ゾンビ誘導はサ〇エさん方式で
「貴方達の想像力という物は非常に豊かでして」
転生前、手続きとやらを済ませている女神様がそんなことを口走っていた。
「いわゆる、創作物と呼ばれるものが、貴方のこれから行く世界に反映されてしまうのです」
「えっと……どういうことですか?」
「貴方の元いた世界、現世とでも呼びましょうか。そこでフィックションとして生み出された現象、物語が突発的に反映されちゃいます」
「うーんと……つまり、現世でドラゴンが空を飛ぶ映画が流行ったら、転生先の世界にもドラゴンが実際に現れる、見たいな感じですかね」
そんな馬鹿な話があるか、と言いたいところだが、死んで転生するなどとのたまわっている時点で俺は世界の常識から遠く離れたところにいる。
いまさらドラゴンの一匹や二匹、驚くに値しない。
「まあ、そんな感じです。ですから、貴方が現世出身だということは決して口にしないように……非常に恨まれていますからね、貴方達は」
「いきなり聞きたくない情報をどうも」
この時点では、まったく予想もしていなかった。
俺が転生した世界が、どれだけ危険に満ち溢れたふざけた世界かということを。
「ぁぁぁあぁああぁ…………」
「嘘でしょなにこれ」
転生して1秒、俺はゾンビに囲まれていた。
障害物など何ひとつない、真っ平らな平原。武器なんてもちろん装備していなかった。
「うぁぁぁっっ、あぁぁぁぁ!」
かろうじて人の形を保った、何か。顔の皮はただれ落ち、ところどころに欠損が見られる。腐肉の匂いと見た目の嫌悪感で早くも吐き気を催してきたが、それどころではない。
四方をゾンビに取り囲まれて、早くも絶体絶命だった。
「あのシャイニング女神様、最初から俺のこと殺すつもりで」
いや、待て。
そんな回りくどいことをするだろうか。何らか、この状況を生き残るだけの手立てが残っているはずだ。
「……っ、これは!」
服の中に異様な膨らみを感じ、手を伸ばす。
そうだ、何か強い武器やらチートアイテムがこの手に
――B級異世界サバイバルガイド。
本だった。
紛うことなく、本だった。
「…………ファッキューゴッド!」
骸の腕が伸びてきたため、慌てて身を屈めて足を動かす。とにかく逃げなくてはいけないのに、どこもかしこもゾンビだらけ。
逃げ場なんてどこにもありはしなかった。
「そうだっ、もしかしてコレ魔導書的な何かなんじゃ!」
赤い装丁がされた分厚い本を開き、適当なページに目を通してみる。
が。
「何語だコレ!」
思わず迫りくるゾンビの顔面に本を投げつけてしまった。
まったく意味の分からない言語しか記載されていなかったぞ糞野郎。
もう駄目だ、絶体絶命。転生直後にゾンビ生活とか誰が予想できただろうか……。
「――伏せてください!」
「……ん?」
僅かに、空の輝きが増した気がした……次の瞬間には、俺の視界はすべて光に覆われる。
強い光が空から差し込まれ、視覚から脳までダイレクトに刺激が到達する。目を塞いでも遅い。頭がクラクラして平衡感覚すら失われていった。
「ヤバイ、吐きそう」
辛うじて聞こえるのは、何かを斬り裂くような音。一瞬、ゾンビに喰われているのかと思った。
だが、違う。
何者かの足音が聞こえるたびに斬り裂く音が聞こえ、何かが地面に倒れているようだった。
「誰かが、戦っているのか?」
感覚すら定かではない状況で、ゆっくり目を開いて周囲を見渡してみるも、意味はなかった。相変わらず光のせいで俺の視界ははっきりとしない。
見えるのは、ほんのわずかな輝き。金色の、何か。
ゆっくり、足に力を入れてそれに近づこうと一歩踏み出す。
「さあ、もう大丈夫で……す?」
ぐにっと。
