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ショタパパ ミハエルくん  作者: 京衛武百十
第六幕
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能力が高いからこそ伴うリスク

エイスネの肉体も精神も、吸血鬼化したことにより人間とは比べ物にならないほどに強靭になっていた。


それでも、その事実は決して、


『杜撰な接し方をしていても問題を生じさせることはない』


ということを担保してはくれない。


<能力が高いからこそ伴うリスク>


は確かにある。自身の力に溺れる可能性は常にあるからだ。ゆえに、力尽くで現状を更新しなければいけないような状況に置かないことが望まれる。


人間も、自分が置かれている状況に強い不平不満があればそれを暴力で覆そうとする者が出てくるだろう? そういう前例は人間の歴史上それこそ無数にあったはずだ。


確かに、生きている限りは何もかもが自分の思い通りになるということは有り得ない。それもまた事実だ。しかしだからといって暴力で状況を変えてしまおうとすればそれで問題が本当に解決するのだろうか? そこからまた別の問題が生じたりするのではないだろうか。


<暴力革命によって作り上げられた社会>は、本当に理想的なものになっただろうか? 結局はまた別の問題を作り出す結果に終わったりはしなかっただろうか?


暴力に頼ることをよしとする者達が運営する社会システムは、果たして問題に対して真摯に向き合い穏当な形で解決を目指すものになっていただろうか?


<急迫不正の侵害行為>に対しては、攻撃者がすでに実力行使に出ている状況にあっては、なるほど確かに話し合いなどしていられる段階ではないだろう。身を守るためには力を行使する必要が出てくるのは事実である。


検討すべき部分はそこではない。問題なのは、


『暴力に安易に頼ろうとする発想こそが、急迫不正の侵害行為を行う側の論理ではないのか?』


ということだ。


吸血鬼は非常に長い寿命を持つからこそ、作り変えられた人間の社会がどのように推移していったかを、自身の目と耳と皮膚感覚で確認してきている。


暴力によって自分達に都合の良い状況を作り出せば良いと考える人間達が何を行ってきたかを目の当たりにしてきている。


暴力によって<搾取する者>が打倒された後に、虐げられてきたはずの者達が今度は他者を虐げ搾取する側に収まってきた事実をその目で確認してきている。


だからこそ、


<暴力によって他者を支配するという行為>


が何をもたらすかを確認してきている。


<暴力でしか覆せない状況>


というものを作り出すことが何をもたらすのかを確認してきているのだ。


そして、エイスネを暴力によって支配し意のままに操らなければいけない理由は、メイヴにはない。


ないのである。



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