秋生の日常 その13
恵莉花がこうして千華と話をしているその一方で、秋生も今日は<市川美織が正妻の日>を迎えていた。
市川美織は、軽度の発達障害を持っていた。
他人の指示が曖昧だと、その意味が理解できずに適切な対応ができないのだ。
たとえば、
『体育の授業で使うカラーコーンを用意してほしい』
と教師に支持されると、普通は運動場に出すところを、
『体育準備室でそう指示された場合、体育準備室にカラーコーンを持ってきてしまう』
といった具合に、『察する』ということができないのである。
そのため、小学校の頃には、<バカ><ブオリ>などのあだ名で呼ばれ、殴られたり蹴られたり、筆箱や教科書を隠されたりゴミ箱に捨てられたりということが日常的にあった。
そして、美織が、
『他人に隠された。捨てられた』
という発想に至れずにずっとランドセルの中や机の中を探し続ける様子を見て嘲笑するということが当然のように行われていた。
幸い、進学した中学は小学校ほどはいい加減な学校ではなかったので彼女の状態に合わせた指導が行われたために<イジメ>という形は影を潜めたものの、けれど彼女に対する偏見は根強く、<無視>という対応が行われて、彼女は孤立していた。
そして残念ながら彼女の両親は彼女が置かれている状況を理解せず、暗い表情で渋々学校に行く彼女のことも、
『まあ、学校が好きな子供とかの方が普通じゃないから』
と軽く捉えて真剣に向き合おうとしなかった。
実際にはそうじゃなかった。美織は、学校に行くことそのものは嫌いじゃなかった。勉強は必ずしも得意じゃなかったものの、決まった手順を踏めば必ず決まった答に行きつく<数学>で理解できると嬉しかった。
しかも彼女は、出題側が一捻り加えたいわゆる<引っ掛け問題>と呼ばれるようなものには引っかからないという特徴もあった。出題を読んだ時に『思い込みで理解したような気になる』のではなく、『出題の意図をそのまま理解する』からだと思われる。
ただ、単純に計算速度が必ずしも早くないので、時間が足りなくてすべての問題をこなせないという形で点数が下がってしまうというのがいつもだった。彼女にとって十分な時間があれば、ほとんどの問題は正答に辿り着いてしまうという特徴も持つ。
だが残念ながら彼女一人に合わせるということも今の学校現場では難しく、彼女の<才能>を活かすことはできそうになかった。
けれど、秋生はそんな彼女に気付いていた。
「すごいな。よくそんな問題、参考書も見ないで解けるもんだって思うよ」
一緒に課題をしてると、秋生も教科書や参考書を使わないとできない数学の問題を、自分達が教科書や参考書を見ている間に自力で解いてみせる彼女に感心していたのだった。




