第五話 暗影・下
中南部基地(桜ヶ丘基地)代表 螢田茜 様
北部防衛隊長 袴田萌花 様
こんにちは。
中部基地の平松です。
本日、×××××も、×××××でした。
そのため、×××××の、×××××を、×××××しました。
多少×××××に×××××が×××××、×××××に×××××。
どうか×××××。
新西暦十九年 ×××××
中部基地代表 平松悠未 (信号解読 晴嵐咲)
*
「んん‥‥‥」
ベッドから、黒髪の少女が起き上がる。目をこすって辺りを見回す。窓のない部屋、電気は点けっぱなしで、床にはポツポツと物が散乱している。
映った鏡には、凄惨な事になっている自分の髪が浮かんだ。光は、ベッドに目を遣る。すると、傍には咲がくっついていた。彼女はよだれを垂らしながらぐっすりと眠っている。中学三年生とは思えないほど、幼い寝顔だった。
時計の針を見ると、午前四時過ぎを指していた。起きて何かを始めるには、少し早い。光は咲に布団を掛け、電気を消し、部屋から立ち去った。
咲の部屋から廊下へ出ると、自動点灯の明かりが出迎えてくれた。窓が一つもなく、真っ白な壁が鏡のように、自分の姿を投影していた。
光は自室に戻る。しかし、一度目を覚ましてしまうと、もう一度寝るには多少たりとも時間を要する体質だった。
光は、異国語が側面に書かれている本を手に取った。その本は、少年が国を救い、平穏な暮らしを手に入れる話だった。数回、目を通した本なので、光はパラパラと、ページを捲って、読み飛ばす。
途中まで読んで、本棚へと戻した。そして、なんとなくで別の本を手に取る。この本も、異国語で書かれていた。
「あっ」
本のページとページの間から、しおりの先端が見える。そこのページを捲ると、たんぽぽの押し花を挟んだしおりがあった。
これは、十三の時に咲から貰ったものだった。光は、当時のことを思い返す。あの頃は、色々とあって、迷惑を掛けてしまっていたことが最初に浮かんだ。
(いつか平和になったら、恩返しの一つや二つはしなくちゃな‥‥‥)
光は、遠い思い出に浸る。しおりを本に挟み、枕元に置いた。ベッドに身を置くと、体が徐々に重くなり、沈むように再び眠りについた。
*
朝起きて、茜がリビングに向かうと、光が朝食のカレーを温めていた。それとは別に、弁当用に何かを作っているのが垣間見えた。弁当箱を見るのも久しぶりだと感じた。
「おはよう、茜」
「おはよう。朝早いんだね」
「今日は偶々だよ」
茜が起きる時間も、螢田隊の中では断トツに早かった。それは、主に咲と蓮が起きるのが遅いというのも、原因だが。
「咲とか、ちゃんと朝ごはん食べてる?」
「あんまり。食べている方が珍しいかも。蓮も似た感じよ」
「で、茜はこれを食べていた。と」
光は、キッチンとリビングの間にある。三十センチ程の板の上に、携帯食料を載せた。キッチン周りを整頓した時に、見つけたらしい。
それは、確かに茜の朝食だった。螢田隊に、手料理は縁遠いものだったから。
「ま、食べないよりかはマシだけどさ、せめて普段の中高生が食べているようなものを選んでいこうよ」
そう言って、光はテーブルの上にカレーライスの乗った皿を置いた。
「ありがとう。いただきます」と、言ってから、茜はスプーンを手に取り、食事を始めた。
光は、リモコンを手にして、テレビの電源を入れた。テレビモニターの位置は、キッチンからもよく見える場所だった。
「別に、特段面白いものは無いと思うよ」
茜はそっけない態度で言った。実際、どこのチャンネルも、侵略者に対するニュースばかりだった。
時には、目を疑うような見出しも有った。
「これって、検閲とか、されていたりするの?」
茜は答えなかった。一瞬、空気が凍りつく。光は、そういうことだと推測した。
「咲と蓮を起こしてくる」と、光は言い、廊下への扉に近づく。
「蓮は私が起こすよ。起こし方も慣れてるし」と、茜は答えた。
「じゃあよろしく」と、光は言って、扉の向こうへと行った。
