馬鹿にしないようにね
『安和もさ、セルゲイのことをたくさん知ろうよ。彼のいろんな面を紐解いていこうよ』
アオのその言葉に、安和はホッとするものを感じていた。言われてみれば確かにその通りだと思えた。
父親のミハエルや兄の悠里と一緒にいるととても安心する。居心地がいい。穏やかな気持ちになれる。
でも、セルゲイは違う。彼のことを想うだけで心が躍って、楽しくなる。嬉しくなる。世界がバラ色に見える。
『違う』ということがなるほどこんなにも意味のあることなのかと思う。
と、同時に、アオは言う。
「その一方でさ、なんかさ、世の中には女性がいくつになっても自分のことを<女の子>だと思ってるのを馬鹿にする人がいるけど、それ言ったら、男性がいくつになっても<少年の心>とかいうのを持ってるのも馬鹿にしないとおかしいんだよね。
どっちも同じことなんだよ。男性だっていくつになっても<男の子>の部分がなくならないように、女性だって<女の子>の部分がなくならないってだけだよ。
それを理解ができないからって馬鹿にするのはおかしな話なんだ。
男性と女性って、違ってる部分もたくさんあってその違ってること自体に意味があるんだけど、似たような部分もあるんだってことだよ。
そしてどっちも必要なんだろうね。
お互いにそれを馬鹿にしてたら楽しくないじゃん。
だから安和もさ、あんまり馬鹿にしないようにしないとね」
「あ…うん、そうだね」
こうして、アオは自然な流れで『馬鹿にしないようにね』と諭していった。
こんな風にしてくれるから、安和も素直に『馬鹿にするのは良くない』というのは理解できた。理解できるけれど、家族が相手だとついつい気易くて悪い言葉も出てしまう。
でも、他人に対しては使わないでおこうとは思えるから、実際、他人には使わないように心掛けてはいる。
ただそれも、あまりに感情が昂るとその限りではなくなったりもするけれど。
でも、『良くないことだ』と思えているのと、まったくそう思わないのとでは、やはり違うのだと思われる。
他人を口汚く罵ることを正しい行いだと思っている人間は、歯止めが利かないから。
正しいと思えばこそ、相手を罵らずにはいられなくなる。
それは結局、先日のゲリラ達の行いと同じことだ。彼らも自分達が正しいことを行っていると思うから他人を傷付けるような行いでもできてしまう。
自分のしていることが客観的に見て正しいと思えるかどうか、それを考える勇気は大事なのだろう。
アオもミハエルも、子供達にそれを教えてきた。その勇気を持てるようにたくさんのことを考えてきたのだった。




