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青凪ぐひとよ  作者: 柊 彩芽
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夏は夜空の音が届く

 差出人不明の手紙が届いてから四ヶ月と少し。じめっとした季節が過ぎて、夜でも三十度以上になる日が続くようになったころ。私のもとに二通目の封筒が届いた。一通目の時と同じ白い封筒で、中にはやはり手紙と写真が一枚ずつ入っていた。夏休みも後半だというのに学校へ行かなければならないというのは本来なら憂鬱(ゆううつ)になる話だが、今日はとても気分がいい。長かった二週間の夏期補習が今日で終わるのだ。勉強は嫌いではなかったが、暑い中三十分かけて毎日学校へ行くのはやはり気が進まなかった。それももう今日でおしまい。しかも、例の手紙付きときた。心躍らずにはいられない。白い封筒を奥に詰め込んだカバンを前後に揺らしながら学校へと向かった。

————けど。

 今回の手紙は何かひっかかる内容だった。


 あなたには大切な人がいますか。どんな悪人だろうと、どんな哀しい人間だろうと、人は決して一人にはなれない。一人になることを許されていない。 

〝あなたは一人じゃない〟 そう教えてくれた人が私にとっての大切な人でした。あなたの大切な人は誰ですか。言葉に出して伝えることに憶病にならないで。あなたの周りの人はちゃんと耳を傾けてくれる、もちろん私も。


 この前のフランクな手紙とは対照的に二通目の手紙はカチッとした、どこか改まった文面だった。二通目の手紙と同封されていた写真には天井から吊るされた異国風のランタンが写っていた。そのランタンは色鮮やかな形も大きさも違う雑多な種類のガラスが散りばめられていて、複雑な模様が壁や天井に影を作りとても幻想的で綺麗だった。灯りが放射状に広がっている様子が夏夜に浮かんで消える花火のように見えて少しだけ悲しくなった。二通目の手紙も封筒を開けた瞬間甘い香りがしたがそれもまた一瞬で消えてしまった。

 午前中の補習が終わって昼休みになり、私は咲と瀬川といつものように集まってお弁当を食べていた。みんなが食べ終わったタイミングで今朝届いた二通目の手紙を、空になった弁当箱がまだ置かれている机の上に出した。

「…ナナシサンの手紙、また届いたの」

手紙を一通り読み終えた二人の顔色をうかがう。

「今回の手紙は詩みたいだね。ほら、この前はもっと喋り口調だったのに」

咲の言葉にうんうん、と首を縦に振る。一通目の時は得体のしれない手紙に興奮した様子の二人だったが、今回は違った。顔をしかめて(うな)っている。その様子にこちらまでもが不安になり始める。ストーカーではないかと言っていた瀬川のあの時の言葉が頭をよぎる。一通目の手紙とは正反対の雰囲気だったせいか、二人とも真剣な表情だ。私はそんな二人の表情から目を離せないでいるのと同時に胸が苦しくなった。誰かがからかっているだけかもしれない手紙に、しかも自分とは全く関係のない手紙に、どうしてそんなにも真剣になれるのか。私には理解できなかった。もっとも、この手紙の存在を一番肯定したがっているのは自分だというのに。ああ、(ゆが)んでいる。

「警察に相談した方がいいんじゃないか…」

瀬川がいつになく真剣な目でこちらを見た。なんだか目を合わせていられなくなって、()らしながら私は反論した。

「そんな大げさな。脅迫(きょうはく)されているわけじゃあるまいし、第一、怖いって感じるような文面でもないじゃない」

「じゃあなんでお前の名前と住所知ってんだよ」

それは……そう言いかけて、次の言葉を見失った。

見かねた咲がなだめるように私の頭に手をのせた。

「あー、えっと、とりあえず、また手紙届いたらすぐ私たちに言うのよ」

「う、うん。わかった」

 なんとなく。空気がどんより重くなった。瀬川の言っていることも間違っているわけではない、むしろ正しいとさえ思う。でも、どうしてこんなにも、ナナシサンの肩を持ちたいと思うのだろう。どうしてこんなにも信じたいと願ってしまうのだろう。対象が得体のしれないものだというだけで、信じてはいけないことなのだろうか。