柔らかいような、腐ったような何かを足が踏んで、俺はバランスを崩してしまった。
「うわっ!」
「ひゃぁぁっ!」
盛大に前に転び、地面に顔面が直撃……したと思うのだが。
「……ん?」
やけに、地面が柔らかい。
いや、そんなことはないはずだ。手足の先が触れる感覚は、相変わらず固い地面のまま。であれば、顔だけが何故、こんなにも柔らかく、暖かな地面にうずまっているのか。
「ちょっ……どこに顔をっ」
「むぐっ!?」
至近距離から女の子の声が聞こえ、頭が手に捕まれたようだった。
次第に失われた感覚も戻って来て、ようやく視界が開けたところで。
「……あ」
「ッ――ッッ!」
顔の近くに手を置いたところ、めっちゃ柔らかい物質に触れた。
いや、もう何というか、誤魔化しようがないレベルで鷲掴みにしていた。
女の子の胸を。
「えっと、どうも」
涙目になっている女の子は、綺麗な金髪に僅かに土を付けたまま口を強く噤んでいる。
どう見ても、俺が押し倒していた。もちろん、故意にやったことではない。
不可抗力というやつだ。
だが、そんな言い訳が通用するわけもなく。
「わざとではないです」
「そうでなければ、その腕切り落としています……」
ぞっとする言葉に慌てて手を離して、立ちあがる。どう見ても、俺が女の子を押し倒してしまったようだった。
罪悪感と、女の子の胸に触ってしまったという高揚感。
二律背反に苛まれること数秒、俺はようやく現状を理解する。これは、女の子と俺の素敵な出会いなんかには決してならないということを。
「うわぁぁ……」
俺が、転んだ原因もそうだ。
いま、俺が立つ場所と、女の子が倒れこんでいる地面。
その周囲一帯を、ゾンビの死体が見事に着飾っていた。
「さて……状況は理解できましたか、異邦人さん」
服に着いた土を払いながら、金髪の女の子が立ち上がる。それから、この薄汚い世界に対して諦めを含んだ大きな溜息を溢した。
「服装から見るに、他国からいらっしゃった方ですね?」
「え……ああ、まあそんな感じかな」
こんなにも汚れた地面で一切の汚れが付いていなかったサバイバルガイドを拾いつつ、応答する。
「では、ひとまず逃げましょうか。ここもそう長くは持たないでしょうし」
「……うわぁぁ」
女の子が指し示した方向には、大きな城壁があった。高くそびえ立つ城壁と、それよりもさらに大きなお城のような建物。見るからに安全そうだ。
「さあ、行きますよ胸揉み男さん……ああ、後ろはあまりご覧にならないほうが良いですよ」
綺麗な金髪をなびかせ、俺に不名誉な名前を付けた女の子が先へ進んでしまう。
だが、後ろを見るな、と言われたら見てしまうのが神話時代からのお約束。
「……………………あ」
僅かに振り返って、後悔する。そこには、軽く東京ドームを埋め尽くす勢いで、ゾンビの大群が迫ってきていた。
「よし、逃げよう」
金髪美少女の名前は、ユリアというらしい。彼女は突発的な事故や事件を対処する、ブレイズという団体の一員とのこと。
迫りくるゾンビの数や速度を調査するため、危険を顧みず外の様子を見に行ったところで、武器も持たずにゾンビに囲まれていたアホな一般人を見つけてくださったそうだ。
「で、ユリアさん。何で城壁の中まで逃げないの?」
いま、俺達は王国近くの農場に隠れていた。城壁はほぼ目の前にあるが、彼女は一向にこの場を動こうとしない。
「時間稼ぎです。まだ街には避難が終わっていない箇所が多々ありますし、城の兵士たちの準備も充分ではないでしょうから」
「時間稼ぎって言ったって……あんな大群、どうするつもり?」
「斬ります」
「大勢で攻めてこられたら?」
「斬り伏せます」
「四方を囲まれたら」
