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ショタパパ ミハエルくん  作者: 京衛武百十
第四幕
477/697

努力ですべてが決まるなら

そうだね。努力ですべてが決まるなら、アオや僕にできてることができてない親は、


『努力していない』


『努力が足りない』


ということだよね? しかも、今では、


『世帯年収一千万円未満は社会のお荷物だ』


みたいにも言われているそうだね? そして、世帯年収一千万円を達成している親が現にいる以上は、


『世帯年収一千万円を達成していない親は努力をしていない』


と言われて当然じゃないのかな? 


『短距離走で世界記録を出したアスリートは、世界一努力したからそれを達成できた。二位以下の選手はそれだけの努力をしていなかったから負けた』


なんて言うのなら、『世帯年収一千万円を達成していない親は努力をしていない』ということにならないとおかしいんじゃないの?


『どれだけ努力したか?』だけで決まるなら、そうじゃないとおかしいよ?


そうして、


<努力のできない親>


は、<ハズレ>じゃないの? 


『努力してないから結果を出せない子は<ハズレ>だ』と言うのなら、<努力のできない親><努力をしてない親>はハズレでないなら何だって言うのかな?


努力だけで語ろうとするのなら、そういう解釈もできてしまうという現実と向き合うべきじゃないのかな? その現実と向き合えないのならそれは、


『現実と向き合う努力をしていない』


以外の何だって言うの?


『世帯年収が一千万円を超えている親が『ハズレじゃない』のなら、世帯年収一千万円を達成できていない親は<ハズレ>』


じゃないのかな?


『努力の仕方も結果も人それぞれだ!』


と言うのなら、どうして、


『結果を出せていない子供は努力していない。怠けているだけ』


なんて断定できるの? 『努力の仕方も結果も人それぞれ』なんだよね? 


『本人は努力したけれど結果に繋がらなかった』


ということじゃないの?


『ちゃんと勉強しなかったのならそれは本人の努力不足だ!』


と言うのなら、


『塾に通わせてもらってそこで効率出来かつ効果的な勉強法を教わった』


のと、


『塾にも通わせてもらえず独学で勉強をした』


のでは、条件が同じだと言えるの? 


確かに、生まれた時点で人間は決して平等じゃない。だからこそ、<努力だけでは埋まらない差>というものもあるはずだよ?


その、<努力だけでは埋まらない差>について<親ガチャ>という言葉を使うのなら、僕はむしろ『なるほど』と感心するよ。


だって、悠里(ユーリ)安和(アンナ)も、


『どれほど努力しても人間としては生きられない』


からね。それについて二人から、


『<親ガチャ>にハズレた!』


と言われても、僕は反論できないよ。


<親ガチャという言葉の正確性>


なんか問題じゃない。僕とアオの責任は、そんなことじゃ誤魔化せないんだ。



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