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ショタパパ ミハエルくん  作者: 京衛武百十
第一幕
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お互いの考えのすり合わせ

そうやってミハエルとアオは、何度も何度も話し合う。自分達が一緒に暮らしていくために、家族として成立させるために。


『ウザい』


とも、


『メンドクサイ』


とも、


『ダサい』


とも考えない。


何しろ、それを『ウザい』『メンドクサイ』『ダサい』と考えてお互いの考えのすり合わせを行わずにいて、それで修復不可能な段階まで拗れてようやく話し合おうとして、けれどもうどちらも引くに引けない状態になってから、


『相手が話し合いに応じない。聞く耳を持たない』


などと言ってさらに険悪になっていく事例が世の中に溢れていることを知っているから。


『そもそも拗れさせないように普段から話し合う』


ことを心掛けているから。


そして何より、それができる相手をお互いに選んだからそれが成立する。


仕事でもそうだ。意見のすり合わせができない相手と上手くやっていくのは困難のはず。


ましてや子供とどう接していくかなんて、子供を持つことを選んだ夫婦であれば最重要な部分だろう。


ミハエルとアオはその<当たり前>を心掛けているに過ぎない。


そうすることで一緒に幸せを作り上げていく。


相手が一方的に与えてくれることを期待しない。




そんな二人に見守られ、悠里(ユーリ)はすくすくと育った。


一ヶ月半で<掴まり立ち>。


その翌日には普通に立って、


『どやあ!』


みたいな自慢げな表情でミハエルとアオを見る。


もうこの表情だけで他の動物とは違うことが分かる。この時点ですでに複雑な精神活動を行っている証拠だ。両親を認識し、両親と自分の関係性を認識しつつあるからこその表情だった。


だからミハエルもアオも、悠里(ユーリ)のことを<他者>として敬った。


もちろん悠里はまだ赤ん坊だからできないことは数限りなくある。ミハエルはおろかアオよりも非力で脆弱で、両親の助けがないと生きていけないことも分かっている。


けれどそれは、相手を見下し侮り蔑んでいいという免罪符には決してならない。むしろ、この頃の両親の自分に対する姿勢を見て育ったからこそ、悠里は、ダンピールである自分に生物として遠く及ばない<人間という種>を見下さずに済んでいた。


<自分にできることができない相手>


をどのように見ればいいのかを、両親に手本として示してもらっていたから、難しく考えなくてもそれと同じことをするだけでよかった。


ミハエルやアオがこの時点で悠里を、


『どうせ動物みたいなものだ。難しいことも分からないだろう』


と見下し侮っていれば、彼は、人間のことを、


<自分よりはるかに劣った存在>


として見下すことを学んでいただろう。


ミハエルもアオも、特にアオに至っては我が子の愛らしい姿にデレデレになりながらも、溶けそうなくらいに表情を緩ませながらも、単なるペットのように軽く見て侮っていたわけではなかったのだった。



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