「斬り抜けます」
顔に似合わず、バーサーカーなユリアさんだった。
「それより、イツキさんは早く逃げてください。城壁の近くの兵士に私の名を言えば、開けてくれるはずですから」
「いや、それは多分よろしくない」
ゾンビ映画の鉄則に、クソったれな相棒を見つけろというものがある。転生後初めて会った人、しかも美少女と離れて行動を起こすことが良策だとは思えない。
「こういうときの単独行動が一番危険なんだ。役に立つかは分からないけど、君の手伝いをさせてくれ」
「……はあ、そうですか。初めてゾンビを見た割に、落ち着いていますね」
「えっと、話に聞いたことはあったからさ」
ゾンビ映画やゲームで、だけど。
「では、一時的かもしれませんが、協力関係を結びましょう。よろしくお願いしますね、イツキさん」
「ああ、よろしく。ユリアさん」
差し出された手を握り、固く握手を交わす。
そして、ここまでスムーズに事が運んだのが罠だったかのように、ユリアさんは笑顔でとんでもない事を言うのだった。
「では、一緒にゾンビの群れに突撃しましょう」
「クライマックスには早すぎませんかね」
さて、当然突撃するという案は却下したところで、俺達は農場の傍にある民家まで移動していた。
その間、
「ゾンビがいるのは向こう側ですよ」
「無謀すぎです」
「では、何か策が?」
「いま考えますから」
「策が浮かぶまで斬ってきていいですか」
「ダメです」
という経緯があったが、脳筋美少女の腕を引っ張り、何とか逃げ延びてこれた。
だが、早いところ策を考えなければ、どのみちユリアさんはゾンビ軍団に突っ込んでいくだろう。
「……ていうか、あんなバカでかい城壁があればゾンビなんて侵入してこないと思うんだけどなぁ」
首が痛くなるほどに髙い城壁。あれがある限り、ゾンビの侵入を許すことなど決してないように思える。
「イツキさん、策が浮かばないなら私は」
「――――いや、あったな」
壁に囲まれた都市が、ゾンビの襲撃を受ける映画があった。
ゾンビが一箇所に集結して、何匹も踏み台にして城壁を超える懸け橋になるシーンが頭に浮かんだ。
そう、あの映画で無敵に思われた都市が襲われた原因は。
「音だ」
「はい?」
「大抵のゾンビは、音に反応する。その習性を利用して、こっちにおびき寄せられないかな」
「なる……ほど?」
すでに避難が完了している民家には、さまざまな物が置いたままになっていた。レプリカではない、本物の剣に農具……それに、家財も。
「よし、ここは古典的な手で行こう」
ゾンビ映画ルールのひとつ、フライパンでぶっ叩け。
お玉とフライパンを手に持った俺のことを、ユリアさんは訝し気に睨みつけてきた。
作戦はこうだ。
事前に民家で籠城できるだけの準備を整えてから、ゾンビの群れへと向かう。
そこで、フライパンをお玉で音を鳴らし、国民的アニメのエンディングよろしくゾンビを誘導。
民家で籠城戦を行い、充分に時間を稼いだら街に逃げ込む。
「異国の人の考えはよく分かりません……」
背中に銅の剣、左手にフライパン、右手のお玉を持った俺のことを見てユリアさんは嘆いた。
俺だってこの世界の現状に嘆きたい。
「んじゃ、ユリアさん。作戦通り、ヒット&アウェイでお願いします」
俺が誘導しつつ、ユリアさんができる限りゾンビを潰していく。通常の人間相手ならこんな手は通用しないが、相手は脳味噌ドロドロのゾンビ。
簡単な手段でも、数を減らすのには役立つはずだ。
「ええ……それと、私のことはユリアと呼び捨てにしてください。ブレイズの人は皆そうしますから」
「んじゃ、俺のことも呼び捨てで」
「いえ、それはいけません」
「……ん?」
