カモフラージュは定番
「生きてる……生きてるよ俺」
奇跡としか言いようがない。
墜落する船から最も落下しやすい位置にいた俺は、案の定空へと放り出された。最後に覚えているのは、ユリアの心配した表情と伸ばされた手。
そこから遠ざかり、自由落下をはじめて数分。
意識を取り戻したとき、俺は市場のような場所に落下していた。
「怪我ひとつないとか、どうなってるんだ」
運よく、俺が落ちたのは出店の屋根にあたる部分にあたる赤い布だった。天井代わりに張られた布に落下したことで衝撃が殺されたのだろう。
この布がなければ、俺の下敷きになったトマト同様グチャグチャの肉塊になっていたことは間違いない。
「しっかしまあ……」
ゾンビに囲まれたいま、助かったと言っていいのだろうか。
気が付けば、周りには声にならない唸り声を上げ続ける化物の群れが押し寄せていた。
マガジンはまだある。とはいえ、ここでバンバンゾンビを撃ったところで、藪蛇だろう。
ゲームとは違う。どれだけゾンビを殺したところで、そこのエリアでゾンビが湧かなくなるかは別の話だ。
「あっちも無事だと良いけど……」
途中までは覚えているが、船がどこに墜落したのかは分からない。そこまで辿り着ければ、の話ではあるが。
「やるだけやりますかね」
ちょうど、足元には潰れたトマトが大量にある。
ゾンビの群れから逃げ出す最善策は、まだ残されているはずだ。
ゾンビがゾンビを襲わない理由は何か。
それは、人間か否かを判別しているからだ。つまり、彼らには何らかの判別能力があり、逆に言えばその判別を誤魔化せれば人間を襲わなくなる。
その、最適解がコレだ。
「うぁぁぁあああー」
トマトを頭からかぶり、服を切り裂き。
精一杯、ゾンビであることを演出する。
決してふざけているわけではない。
「あぁぁぁっ、ぁぁぁぁああー」
現に、フラフラ動くゾンビに紛れても誰も俺を噛もうとはしない。
それどころか、意志疎通もできそうなくらいだ。
「あぁぁぁぁぁっ(今日はいい天気ですね)」
「ぁぁっ、あぁあああっ」
「うぁぁっ、ぁあああぁあっ(分かる分かる、あれは辛いよなー)」
「あっ、あああああ!」
「うぁぁぁっ、あああっ、あぁぁぁ(それじゃ、またあとで)」
この通りだ。
完璧すぎる、このまま城まで辿り着けるのではないだろうか。
「うぁぁああっ、ふぅあぁ?」
……ヤバい。
くしゃみが、出る。
「うぁぁっ、あぁっ、ああっ」
収まれ収まれと思うほどに、くしゃみしたい欲求がせり上がり。
「ぶえっくしっ!」
盛大に、ゾンビの群れの中で大声が上がった。
「……あー、それじゃ。お疲れ様っした―」
何気なく移動すれば、見逃してもらえるんじゃないでしょうか。
「あぁぁぁぁっ!」
無理でした。
「あー、もうクソッたれ!」
幸い、正面のゾンビは数が少ない。
剣はどこかに投げ出されてしまったが、俺の手にはまだ銃が残っている。
「死ね、もう死ね、早く死ね!」
投げやりになって正面に並ぶ頭をひとつずつ吹き飛ばす。
撃った弾は6発、あと6発でリロード。それを頭に叩き込み、実を屈めて走り出す。
「――やっぱ、おかしいよな」
ド素人の俺が銃を撃って、全弾命中するなんてあり得るはずがない。
そもそも、リロードの仕方から何まで全部把握している記憶なんて、俺にはない。
「これも、女神さんのお土産なのかね!」
真横から迫るゾンビの頭を吹き飛ばしつつ、振り返る。
正面のゾンビはすべて片付けた。あとは、後ろに並ぶ数十匹の糞共との全力鬼ごっこだ。
走りに走り、走りぬく。
体中に塗りたくられたトマトが乾燥して、リアルな血糊のようになっても走り続ける。
気が付けば、背後から追ってくるゾンビの数も減っている。途中で見失ったか、倒れ込んだのか。何にせよ、有難い。
あとはこのまま、路地裏でも通って逃げ切れば万事解決……。
「あ」
「――ッ!」
路地裏に入ったところで、金髪が見えた。
次に、銀色の光が。
「はひぃぃ!」
身体を全力で捻ると、ビュンと風を切り裂く音が耳元を通り過ぎる。
剣の元を辿れば、そこには細剣を顔に突き刺そうとして来るユリアの姿があった。
「おお落ち着け、ユリア! 俺だ!」
「……まだ、生きてます?」
「これトマト、カモフラージュトマト!」
「では、少し身体をどかしていただけると。背後のアレを対処しますね」
俺の生存を確認して安堵のため息を溢しながら、ユリアは顔を上げる。その瞳には、強い闘志が宿っていた。
「よろしくお願いします」
「はい、それでは」
路地裏から飛び出したユリアが道を塞いでいたゾンビを蹴り飛ばし、次いで瞬く間にゾンビの首がふたつ撥ねられた。
接近するゾンビを軽やかに躱し、そのまま足元を蹴り1匹のゾンビが地面に落ちた。すかさず、頭を剣で突き刺すと、残るゾンビも一瞬で片付けてしまった。
「いや、銃なんていらないわコレ」
剣強すぎワロタ。
ファンタジー業界の人にちっぽけな兵器が勝てるわけがない。
「イツキさん、ご無事で何よりです……しかし、怪我ひとつありませんね」
