自身の悪態に同調し共感してくれる人間
『イジメ加害者の親が、イジメをさせないために自分の子供を学校に通わせない』
という、今この瞬間からでも始められるようなことをしないで、
『イジメはなくならない』
『学校は何も対策していない』
なんて、おかしくないかな? 『加害者に甘い!』と口にするなら、自分の子供がイジメをしていることに対して、たとえ内申書に響いて将来にも影響が出るとしても厳しく臨むべきじゃないの? なのに、他者に対しては人生そのものを壊しかねないほどに厳しいことも言うけど、自分の子供の将来に影響するような対処はできないんだ?
それで『加害者に甘い!』だなんて、よく言えたものだよね。
僕が吸血鬼として客観的に見てても、他者に対して強い言葉を使う人間は、
『他者に厳しく自分に甘い』
のが多いように感じるんだけどな。
『言葉を選ぶという手間を掛けたくない自分自身を甘やかしてる』
からね。
本当に大事なことを伝えたいなら、無駄に相手の感情を逆撫でするような言い方じゃなく、穏当に真意を伝える言葉を選ぶべきだと思うんだけどな。
確かに、<相手を揺さぶることで隙を作るという手法>があることは僕も知っているよ。けれど、ネットとかで延々と他者を罵り続けてるような人間達は、それを分かってて使ってるように見えないよ? その<手法>を活かすには、緩急をつける必要があるはずなのに、ずっと、
<KO狙いの大ぶりのパンチ>
を繰り出してるようにしか見えないんだ。そこには<技術>も<戦術>も<戦略>も感じ取れない。それこそ赤ん坊がずっと泣いているような、『自分を見てほしい』という欲求しか見えてこないんだ。
だけどそういうのって、<自分の子供>なら構う必要もあるだろうけど、<他所の子供>が泣いてても構ってくれる人間がどれだけいるの? それこそ赤ん坊が泣いているなら心配することがあっても、いい歳をした大人が罵詈雑言を垂れ流してるだけなのを心配してくれる人間がどれだけいるの?
どうしてそれを考えようとしないの?
他者を妬んで攻撃するような者に同情してくれる人間はそんなに多くないと思うんだけどな。
もちろん、そうやって罵詈雑言を垂れ流していても同調してくれる人間はいると思う。ネットの普及は、かつては出会うことのなかった、
<自身の悪態に同調し共感してくれる人間>
との出会いをもたらしてくれる可能性は高めた。だからこそ、そういう意味での<仲間>を見付けやすくなり、同調し共感してくれる人間がいることで自身の行いが正当なものであると誤解してしまうことになったんだろうけどね。




