これができないという人間もいるよね?
海外に行ってる間にもビデオ通話を通じてしていた<家族の会話>を、今、リビングに集まって僕達はしている。すごく心地好くてあたたかい気持ちになれる。
だけど、これができないという人間もいるよね? 家族を持ちながら、こうして皆で同じ部屋に集まって気軽に自分の思っていることを口にするという、たったそれだけのことができないという人間が。
どうしてできないの? 僕達はこうやって普通に話をしているし、他にもそれができている家庭もあるはずだけど?
どうしてこうやって話ができないのかな? どうしてそれができるように努力しないのかな? 努力すればどんなことでも乗り越えられると豪語する人間なら、当然、やってるんだよね?
もし、たったこれだけのことができないというのなら、『努力すればどんなことでも乗り越えられる』という妄言はやめた方がいいと思うんだけどな。
自分が『努力によってどんなことでも乗り越えてきた』わけじゃないならさ。
しかも、こんな風に言われたら自分がいかに努力してきたかをムキになって説明しようとする人間もいるだろうけど、僕が言ってるのはあくまで、
<努力してこなかった部分>
についてだからね。自分が努力してきたことを列挙してもそれはただ論点を逸らそうとしてるだけに過ぎないよ。
そうじゃなくて、自分が努力してこなかった部分があるという事実から目を背けようとしてるということが問題なんだよ。そして、そんな自分を棚に上げて他者に対して、『努力すればどんなことでも乗り越えられる』と言ってしまえるその性根が問題だという話だから。
吸血鬼もそうだけど、<完璧な人間>がいないことは事実なんだ。いたとしてもそれは例外中の例外で、ほとんどの人間はそうなれないという事実は確かにある。努力してこなかった部分があるなら、他者に対して『努力すればどんなことでも乗り越えられる』なんて言うのは筋違いだよ。
アオと悠里と安和と椿がこうやって互いの意見を口にできている光景を見て、それを改めて実感する。『忙しい』ことを言い訳にして子供とのコミュニケーションを後回しにしている親はそれこそ、『努力すればどんなことでも乗り越えられる』とか口にしちゃいけないよね。
『忙しいことを言い訳にして努力していない』
わけだからさ。
『忙しいことを言い訳にして努力しない』ことと、『自身の境遇を言い訳にして努力しない』ことの何が違うの? そしてこう言うと、自身の正当性を必死になって主張してくるんだよね?