茜は、食事に一段落が付いたら行こうと思い、スプーンを動かした。しかし、ふと違和感を感じ、皿へと目を向ける。
(食べ終わってしまったか‥‥‥。何か、名残惜しい気持ちだな)
茜は、気付かぬうちに完食してしまったことを、どこか寂しく思った。
(それよりも、蓮を起こさなきゃ)
茜も、扉の向こうへと行った。その足取りは、普段よりも早かった。いつの間にかに、完食してしまった寂しさを蓮にも味わって貰いたいと、思ったからかもしれない。
*
誰かに肩を掴まれる。手でその腕を触る。モチモチと柔らかくて、滑らかな肌触り。とても触り心地の良いものだった。
咲はその腕を撫でるように伝って、手首を両手で包み、頬へと運ぶ。頬から触れる手は温かく、離し難いものだった。
しかし、その手は、頬を抓るという形で牙をむく。ほんのりとした痛みに呼応する形で、咲は目を開ける。そこには、既に制服へと着替えている光の姿があった。
「あれ? 帰ってたの‥‥‥?」
寝起きで薄い意識の中、咲は呟く。瞬間、背中に強い力をゆっくりと受け、咲は起き上がる。
直後、光の顔が、薄っすらと見え、唇に、柔らかい感触が走った。
咲の意識が急速で戻る。咲はベッドから飛び降り、走って光を追いかける。
咲は光の背中に飛び乗る。
「どうしたの? そんなにムキになって」
光は何気なく聞く。
「さっきのだよ! さっきの! わたしの知っている光はそんな大胆じゃないぞ!」
食いつくように咲は言う。光は咲の腕を解き、咲を降ろして振り向く。
「んーでも、目は覚めたでしょ。ちょっと恥ずかしかったけど」
光は、ニヤけた顔をしていた。
「このー!」
咲は半ばやけくそな気持ちで、光に飛びついて押し倒す。
「ちょっ! 痛っ! ‥‥‥何するのよ咲! って、どこ触ってんの!」
咲は光の服の中に手を入れ、上半身を弄る。
「わかったから! くすぐったいからやめて!」
光の大きい声が廊下に響く。咲は手を止めようとしない。
咲は弄る手の片方を、光の下半身へと走らす。しかし、その時、右の部屋のドアが開く。
おそるおそる咲がその方向に目を遣ると、茜と目が合った。後ろには、眠気のせいか、目を擦っている蓮の姿がある。
「えっと‥‥‥。これは‥‥‥、違うんです」
青ざめた顔をして、咲は震えた声で言う。咲はゆっくりと光から体を離し、茜の前に正座する。茜の冷たい視線が、前髪から垣間見えた。
咲の体重から開放された光は、息を吐きながら起き上がり、ずれたアンダーウェアを戻し始める。
「あの‥‥‥、その‥‥‥。ごめんなさい」
縮こまった声で咲は言った。茜は少し黙ってから口を開けた。
「次から気をつけなさいよ」
どうやら、今回きりは許してくれたみたいだ。正座する咲の横を、茜と蓮は通り抜け、リビングへと向かっていった。
「はー。危なかったー」
咲は肩を降ろし。足を崩して、安堵する。
「危なかったー。って、咲が自らやったことじゃない」
「だって、あんな早く南雲先輩が起きるとは思わなかったんだもん」
「だからといって、こんな固い床に押し倒してほしくないなー。めちゃくちゃ痛いし」
「それは素直に謝るよ。悪かった。ごめんね」
咲は髪の毛を軽く搔きながら言った。親しい人に謝るのは少し照れくさかったみたいだ。
「ま、兎に角時間もないし」
光は床に手をついて立ち上がる。体をリビングの方に向けた。
「早く朝ごはんにしましょ」
光はリビングの方に歩き出した。引っ張っていくようなその後ろ姿が、咲にはなぜだか、ちょっと悔しかった。
*
学校。
今日は光が、咲を見送っていた。桜ヶ丘中学校は、桜ヶ丘高校よりも少し遠い。だから今まで、蓮と分担して見送り、迎えをやっていた。そのためか、蓮と一緒に登校するのは久しぶりだった。
今日も席に空きは多い。それに、授業を禄に受ける生徒も微小にしか居ないためか、先生の授業の質も日に日に落ちていっているのがよくわかる。
光は、茜の隣の席に位置していた。光にも、授業の質が杜撰であるのが伝わり、光は授業と関係ない書物を読み始める。
茜には理解ができない文字で、その本は書かれていた。
『ねぇ』
