時のアイツにそっくりな目をしてるぜ?」
そう言いながら、アントニーは立ち上がった。
「おっかねえ奴もいたもんだわ。ま、俺の代わりに公爵を引き摺り下ろしてくれるなら、こんな楽なことは無えか」
「それなら」
「そうだよ、諦めてやるよ。決してお前が怖かったからじゃないぞ。あの夜のあの子に免じてだ」
びしっと指差してくる。ジルトは笑った。
「良かった。ありがとうございます」
「……けっ」
不審な目で見てくる門番の視線をガン無視して、アントニーは大通りに歩き出した。
ーーなんだよ、アイツ。
凍てつくような目を向けられた時、ぞっと背筋が寒くなった。少年の瞳は、何よりも憎悪を雄弁に語っていた。種類は違えど、アントニーがその瞳を向けられるのは二度目である。
そう。舞踏会の時、公爵が向けてきた目。人間を見るような目ではなかった。
ーーあーあ、あの人に言い訳しねーとな。
脳裏に彼を思い浮かべる。財務大臣の息子であるアントニーが、財務大臣を追い込むような馬鹿な真似が出来たのは、あの人の存在があってこそだ。
ーーそれにしても、あのガキ、殺されたって言ってたな。
アントニーはちらりと後ろを見た。誰かが、ついてきている。
パパラッチの奴らじゃない。奴らはもっと気配を隠すのが下手だ。それなら……。
善意とは、かくも素晴らしいものなのか!
かつて青年の犯した罪を知らずに、その尊い意思だけを見た財務大臣を前にして。
『シルヴィ、愛してるよ』
とある男の最期の言葉が甦り、ガウナは……笑いが止まらなかった。
やはりあの子は僕の“良心”だ。僕にそのことを思い出させてくれるなんて!
「もしも」
「はっ! なんでしょうか?」
思い出の中にいる、善良な財務大臣。この男なら、悪いようにはしないだろう。そう思って、ガウナは優しく笑いかける。それが、あの小さな英雄への慈悲である。
「もしも、ドラガーゼ公爵家の子息が生きていたら、どうしますか?」




