新たな契約
エピローグでありプロローグです。
目を覚ましたのは、ベッドの上でだった。
「ここは……」
「父さん! 起きたのね!? ちょっと待ってて!」
目を開けたら、ずいぶん歳をとった娘が、僕の手を握っていた。だが、そそっかしいところは変わらず。立ち上がって、誰かを呼びにドアの向こうへと消えた。
ばたばたと音がして、ミィリエが入ってきた。なかなかにいい歳のとり方をしている。もう、少女の姿じゃないということは……そういうことだ。
「トアヒ、トアヒ……!」
名前を呼ばれるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。僕は微笑んで、ミィリエの涙が浮かぶ目尻を拭った。
「ただいま、ミィリエ」
「おかえりなさい、トアヒ!」
「ぐえっ」
ミィリエが抱きついてくるのを受け止めたら、老体に響いた。もう、僕にアイツの加護はないらしい。
僕が山にいる間に、世間はずいぶん変わっていた。
ミィリエとシューエルによる僕の押し付け合いがあった後、結局シューエルが僕に、空白の二十年の話をしてくれた。
「は? 大火!?」
「そう。四年前にね、王都の八割が焼けちゃって、私たちの家も建て直したのよ」
それを聞いて、僕は、この部屋の内装が少し変わっていることに気付いた。でも、一目じゃわからないくらいそっくりだった。
僕を待っていたシューエルの気持ちがうかがえて、僕は嬉しさと共に、申し訳なさも覚えた。
「と、いうことは? トウェル王は無事なのか?」
「トウェル王は……」
言いにくそうにするシューエルに、僕は悟った。そうか、大火は全て、平等に奪っていったのか。
「じゃあ、今この国を治めているのは? エルヒルト殿下? セリアーナ殿下?」
王族の中でも、飛び抜けて才能があった二人を挙げてみる。今度も悲しい顔をしていたシューエルは、少し微笑んで、意外な名前を口にした。
「リルウ陛下。それと、アウグスト公爵よ」
リルウ……ああ、あの一番小さな女の子。王位継承権が一番低かったあの子が王位に着いたということは、王族は……痛ましいことだ。
「……四年前に、すべて変わってしまったんだな」
「ええ。でも、館長の……ミィリエさんの、父さんを思う気持ちは変わらなかったわ。大火の時に、ミィリエさんがなんて言ったと思う? 父さんが王都にいなくてよかった、だって。私もそう思った」
そう言って、シューエルは、僕から目を逸らした。なにか負い目があるように。
「……あの火事は、たくさんの人から大切なものを奪っていったけれど。私は、自分だけが父さんを覚えている状況が嫌だったから、何もかも台無しにした火事に、少し感謝していたの。それなのに」
シューエルは、腕を持ち上げて、袖で何かを拭った。声が震えている。
「それなのに、今、こうやって、父さんが戻ってきて、そうしたら、そんなこと考えてた自分が、おかしいことに気付いて……」
しゃくりあげる娘を、僕は抱きしめた。
「ごめん、ごめんね、シューエル。そんなことを思わせて、ごめん……」
二十年という歳月を、僕はラーナ・ナーヤで過ごした。そうして、娘にこんなことを言わせてしまった。ただでさえ父親失格なのに。
「……でもね、素敵な出会いもあったのよ。父さんの大ファンの女の子がいるの。呼んであるから、裏話とか聞かせてあげて」
シューエルが、僕からそっと離れて、そう言った。
しばらくして、金髪の女の子と、灰色の髪の男の子がミィリエと共に部屋に入ってきた。
女の子は、僕を見るなり青い瞳を輝かせた。男の子は、僕に軽く会釈をする。
「わ、私、先生の大ファンですっ! さ、サインください!!」
ああ、こんな時代もあったな。
僕は女の子が差し出した手帳に、サインを書いた。そうだ、僕は確かに、ネーベラ・シューエルでもあるのだ。
「で、できれば私の名前もここに……」
それにしても、僕が活躍したのは二十年前。こんなに若い読者がいたとは、嬉しいものだ。感慨に浸りながら、僕は快く頷いた。
「良いよ。君の名前は?」
「ファニタ・アドレナです!」
元気よく答えた女の子に、申し訳ないが卒倒しそうになった。
「と、トアヒェル、トアヒェルー!?」
ベッドに倒れ伏した僕に呼びかけるミィリエ。僕はなんとか体を起こして、アドレナ嬢を見る。