光が心に言葉を唱えた瞬間。世界が黒く塗り替えられる。
ここは、光の内面に作られた場所だった。
光は、一匹の狼の背に乗っていた。白と紫の、狼にしては少し短い体毛で、長くフサフサの尻尾。耳は細く小さい。
辺りは一面真っ暗で、どこに続いているのは、この世界を形成させた光ですら分からない。そして、光以外の人物は、誰一人居ない。
狼は首を上げ、光の方を見る。
「何だ?」
少し濁りが入った、壮年の男性の声。その声は狼から発せられる。
「何でも。ただ、学校ってのが暇すぎるから、遊びに来ただけ」
「全く、お前っていう奴は」
狼は呆れて、そっぽを向く。
「冗談だよ。何か、妙な気がしたんだ。何か、嫌な予感が」
「それで、俺にどうしろと言うんだ」
「マカ、あんたの考えが聞きたい」
マカ、と呼ばれた狼は、ゆっくりと光に視線を向ける。
「言ってみろ」
すると、光が右腕の上に、タブレットのモニターのようなものを浮かべる。
「──先ずは、味方陣営の配置。『全てを守ろうとするものは、全てを失う』。これは、防衛における基礎だ。要所に戦力を集中させ、他は最低限度に留める。逆に、その理論で私をこの基地に置くのは、昨日茜が言ったように、違和感がある」
「作戦指揮は誰だ」
「白井さん。あの人がそんなことを知らない訳がない」
光は、モニターの画面に別のコンテンツを映す。
「次に、敵の動向。先日まで、咲から聞いた話だと、敵戦力はここから北上した中部基地と、ここから東南東に位置する本部基地に集約していた。けれど、勝利を目前として中部基地を撤退した。これは、戦力の無駄遣いだ」
「これから導き出されるのは、相手に中規模の軍勢の手駒があるということだな。もしかしたら、こっちに来るんじゃないのか」
「それはないでしょ。だって、私とマカが居る。昨日の戦闘で、私の存在は、既にバレているはず。なら、本部に集中されたほうが、納得がいく」
「確かに、本部へ軍を向けるのは十分に有り得ることだ。本部周辺の地形は何だ?」
光は、地図のような画面を映す。
「市街地。ノーヴァム首都だから、相当なものじゃないかな」
「そうか。それなら、首都に過密集中攻勢を掛ける指揮官は、率直に言って馬鹿だな」
「どうしてそんな事が言えるの?」
光は訝しげな顔をする。
「市街地っていうのは、入り組んでいる故に、戦力を集中させづらい。組織的に攻撃するのは、かなり難航するはずだ。ましてや、スコーピオンのような、ドール主体なら‥‥‥」
黒の世界から、教室へと、風景が戻る。そして、机をコンコンと叩く音がする。茜の手だ。
光が茜の方に目を向けると、茜は黒板を指差した。
藍原光。黒板にはそう書かれていた。どうやら転校生紹介の時間らしい。本当は朝の授業開始前にしたかったけれども、職員会議でできなかったからか、担任が受け持つ授業で補う形となっていた。
光は、静かに教卓へと向かう。小柄で、整った容姿をしていた彼女に、男女両方の視線が集まる。この教室に静寂が訪れるのは、珍しい。
『結局俺が言いたいのは、一言で表すとだな』
ゆっくりと歩きながら、光はマカの声に耳を傾ける。
『お前の顔は広い。だが、この世界はそれよりも広い』
光の足音だけが、教室を駆ける。
『つまり、どういう事』
光は、黒板の前に立つ。多くの視線が集まった。
『お前を知らない国だって、星の数ほどあるってことだ』
警報が、四方八方から鳴り響く。市内放送や携帯から湧き出る不協和音は、建物内外に反響し、不快感を増していく。
茜は、警報が鳴り響いた瞬間。反射的に窓から外を、瓦礫が作る水平線を見た。茜は、狼狽した。おびただしい数の黄色い眼光が、こちらを向いていた。
数は、千を軽く超えるだろう。教室内は、恐怖のどん底に落とされていた。それも無理はない。ここの地区は、侵略者の襲撃から、命からがら逃げてきた人が多数を占める。
この警報音だけで、フラッシュバック等といった事が瞬時に起こり、身動きが取れなくなる者、気が狂ってしまう者は、そう少なくない。