「運よく、市場に落ちてね」
「運良くで済ませる話じゃないと思いますそれ……まあ、細かい話は後にしましょうか。さきほど、ちょうど良い避難場所を見つけました。一度そこで休憩しましょう」
「おう、さすがにちょっと疲れたわ」
銃を撃つだけの簡単なお仕事とはいえ、全力疾走を続けるのも大変だ。
何より、船から落下してから一切の休憩が挟めてないのが辛い。本来なら今頃、お城でゆったりお茶でも飲んでいてもおかしくはないのだ。
少しくらい、休憩が必要だろう。
「ああ、イツキさん」
「ん?」
「その神器、緊急時以外は使わないでくださいね」
「うい」
余計な事するなよ、と釘を刺されながら、先行するユリアの背中をとぼとぼと追いかける。
拝啓、女神様。
神器、全然役に立ってない気がします。
ユリアが見つけたというのは、どうやら街の相談所のような建物らしい。
受付に待合室、資料室等がある大きな建物の中に身を隠した俺達は、水を浴びるように飲んで椅子に座った。
「んで、ほかの人は無事なの?」
「おかげさまで、防御結界の発動は間に合いました。唯一無事が確認できなかったイツキさんも、何とか生きていたようですし」
「そりゃ良かった……で」
全員が無事ならそれに越したことはないが、根本的な問題は解決されていない。
「船を墜落させたアイツは、何者なんだ?」
「あー……あまり気分の良い話ではないですよ」
あまり話題にしたくないのか、お茶を濁すユリア。
とはいえ、あれだけのことをされて何も知らないというのも気味が悪い。
「すでに気分は最悪だから、ぜひ話してくれ」
「まあ、黙っていても仕方ないですしね」
ユリアは自身の剣の手入れをしながら、ため息を溢した。
よほど話したくないのだろう。それでも、ユリアはぽつぽつと話し始めてくれた。
「死霊魔術の使い手……国際指名手配犯です」
「死霊魔術?」
「まあ、そう来ると思いました」
どうやら、これも世間一般ではみんな知っている常識らしい。
俺がそんなことも知らない、一般常識の欠如した男だと分かってくれるユリアさんは、そこまで説明をしてくれる。
「人の命を糧にして発動する禁術です。すでに我々は体感しましたが、代償の代わりに絶大な力を発揮する魔術です」
「命を糧って……命削って剣飛ばしてるのかよ」
「……それが、自分の命であれば止めはしませんが」
心底悔しそうに、ユリアは剣を磨く。
まるで、その魔術を使用する主を自分で斬り殺してやろうとでも言いたげなほど、苛立ちに満ちていた。
「ゾンビを操っているのも、十中八九あの者でしょう。国の人々をゾンビに喰らわせ、それを糧に魔術を使っているようです」
「んじゃ、一連の騒動の黒幕ってことか」
徐々にオチが見えてきた。
この世界で起きている出来事が現世のストーリーを元に構成されているのだとすれば、当然ラスボスがいて然るべきだろう。
「問題は、次にあの者が向かう先です……あれだけの規模の魔術を行使した以上、魔力切れが起きているはず」
「どこかに隠れて機を窺っているとか?」
「いえ、闇魔術の使い手である以上、ゾンビを街中に散開させて人々を襲わせるだけで充分魔力は補充できます」
聞いているだけで頭の痛くなる話だった。
無限に湧いて出そうなあのゾンビすべてが敵の養分になるなど、考えたくもない。根絶やしにしていたらキリがないだろう。
「隠れているなら、まだ良かったのですが。すでに騎士団はあの者のことを感知して、捜索も始めています。そうなれば当然、敵も急いで魔力の補充を図るはず」
「どこか、人が隠れている場所が襲われる可能性があるのか」
「ええ。避難所が襲われれば、そこにいる人達は皆殺しにされるでしょう……なんとしても止めなければ」
「避難所……避難所!?」
ある。
一箇所、人が避難している可能性が高い場所が。
「ユリア、教会だ。あそこには人がいるはずだし……ゾンビを寄せ付けない結界が張ってあるって言ってた」
「……マズイですね。あれだけの魔術師であれば、結界の感知は容易にできるでしょうし。こうしてはいられません」
同時に立ち上がり、窓から外の様子を確認する。
ゾンビの数は少ない。この程度であれば、走って突破することも可能だろう。
「行きますか」
「ええ、急ぎましょう」
扉の前について、一息。
ここから先は、また地獄だ。
「ああ、そうだユリア」
『何でしょう?」
「助けに来てくれてありがとう。おかげで何とか生きてるよ」
船から投げ出された俺を、わざわざユリアは助けに来てくれた。
こっちの世界に来てから、ユリアには助けになりっぱなしだ。
「当然です。何より、あの船に乗っていた人を全員助けられたのはイツキさんのおかげですから。お互い様ですよ」
「……そっか。なら、ここから先もお互い様ってことで」
残弾数、24発。
なんとしても、ユリアと共にラスボスを撃破しなくては。
「それじゃあ」
「行きますか」
扉を蹴り、咽返るほど血肉の匂いが満ちた街へと駆け出す。
目指すは教会。
決着はそこでつくはずだ。