「おお!今回の写真めちゃめちゃ綺麗だな!」

瀬川の手にはあの異国風のランタンの写真が変わらず輝きを放っていた。話…変えてくれた。相変わらず下手な小芝居に思わず吹き出しそうになる。

「うわあっ…すごく綺麗。花火みたい!」

そう言って咲は目を輝かせた。

「だよね、私も思った!」

「これのどこが花火に見えんだよ」

ひとり仲間外れにされてへそを曲げたのか、瀬川はもうナナシサンの手紙には興味を示しておらず弁当をカバンにしまっている。あ、と、何かを思い出したかのように瀬川が口を開いた。

「花火といえばさ、今年も行くだろ?河川敷の花火大会」

こいつ、話ずらしたな。こちらは小芝居でも何でもない。

瀬川の言う花火大会とは私たちの住んでいる地域の河川敷で毎年行われる花火大会のことだ。四年前の花火大会の日、今思うとあの日をきっかけに私たちはよく一緒にいるようになった。

 あの日、私は咲と一緒に祭りに来ていた。そこへ汗だくでいかにも慌てた様子の瀬川が息を切らしながら走ってきたのだ。

「なあ茅野、俺の財布見てない?」

どうやらポッケに入れていた財布を無くしてしまったらしい。バカだな。大した額は入っていないらしいが、

「今日の祭りで遊びまくる俺の計画がああぁぁ…」

と嘆いている。協力してくれた報酬にはかき氷を、という話に乗っかって私たち二人は瀬川の財布探しに付き合うことになったのだ。結局財布は河川敷から少し離れた林の中で見つかった。瀬川が一緒に祭りに来ていた男子と林の近くで鬼ごっこをしていた時に落としてしまったらしい。ほんとにバカ極まりない。もちろん報酬はちゃんと受け取った。イチゴとブルーハワイ、今でもしっかりと覚えている。なんでも好きな味をどうぞ、と富豪にでもなったかのように腰に手をあてていたが、どの味にしても結局値段は変わらないことをわかっていたのだろうか。未だに謎だ。

それから私と咲のところへよく瀬川が顔を出すようになり、気が付くと花火大会はなぜか毎年一緒に行くようになっていた。懐かしいな、と私が物思いに(ふけ)っていると、咲が何言ってんのよ、と私の思考を(さえぎ)った。

「今年の花火大会の日は模試でしょ。瀬川はもっと受験生としての自覚を持ったらどうなの」

「楠瀬は俺のおかんですか。嘘だろ、花火が見れない夏なんてそんなん夏じゃねよ…」

「まあまあ、二人とも。もしかしたら帰り道ちょっと見えるかもしれないし…」

そんなことを話しているうちに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。私たちは慌てて机の上の弁当たちを片付けて自分たちの席へと戻った。


 二週間が経ち、模試の日、花場大会当日。テストのために十時間も拘束され、疲労と体力が限界に近づいていた。ブラック企業やら残業ゼロやらが(うた)われるこの時代に一番の被害を受けているのは学生なのでは、とさえ思えてくる。今なら街頭インタビューかなんかで、この世界は間違っている、とかなんとか、堂々と演説を繰り広げられる気がする。法律までは変えられなくても学校制度の在り方なら変えられるのでは、などと頭の中で妄想してしまうほど、つまらない世界に爆弾を投げ込んで知らしめたくなるくらいには勉強漬けの毎日に嫌気(いやけ)がさしていた。ようやくすべての試験が終わり、拘束から解放され足早(あしばや)に帰る者もいれば、廊下で集まって答え合わせをしてわーきゃー騒ぐ者もいた。私は咲と瀬川と合流しゆっくりと歩きながら模試の会場を後にした。

 最寄り駅に着き、十階建て前後のビルやアパートが少し密集した通りを三人で横になって歩く。数学のあの問題が難しかったとか、どこかの国のあの法律を作った人は誰だったかとか、そんな模試の話はあっけなく終わって、無言の時間がしばらく続いた。誰一人として話し出そうとはしなかった。なんだかそれが心地よく感じた。だが同時に、どこか不安だった。なにか、話をしなくては。なんの、話をしようか。このまま、じゃあと言って別れたら何か良くないことが起こるような、そんな気がしてしかたがなかった。地面を踏みしめる音だけが妙に大きく聞こえた。