瓦礫を見ただけで、障害が発生する人もいた。空席の理由にも、少なからず見受けられる。
つまり、簡単に言うと、『学校全体がパニック状態になっている』ということだ。
震えて動けない人を除いた大部分は、非常に早い速度で、教室から逃げ出した。避難訓練も真面目に行っていない学校だった。統制・規律などといった言葉は、もう幻想に帰している。
教室に残ったのは、震えて動けない人、ただただパニックになって、泣き叫ぶ人、それに寄り添う人。喧騒が、廊下から、五月蝿いぐらいに教室へ伝わる。教室の向こうの状態は、茜にはわからない。
茜も、初めて目の当たりにする数の軍勢に、目を泳がせる。この空間で冷静を保っていたのは、光、唯一人だけだった。
『マカの予想。どうやら大当たりみたいだね』
『ほらな。で、どうする。このままじゃ、この辺は火の海と化すぞ』
『その為に、マカと私が居るんでしょう?』
心中で会話をしながら、冷静な動作で、窓へと歩く。
茜の心は、絶望の淵に立ち、その場に座り込む。
(あの数は、とてもじゃないけれど、捌ききれない)
茜は目を伏せた。半ば、諦めるように。
暗い絶望に身を全て投じようとしたその時、襟を引っ張られる力を感じる。目を開けて、顔を見上げると、光の姿が、目に映る。
「私達は負けない。その為に、私達が居る」
冷静だけれども、芯のある声だった。
「でも‥‥‥」
茜には、勝てる確信は無かった。もう、今にも泣き出しそうなぐらいに、茜は縮こまっていた。
光は、しゃがんで、茜を見つめる。そして、左手で頭を撫でて、右手で背中を優しく叩いた。
「大丈夫‥‥‥。私が居る限りは、茜や、蓮。咲を傷付けさせたりしない」
茜の目を強く閉じ、今にもこぼれそうな涙を抑えた。
「けれど、皆を助けるには、茜達の助けが必要‥‥‥。だから、戦って欲しい」
命の恩人だった光の体温は、あの時と同じ、特別な温もりを感じた。印象が変わっていても、これは変わらなかった。
それに、自分と同じ目に遭う人は、もう見たくは無い。
「ありがとう。‥‥‥やっぱり今でも、戦うのを怖がる自分が、心の奥底に、居たんだ」
「戦いは、私だって怖い。けれど、そのお陰で、私達は自分も仲間も守れる。──そんな気がする」
茜の嘆きに、光は優しく答える。光が立ち上がるのに合わせ、茜も立ち上がった。
「さぁ、行こう」
光の言葉に、茜は何かを決心した顔で、小さく頷いた。
二人の衣装が、制服から、戦闘体時の服へと変容する。二人は今、敵陣へ飛び立たんという目つきで、地平線を睨む。
不気味で、おびただしい数の黄色い眼光を携えた軍勢に向けて。
ここの枠を借りて、軽いキャラ紹介でもさせていただきます。
*
螢田茜
誕生日 10月18日(15歳)
身長 157.1 cm
血液型 A型
好きなもの 家族・友人・鍛錬
作者コメント 一応主人公です。真面目ちゃん。家族を殺されたのでインベーダーに対して復讐心がめちゃくちゃ強いです。でも、結構臆病な子です。赤メガネ。Bカップ。
藍原光
誕生日 5月7日
身長 153.0 cm
血液型 A型
好きなもの 友人・家族・平穏な暮らし・食事・読書
作者コメント この物語前半の動かし役、兼、前後の時系列における重役です。元はこの子中心で書いていたので、今ですら主人公が逆転する減少ががが。Aカップ。ひんぬー。
南雲蓮
誕生日 2月16日(15歳)
身長 155.3 cm
血液型 O型
好きなもの 手芸作品・茜
作者コメント のんびり屋さん。桜ヶ丘基地の戦闘員は二人共臆病です。人見知り。茜は受け、良いね? (謎発言) Dカップ。大きい。
晴嵐咲
誕生日 7月20日(14歳)
身長 151.0 cm
血液型 A型
作者コメント 元々は桜ヶ丘基地のバランサーだった。けど、光に対する依存体質を茜に知られてしまう。光の過去を深く知る人。光と咲の間柄は多分恋人レベルだったはず。さて、2年の別離を経てどうなるのか(ヲタク特有の早口)。Bカップ。光より大きい。茜よりは小さい。
*
今回はここまでです。それでは、次回以降もよろしくおねがいします!