見なくても現実社会で実際に生じている事例
僕は、生物として明らかに人間より高い能力を有している吸血鬼だからこそ、人間同士の諍いには辟易させられているんだ。特に、アオとパートナーになってからは、人間がネット上で、
『夫が妻を罵り』
『妻が夫を罵る』
という、実に醜い行状にはうんざりさえしているんだよ。これがただのフィクションなら『見なければいい』で済む。そんなものを律儀に見なくちゃいけない理由は僕にはない。
『見なくちゃいけない義務もないものをわざわざ見ておいて被害者ぶる』
なんていう感覚は僕にはないんだ。
ただ、
<見なくても現実社会で実際に生じている事例>
については、いい気はしないな。
『フィクションの中で起こっている事件については気にせずにいられても、現実社会で実際に起こっている事件は看過できない』
とでも言えばいいのかな。
『夫が妻を罵り』
『妻が夫を罵る』
という事態は、現実社会の中で実際に起こっていることだよね? ましてや本当に家庭内だけでそれをしているだけなら目に届くこともまずないかもしれなくても、ネット上にアップすればそれは世界中の人から見えてしまうものだよ? わざわざ別の言語に翻訳してまで見るようなことじゃないだろうから、その言語が日常的に使われている地域の人間しか見ないかもしれなくても、見えるような状態になっているのは事実のはずだ。
<作り話じゃない現実の事例>
としてね。もっとも、それらの中にも相当数の<創作>が含まれてはいるんだろうけど、でも、<実際に起こった事例>という体でアップされているならそれを『作り話だ!』と断定できる方法はまずないし、何より、それに共感している人間の反応があるのなら、そちらについては<現実>だよね? そんな話に共感できてしまう人間が少なくないのは<現実>だよね?
だったら、<結婚>という選択は、必ずしも<価値があるもの>とは言えないよね? 実際に結婚し子供までもうけた人間が、現に、
『結婚は人生の墓場だ』
『結婚なんかしなければよかった』
と言っているのなら、実際に結婚した上で『価値がない』と言ってるんだよね?
そんな価値のない<結婚>や<子を生す>ことだけで、
『親の方が優れてる』
なんて、なんで言えるの? 僕にはそれが理解できないんだ。僕自身が、<法律婚>ではないけれどアオと事実上の<結婚>に等しい<パートナーとしての在り方>を選択したからこそ、そう感じるんだよ。
僕はアオとパートナーになったことを後悔はしていない。けれど、それを後悔するような<価値のない結婚>をした親が、どうして子供に対してマウントが取れると考えられるの?