来年になれば、きっと私たちはバラバラになる。それぞれの将来に向かって歩み始める。だから、私たちの将来の約束は個人の将来の足枷(あしかせ)になりうる。どうしよう。うまく言えない、息が吸えない。けど、何か言わなくては。何か————

ひゅるひゅるひゅるどーーーん。

その時、さっきまで闇一色だった足元が一瞬赤く光って、少し遅れて聞こえた音が無機質な空間を切り裂いた。ああ、花火だ。大きな大きな花火だ。ビルとビルの隙間から円盤の中心部分だけが見える。その一発をきっかけに、連続して破裂音が鳴り響く。赤や青や黄色の花が夜空に咲いてはビルの窓に反射して万華鏡のようにその見え方を変えた。

「来年は花火の真下まで行って見ようよ」

沈黙を破ったのは瀬川だった。

「俺は二人みたいに頭良くないから同じ大学へは行けないし、どんどん会う機会は減っていくだろうし、五年後、十年後のことなんて約束はできないけど、また来年も花火見ようって、言うことはできる。そんでまた一年経ったらまた来年見に来ようって、また来年って。そんな風に毎年話しながら大人になっていきたい」

瀬川の話が終わるころにはいつものように息ができるようになっていた。簡単なことだった。いつだってそうだ。私がうまく言葉にできないことを瀬川は簡単に言ってみせる。さも当然のことのように。

咲がぷはっと吹きだした。

「あんたよくそんな恥ずかしいこと淡々(たんたん)と言えるわね」

「うるせー」

私も言うんだ、ちゃんと。大きく息を吸って口を開いた。

「私も、また来年三人で花火が見たい」

来年も、再来年もずっと一緒に見ていたい。この関係をどこかで終わらせたくはない。大切にしたい。はっと我に返って手紙の言葉を思い出す。————あなたの大切な人は誰ですか。

「ま、瀬川にしては珍しく良いこと言うじゃない。みことがそんな風に言うのも初めて聞いたかも。私、二人の今の発言絶対忘れないからね。どこに行ったってさ、ここに戻ってこようよ。そんでまた来年花火見に来よう」

いひひ、と咲が笑って見せた。

 そしてまた黙ったまま歩き始めた。さっきまで暗かった足元はもうしっかり見えている。心地いいだけの沈黙が流れた。たまに少し冷えた夜風が(ほお)を撫でる。花火はもう見えない。音も聞こえない。ツクツクボウシの鳴き声。夏が終わる。


 あれは確か、小学校低学年のころの記憶。(せみ)の鳴き声がうるさく鳴り響き夜になっても日中の熱が残る日のことだった。なかなか寝付けず、水を飲もうかと台所へと続く廊下を歩きドアを開けようとした時だった。父と母が中で会話しているのがドア越しに分かった。なんだか中に入りづらく少しだけドアを開けて中の様子を(うかが)った。

「わからないの、あの子が何を考えているのか。もう何も、わからない…」

そこにいたのは私の知らない母だった。嗚咽交じりで必死に酸素を求め肩を上下させて床に座り込む母の背中を父がさすりながら大丈夫だよ大丈夫、と何回も繰り返していた。

「あの子、何も話さないの。が…学校のこととか、友達と遊んだこととか、何も。何も話してくれない…何もわからない」

 あの時の母の言葉があまりにも衝撃的で、あの時の光景が今でも心のどこかに引っ掛かって離れてくれない。自分のことをべらべらと話すタイプではないことは自覚していた。けれど、それは話さなくていいものだと思っていた。話す必要はないものだと。物心ついた時から人と話すことが苦手で、口を開けばひねくれ口を叩いて故意(、、)に人を怒らせた。そのうち傷付くことと傷付かないことの線引きが曖昧になって、そんな気はなくても相手を傷付けることが多くなった。それならいっそのこと話さないほうがいい。そう思うようになった。だから話さなくなった。それなのに。

────なんであの子は何も話してくれないの。

それが逆に母を苦しめていた。家族だから、いちばん傷付けたくなかったのに、結局傷付けてしまった。私はどうすればよかったのだろうか。何が正解だったのだろうか。未だに答えは見つからない。あの日から自分の性格が少し変わったような気がする。未だに話すことは得意ではないが、どうでもいい学校の話もするようになった。人と話すことに臆病になる自分は今でも嫌いだ。母が泣く姿を見たのはあれっきりなかった。


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