奇跡5
「俺よりユキチの方が心配だろ。
みんなで見て来てくれねえか?」
「あら、大介くん。
心配してくれてありがとう。
確かに後遺症があるみたいなの。
少し心配だわ」と薫が答える。
すると大介は、
「そうか、あの状態では俺より衝撃が
強かったはずだから無理もないな。先生は何て言ってるんだ」
「それが記憶喪失だって」と即座に答える薫。
「嘘だろ、俺たちのこと全くわからないのか」
「大介くん、そうじゃないみたい。
記憶するのが難しいらしいの」
「じゃあ、俺たちのことはわかるんだ」
「先生の話では最初自分が
誰なのかわからなかったみたい。
だけど、1時間ぐらいしたら
自分の名前を話し始めたそうよ」という薫に対して、
「自分の名前がわかるなら
大丈夫なんじゃないの」と紀子。
「そうであってほしいんだけど、
担当の看護師さんと話さないとわからないわ」
「薫さん、心配なのはわかるけど、
あまり深刻な顔をしてほしくないな。
だって本人が一番心配しているはずだから…」
と大介が神妙な顔で話す。
「あら、やさしいのね大介。
夕子さんのことがそんなに好きなの」
「母さん、茶化している場合じゃないだろ。
治療方針だってあるはずだから、ちゃんと聞いてこないと」
「そうだわ、大介さんの言う通り。
本人が一番心配しているはずね。気をつけないと」
と薫も母親の顔をのぞかせる。
「ほら、サッサと行った行った。
身内で話しても無駄だって。
専門家の意見を参考にした方が早いよ」
と大介がはやし立てる。
「大介、わかったわ。
あなたも夕子さんに早く会いに行きなさい」
「会いたいのはやまやまさ。
でもひとりでは身動きがとれねえし。
中途半端な状態では会いたくないよ、母さん」
「ありがとう大介さん、じゃあ、
悪いけど夕子のところへ行ってきます」
と薫は軽く大介に会釈をして、
3人揃って病室をあとにした。
洋子はひとり複雑な心境でいた。
大介は思っていたより意識がしっかりしていて、
事故のダメージが少なく見えた。
でもユキチの場合は違うらしい。
前のような元気な姿に戻ってほしかった。
でも、どこかで元のようになってほしくない、
との思いも正直少しはあった。
大介を独り占めしたい、
という気持ちが心の奥底に隠れているのは、
自分でもわかっていた。
中学時代から大介がずっと好きだったし、
いつも大介だけを見つめていた。
だから、高校が別になり、
魅力的なユキチが現れ、
内心おびえていた。
彼女は自分よりも才能があって
美貌も兼ね備えている。
だから大介がユキチを好きになるのは
当然と言えば当然だった。
もし、ユキチが元に戻らなければ、
大介の関心も自分に向けられるかもしれない。
そんな思いを感じていた時、
「洋子さん、売店に行って
みんなの飲み物を買ってきてくれる」
と薫が千円札を手渡した。
我に返った洋子は、
「何がいいでしょうか?」と返答すると、
「そうね、カフェインの入ってないものがいいわ」
「わかりました、何かジュースでも買ってきます」
とユキチのために持ってきた荷物を紀子に手渡し、
頭を切り替えて洋子は、エレベーターホールを目指した。
そして、
「いけない、いけない。
相手の弱みに付け込むなんて、
なんて卑怯なのかしら。
今は全力でユキチさんを守らなければいけない。
私は人間として本当に失格ね。
こんなんじゃ大介に嫌われてしまうわ」
と自分をいましめながら、
以前のふたりの笑顔を思い浮かべていた。