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ショタパパ ミハエルくん  作者: 京衛武百十
第五幕
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美味い料理を食べられるように

その後も、ムジカ達とは、ビデオ通話を通じて連絡を取り合っている。そして彼は言うんだ。


「俺、医者になろうと思うんだ。医者になってレギが美味い料理を食べられるようにしてやりたい」


真っ直ぐな視線でそう告げた。里親に関しても、


「大事にしてもらってるよ。あの国にいた時のことが嘘みたいだ。こんな世界もあるんだな」


何もかもが自分の思い通りになってるわけじゃないはずだけど、それでもかつての自分達の境遇を思えばそれこそ天と地ほどの違いがあるということだろうね。


レギとヒアとニアナも、かつてのボロ布のような服とは違う、決して高価なものじゃないけどきちんと洗濯された清潔な服を着て髪を整えて毎日シャワーを浴びているのが分かる綺麗な肌をして笑顔で一緒に画面に映っていた。


そして、


「僕はサッカー選手!」


「ぼくはカラテ家!」


「わたしは歌手!」


それぞれ<なりたいもの>を口にする。以前はまず翌日も生きていられるようにするだけで手一杯で、とても<なりたいもの>について考える余裕もなかったはずなのにね。


だけど同時に、ムジカ達のような境遇の子供はまだまだ無数にいる。それはまぎれもない現実で、ムジカ達だけをそこから救い出したところで問題は解決しない。これもまた事実なんだ。


でもね、


『すべての命が安全で快適で恵まれた環境で生きていく』


ということは実現できないのもやっぱり厳然たる事実なんだよ。その中で、


『たまたま巡り合わせが良くて穏やかな生き方ができるものもいる』


だけなんだ。


それは<神>とかは関係ない。<運命>でもない。人間がいなければそんな概念すら生まれなかった。そんなことを考えもしなかった。


つまりはそういうことなんだよ。<神>なんかいなくても命は生まれてくるし、生きるし、そして循環を続ける。人間は、自分だけが特別だと思いたいからオカルトをこじつけて詭弁を弄するけど、そうやって現実から目を背けようとするから、結局は無理が生じる。その無理を誰かに押し付けようとして余計に軋轢を生む。


その<無理を押し付けようとした結果>こそがムジカ達だったんだよ。<野生の獣の生き方>でさえない、


<人間ならでは歪んだ生き方>


を強いられてきた。そういう子供達が確かにいる。


野生の獣の生き方もとても厳しいものだ。楽じゃない。つらくて苦しいと思う。でもそれでも、人間社会で虐げられているような歪んだそれじゃない。人間社会のそれは、ただの<身勝手の具象化>だ。



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