陽光の下で輝くような金髪に、青い瞳。整った容姿。好奇心旺盛な瞳は、確かに一度だけ見たあの人にそっくりだ。
「も、もしかして、お嬢さんは、ガイアスさんの……」
「父をご存知なんですか?」
はい、確定。僕は天を仰いだ。ベッドの上で土下座する。
「お父様の論文には、大変お世話になりました。あの論文がなければ、僕は『山女の契約』を書こうと思わなかった」
「父の……?」
僕は頷いて、アドレナ嬢にいかにあの論文が素晴らしいかを語った。まだ若きガイアスさんが、片手間に書いた卒業論文、の、失敗作。
何故か闇に葬られたそれは、幸運にも僕の手元にたどり着いた。それもたぶん、火事で焼けてしまったのだろうが。火事で……。
「も、勿体ない、勿体ないぞ!? あぁあワシのバカ! なんで山になんぞ行っちゃったんじゃ!?」
「あ、あの」
「とにかく、あの論文は素晴らしいものです! お父様にお伝えください!!」
それを聞いて、アドレナ嬢は苦笑いをした。
「ろくでもない父に、伝えておきますね」
その苦笑いの意味を僕が知るのは、相当後のことになる。
僕のことを覚えている人たちは、火事と、寿命のせいで、いないに等しい。
忘れ去られたままだったのは悲しく思える。
僕と名前を交換したアイツは、長年こんな思いを抱えていたのだろうかと思えば、同情も……わかないな! まったく湧かない!! アイツ神だし!!
それにしても……アドレナ嬢と共に来た、灰色の髪の少年、ジルト君のことも、僕は気になっている。
あの草色の瞳の少年は、あとでシューエルに聞いたところによると、「今度は大丈夫」と言ってくれたらしい。神と契約状態だった僕の名前も覚えられたとか。
ぱっと見普通の少年だった。けれど、確かにシューエルの言った通り、不安を覚えた。
英雄は、救いすぎて背負いすぎて壊れていったから。
アルバート・ドーガーは、普通の青年だった。けれど、優しすぎた。
優しすぎたから、信者の“理解者”に堕とされたのだ。
夜風にあたりながら、僕は英雄を思った。
「名前を忘れられた神様と、英雄というもう一つの“名前”を与えられて苦しんだ青年。結局悪いのは人間なのかもしれない」
「お前、よくもそんな厚かましいこと言えるな」
川にかかる橋に座り込む白髪頭に、僕は蹴りを入れた。
赤い瞳の神様は、元は人間が好きだったらしいが、たぶん今も人間が好きに違いない。
「お前がカモにしてた奴、あれ、アウグスト公爵の側近だから」
訂正。やっぱり人を玩具にしか思っていないのかもしれない。
僕は不本意にも、ペルセと並んでぼうっと川面を眺めていた。
「川の中の月は獲れない」
「は? 何言ってんだお前?」
「お前の著作に書いてあったんだよ!?」
あんな山の中で二十年過ごしてたんだ、自分で書いた内容なんて忘れてるに決まってるだろ。
「主人公が、王子に思いを馳せる場面。あそこが俺は好きだ」
「ふーん、ありがとな」
「お前、ファンの女の子に会ったんだっけ? お前の作品の元ネタになった論文を書いた奴の娘に。あの子、お前が続きを書いたら超喜ぶだろうなー」
うわ、こいつ面倒臭いな。僕はため息をついた。
「素直に僕の作品のファンだって言ったらどうだよ」
「素直にワシに戻したら? 若造り?」
「これは僕のけじめだよ。僕だった頃の二十年を埋めるんだ。たっくさん幸せにして、幸せになるんだ!」
「登場人物も幸せにしてやれよな」
「はいはい」
にしても、なんでこいつは王都に来たんだ?
「続きは期待するなって言われたからさ、せめてこっちの続きはと思って……」
「え?」
まじで? 僕は口元が緩むのを止められなかった。
「お前、僕の新刊早く読みたいから王都に来たの!? ぷっ、笑える! あはははは!!」
「うるさい、死ね」
「うん、それなら」
我ながら名案だと、僕は思った。
「僕もお前のファンになってやるよ。死ぬまでお前の名前を覚えててやる」
「……乗った」
こうして、僕とペルセは、新たな契約を交わしたのだった。
思えば、この時期に帰ってきて、僕は正解だったのかもしれない。
現実は虚構を凌駕する。そんな光景を見せられても、神様なんてものと賭けをした僕はなお、落ち着いていられたのだから。