「家訓です。殿方には常に敬意を払え、と」
「敬意……ねぇ」
そんな素振りは一切感じないどころか、フライパンを手にした辺りから頭のおかしい奴として見られている気がしないでもないが、今は無視しよう。
「それじゃあ、ユリア」
「はい、イツキさん」
目先には、溢れんばかりのゾンビ達。きっと、あの周辺の腐臭は恐ろしいレベルになっているだろう。
アレを、これから誘導する。あまりに数が多いため、誘導できる数も限られてしまうだろうが、突撃するよりは幾分かマシだ。
「はじめるぞ!」
フライパンを高く掲げ、全力でお玉を叩きつける。
金属同士がぶつかり合う轟音は、充分すぎるほど目的を果たしてくれた。
「あっ、ぁぁぁあああ」
うめき声と共に、無数のゾンビがこちらに向かって動き始める。
「それでは、作戦通りに」
横にいたユリアが、疾駆した。
群れから僅かに離れたゾンビに狙いを定め、銀で作られた細剣を振るう。的確にゾンビの首を落とすと同時に、軽やかなステップでユリアはゾンビと距離を取った。
「すげぇ……」
銃がメインのゾンビ映画に参加してはいけないレベルの身体能力だった。
俺がフライパンで引寄せ、ユリアが数を減らす。ジリ貧の戦いだが、その効果は確かに現れていた。
「……イツキさん。少々問題が」
「へ?」
俺の横まで下がってきたユリアの表情は明るくない。順調に進んでいると思っていただけに、ユリアの言葉は不安を誘う。
「彼らの歯には、耐魔の効果があるようです」
「……大麻?」
薬物に耐性でもあるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「攻撃魔術は首を切り落とす分には問題ありませんが、防御用に展開している結界では身体を守れそうにありませんね」
――――魔術?
「ちょっと待った」
「はい?」
「え、じゃあユリアはいま、身を守る何かを使用しているの?」
「…………? 当然じゃないですか」
「ズルっ! 何それ、俺だけ無防備だったのかよ!」
おかしいと思った。
幾らなんでも、女の子が何の躊躇いもなくゾンビの群れに突撃するわけがない。ある程度、安全を確保したうえでの作戦だったのだ。
というか魔術って何だよそんなのありかよ。
「旅をしているのに、防御結界を発動していないとか正気ですか?」
「ああ悪かったよチクショウ! とりあえず、命を大事に行動!」
そうこうしているうちにも、ゾンビは数を増し、距離は詰まってきていた。ここまで来れば、もう音で誘導する必要もない。
近くまで寄って来ていたゾンビの頭をフライパンでぶっ叩き、お玉を全力で放り投げる。
「逃げつつ応戦!」
「承知です」
銅の剣を掴み、構えてみる。
授業で剣道をやった程度に人間に剣など扱えるのかと言われれば、土台無理な話なのだが。
「うおらぁぁ!」
結局、力任せに振り回すだけでゾンビの身体は斬り裂けるので問題はない。
横で戦うユリアのように鮮やかではないが、俺でもゾンビに対抗することはできるようだった。
――――剣が折れるまでは。
ゾンビを20は殺したであろうころ、剣はポッキリと折れてしまった。太ったゾンビを斬ったのが原因のようでした。
「ゆ、ユリアさん!? ヘルプ!」
「何で剣に魔術を使用しないんですか! 節約精神ですかもう!」
俺の背後に迫っていたゾンビを、ユリアが切り伏せてくれて難を逃れる。どうやら、俺とユリアには決定的な認識の差があるようだった。
「と、とりあえず家まで避難!」
「援護しますから、怪我しないでくださいね!」
この時点で、俺達がおびき寄せることに成功したゾンビは、200体程度。どう考えても絶望的な戦力差の中、俺達は撤退を余儀なくされた。