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ショタパパ ミハエルくん  作者: 京衛武百十
第二幕
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過去を、歴史を

はっきり言って、四十五口径程度の拳銃では、吸血鬼やダンピールを怯ませることさえできない。


セルゲイやミハエルも言っていたけれど、複数の重機関銃による集中砲火を浴びせて再生が間に合わないようにでもしない限り、吸血鬼やダンピールはダメージを受けない。


しかも、元人間である眷属や半分人間であるダンピールであれば再生能力にも限界はあるものの、純血の吸血鬼は、たとえ肉片になろうとも時間さえあれば再生できる。


以前に触れたように、第二次大戦末期の原爆使用は、吸血鬼への効果の実証という知られざる目的があったが、至近距離で数万度の熱線を十数秒に亘って照射することでようやく倒せるのが、<純血の吸血鬼>というものだった。


もっとも、それさえ、消滅してからまだ数十年しか経っていないので、実は本当に消滅させられたのか、現在も経過を確認中というのが本当のところだったりする。


場合によっては、さらに時間が経過したところで復活する可能性もまだ否定はされていないのだ。実際、完全に塵となった吸血鬼が一万と一日後に復活したという伝承さえある。


そもそも、現時点で解明されている範囲では吸血鬼もあくまで<生物の一種>とはされているものの、その説さえ確定はしていない。


なにしろ、吸血鬼の能力の源とみられている<微生物らしきもの>の正体さえ掴めていないのだから。


そこまでの存在である吸血鬼と、その能力の多くを受け継いでいるダンピールに、たかが人間の子供ではかすり傷一つ負わせることはできない。


とは言え、精神的には、肉体の面ほどの乖離はないので、嫌がらせをされれば傷付くこともある。腹が立つこともある。安和(アンナ)の様子がまさにそれだろう。


そして、エンディミオンが抱えていた<闇>は、それに起因している。


そう。肉体の強さと精神の強さは必ずしも比例しない。だから、悠里(ユーリ)や安和の<精神>を、<心>を、ミハエルはとても大切にした。それを蔑ろにしたことで何が起こったのかは、歴史が明らかにしてくれてる。


そんな先人達の失敗を活かすことができなければ、何のために<知能>などと呼ばれるものを持っているのかが分からない。


何のために、過去を、歴史を、学んでいるのか分からない。


それができたからこそ、今の悠里や安和がいる。


しかし、だからといって、過ちを犯した祖先達を『愚かだ』と嘲るつもりもない。知らないことはできなくて当然だから。となれば、『愚か』なのはむしろ、過去や先人達の失敗から学ぼうとしないことかもしれない。


ミハエルは父親として、そういうことについても子供達に伝えていきたいと思っている。



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