秋生の日常 その17
秋生と美織が並んで歩いていると、
「おっはよ~♡」
聞き覚えのある明るい声が届いてくる。
美登菜だった。朗らかな笑顔で手を振りながら小走りで駆けてくる。
「よ~よ~、朝っぱなからお熱いですな~♡」
今日は美織が<正妻の日>なので、美登菜もわきまえてくれている。
まあ、元々は美登菜が言い出したことなのだから当然かもしれないが。
それでも、自分から言い出しておいて守ろうともしない者もいるので、そういうことがあると、<決まった段どり>通りじゃなくなってしまい、美織が精神的に不安定になってしまうだろう。
その意味では、美登菜がわきまえてくれていることは実にありがたいと言える。
その一方で、世の中には、この種の<事情>を抱えた者に対して『甘えるな!』的なことを言う者も多いが、はっきりと診断も出るようなそれについて理解を示そうともしない配慮もしない者に対しては、なおさら理解も配慮もしてもらえないというのに、わざわざ自分で生き難い世の中にしようというのだから、まったくもって謎である。
しかしそれも結局、自分が十分に理解してもらえた、配慮してもらえた、気遣ってもらえた実感がないからこそ、理解してもらえて、配慮してもらえて、気遣ってもらえる者を妬んでしまうのかもしれない。
事実、秋生はそんなことで他人を妬んだりしない。<事情を抱えた者>が自分より優先されるとしても気分を害したりもしない。
なにしろ秋生は、家に帰れば、姉の恵莉花と兄の洸と共に、両親から世界の誰よりも理解してもらえて配慮してもらえて気遣ってもらえて労わってもらえて優先してもらっているのだから。
『子供達の存在を全肯定する』
という意味において。
さらには、アオもミハエルも、二人の子供である悠里と安和と椿に次いで、秋生と恵莉花と洸の存在を認めてくれている。
それがあるから、<事情を抱えた者>がその事情に則した形で優先してもらえたとしても、気にならないのだ。
気にする必要がないのだ。
これは、美織だけじゃなく、美登菜や麗美阿に対しても同じ。
家庭では自分と同じようにしてもらえていないことを知っているから、余裕がある自分がその分、配慮する。
けれどそれは、彼女達が他人を際立って傷付けようとしていないからというのもある。ことさら誰かをイジメていたりすれば、よほどの理由がない限り、秋生は関わろうともしなかっただろう。
誰かを傷付けようとしなかったからこそ、彼女達は救われたのだとも言えるわけだ。




