俺は、その続きが見たかった
クライスは、逗留している宿を抜け出した。
まだ明け方とも言えない中、暗い道を通って、木々がざわめく山を登った。
「……違うんだよ」
頭上から声が降ってきた。見上げれば、白髪の少年は、面白くなさそうな顔をして、ある一点を見つめていた。
「俺が欲しかったのは、そんな答えじゃないんだよ」
クライスも目を凝らして、そちらの方を見た。何かが地面に蹲っている。
「ぐ、うう……!」
獣のような声を出して、腹を押さえ、そして、何かを手に握り。
老人は自らの首を掻き切った。
ぼたぼたと流れる血は、されど老人を死なせてくれない。
山を降りず、何も食べずに暮らしてきた老人は、果たして人間と言えるのだろうか。
「『アッカディヤの魔術儀式』って知ってるか?」
老人に思いを馳せていたクライスは、その問いに静かに頷く。
「あれに必要なものは?」
「術者と贄、それに薔薇の魔女の生まれ変わりですね」
「そうだ。あれはまさしく魔術だ。人が人を使って魔法を再現する、神いらずの術。俺はアイツに、トアヒに、魔術を使って俺を倒してほしかったんだ」
地面に着地したペルセは、老人の方へと歩いていく。
「どうして、ケィル・モアハの人々を殺さない? お前はここに来て、神は殺せずとも人を殺す力は得た。それを使って、魔術を使えばよかったんだよ。それなのに」
夜が明ける。鳥の声がようやく聞こえ始め、暗い森の中にも、少しの光が差し込んできた。
その光が、老人の血まみれの姿を鮮明にする。手に握っていたのは、先端を尖らせた石だった。満身創痍の老人はしかし、口の端を釣り上げて、ペルセに笑ってみせた。
「ざまあみろ、だよ。お前の言う通りになんかなるもんか」
「無駄に痛みがあるだけだ。お前は死ねない」
「お前は神のくせに馬鹿だな? 僕が、ただ人殺しが嫌で死のうとしてると思ってるんだろう」
「違うのか?」
ペルセの問いに頷き、老人は淡々と、作業を再開する。
「魔術が他者の命を犠牲にするというのは、臆病者の言い訳だよ。やりようは、いくらだってあるんだ」
心臓に突き立て、抉る。吐血しながら、老人は言う。
「本当は、自分の命だけで事足りる……! 僕みたいに、お前の加護を受けた人間の命ならなおさらだ……!」
ひゅーひゅーと息を漏らして、喀血。
「いままで、お前を殺すために、万全の状態を保ってた……だから、僕の生命力は有り余ってるんだ……!」
血が、生き物のように蠢く。老人の魂の最期の輝きを象徴するかのように、魔法陣を形作っていく。
「この、“魂”はトアヒェルとして、そして、トアヒェルの魂を使う魔術師役はネーベラとして。僕が死ぬための魔術の完成だ」
凄絶な表情だ。だが、後悔が全く見えない。青い輝きの中で、どちらでもない老人は笑った。
「僕の勝ちだ、ペルセ。僕は死ねる。ミィリエとの差もこれで開かなくなるし、僕という存在がいなくなれば、この賭けも成立しなくなる。お前の思惑は全てハズレ。これで、ハッピーエンドだ」
「お前が死ぬことは、ハッピーエンドなのか?」
静かに問うペルセに、彼は「もちろん」と頷く。
「僕は所詮脇役だからね、死んでも物語に影響しないんだよ」
「…………ふーん、そっか」
ばちん。
指を鳴らす音と共に、トアヒェルの周りの青い光が消えた。蠢いていた血は重力に従って地面に染み込み、トアヒェルは倒れ込んだ。
「クライス、この馬鹿連れて山を降りろ」
「……良いのですか? 賭けは?」
「俺の負け。それでいいよ、面倒くさい」
一体どんな心境の変化があったのか、ペルセはやる気なさそうに地面に座り込んだ。
木々の間から差し込む光を、眩しそうに見上げ、手で顔を覆った。
「大方、セレス姫の最期を知って思い付いたんだろうな、はは、笑える」
「最期?」
「そう、愚かで尊い最期。魔術の始まりだよ」
それ以上は、話してくれなかった。
山の入り口で、クライスが背負うトアヒェルの顔を覗き込み、ペルセは舌を出した。
「このクソ馬鹿が、俺と渡り合えたのに、何をモブ面してやがる」
「その割には、安心しているように思います」
「うるさい」
「……これから、どうするのですか?」
「どうすっかなー、これが終わったらやろうと思ってたことはあったんだけど、なんか興が削がれたっていうか、うーん」
悩むペルセに、クライスはあることを思いついた。
「それならば、王都に来てはいかがでしょう」
「は? お前、何言ってんの?」
「こんな片田舎では、広まる名前も広まりません。王都であれば、人口も多いですし、もしかしたら、貴方の名前を思い出す方もいるかもしれません」
「俺の名前は王族に封印されたんだけどな、ていうか片田舎って失礼な、ケィル・モアハの意味知ってんのかお前、ってオイ!」
さっさと行こうとするクライスに、ペルセは叫び。その叫びに、クライスは振り返って、ほんの少し口元を釣り上げた。
実は彼にしては珍しい表情なのだが、そんなことペルセが知る由もない。
「神様も、案外優しいんですね」
「は? 優しい? 俺が?」
何言ってるんだと言わんばかりのペルセに、クライスは答えることなく歩き出した。
そうだ。どうせ、心が読まれてるだろうから口にも出しておこう。
「あまり畏れなくてもいいみたいです。これなら魔法にも勝てますね」
指を鳴らす音がした。足元の地面が盛り上がるのを軽々避けて、クライスはトアヒェルを背負ったまま、勢いよく駆け出した。
従者が連れてきた少年を見て、ガウナはぽかんと口を開けていた。
「よっ、魔女の生まれ変わり君元気〜? 相変わらず幸せになりそうもない魔力してるな?」
「クライス、誰これ」
「神様です」
「神様」
思わず鸚鵡返しをしてしまう。赤い瞳の少年は、ガウナに向かって不敵に笑った。
「こっからは、お前たち人間の物語だ。存分にその醜悪さを発揮してくれよな?」




