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ショタパパ ミハエルくん  作者: 京衛武百十
第五幕
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それはもう<自由>では済まされない

『子供は親の言うことには従うもの』


『結婚して子供を生むのが女性の幸せ』


なるほどそう考えるだけなら、自由だと思う。『考えるだけ』ならね。だったらセルゲイも干渉はしなかった。だけど、こうして暴力を振るうならそれはもう<自由>では済まされない。


人間の親というのは本当に不可解だ。


『子供が成人すればもう親に責任はない』


と言いつつ、成人した子供に対して過度な干渉を行う。


『親に責任はない』のならそれは、


『子供自身の責任において自らの人生を生きられる』


ということのはずだよ? それなのにどうして干渉するの? もう親には責任はないんだよね? 責任がないのならそんな親の指示に従わなければいけない理由もないはずなんだけどな。


<指導監督をする権利がある>


のは、<責任>とセットのはずなんだよ。


なのに、権利だけを行使して責任は逃れようというの?


ましてや暴力で従わせようとするのは、権利でもなんでもない。


仮にも<先進国>を自称するのなら、そういう部分についての意識が更新されているべきじゃないのかな? けれどその国では、親や親族による過干渉が当たり前だった。そしてそうやって過度に干渉しておきながら芳しくない結果に至ると、


『子供の所為』


にするんだよ。


その国では、


『年長者はとにかく敬え』


『家庭を守ることこそが何より大事』


という考えが<至上のもの>とされていた。


もちろん僕も、『年長者を敬う』ことは悪くないと思うし、『家庭を守る』のも大事だと思ってる。だけど、『年長者を敬う』ことや『家庭を守る』ことが<目的>になってしまうとそれは違うんじゃないかな。


『年長者だから敬う』じゃなくて、そもそも相手を、<自分とは別の人格を有した存在>として敬うことができれば結果として年長者のことも敬われるし、『他所の家庭の平穏を乱してでも自分の家庭さえ守られればいい』じゃなくて、そもそも皆が『他所の家庭の平穏を乱すようなことをしない』なら、結果として家庭の平穏は守られるよね? 


でもその国では、年長者を敬うことや家庭を守ることが目的になってしまっているがゆえに、それ以外が疎かになっているんだよ。


『年長者さえ敬われていれば他は敬わなくていい』


『自分の家庭さえ守られていれば他の家庭はどうなっても構わない』


そんな考え方が蔓延してしまっている。


だから、お互いを敬うことができない者同士ででも家庭を築き、そして子供の前で互いを貶め合う。そんな両親の姿を間近で見ているから子供は結婚に対してポジティブな印象を持てないし、そうして結婚を拒む子供を親が一方的に従わせようとする。


すごく残念な状況だよ。



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