ゾンビかサメの胃袋か
ジンベイザメを知っているだろうか。
サメの中で最も大きく、それでいてアホみたいに口を開いているあまり怖くないサメだ。
食事は海中のプランクトンや小魚、海藻などを摂取。サメ映画よろしく簡単に人を丸のみにしない危険性の少ない生物だ。
――それに、俺は喰われて死んだ。
不幸な事故としか言いようがない。
修学旅行で訪れた南のほうの県で、巨大な水族館に遊びに行ったときのことだった。頭の狂った男が暴れ出すと同時、爆弾が巨大な水槽へと放物線を描き。
ボカン。
爆弾の爆発と共に水槽は砕け散り、解放された水と魚たちが一斉に観客を襲った。慌てふためくクラスメイトを向かって迫る巨大な影から何とか守ろうとした結果。
「貴方はジンベイザメの胃袋の中で一生を終えました」
「……はあ」
目の前には、光輝いた女性が立っていた。比喩表現でもなんでもなく、マジで目の前の女性は物理的に輝いている。
そのせいで、どんな外見をしているのかすら認識できない。
「さて、モブさん」
「モブさんじゃないですね。一応橘五木という名前があります」
「あら、サメに食べられたからてっきりモブかと」
さらっと酷いことを言うシャイニングウーマンだった。
おそらく口元を抑えて笑っているのであろう女性は、おそらく右手と思われる物を差し伸ばしてくる。
「それでは、モブ改め橘五木さん。貴方にはこれから先、ふたつの選択肢が与えられます」
手から浮かび上がったのは、ふたつの空間だった。
ひとつは、赤。もうひとつは、黒。
「まずは、こちらの赤の選択肢。これは貴方がいた元の世界とは別の、異世界に転生する選択肢です」
「はいはーい、質問。何で赤なんでしょう」
「血です」
「血!?」
「血みどろな世界なので」
「嘘でしょ、何でそんな選択肢なんですか!」
「まあまあ、落ち着いて下さいませ。もうひとつ、こちらの黒い選択肢はですね」
血みどろの選択肢についての詳しい説明など、何ひとつなかった。実際のところ、選択肢にも上がらないほど酷い世界なのだろう。
だからこそ、赤い世界の話はすぐに終わったのだろう。
きっと選ぶべきは黒い世界
「黒い選択肢はですね、サメのお腹の中です」
「…………は?」
「つまり、元いた世界に戻るということですね」
「嘘でしょ」
「本当です」
「理不尽すぎません?」
「世の中そんなものですよ、坊や」
そんなわけで、俺の命運は決定した。
イエェェェィ!
ヘイ、アルバトロス王国在住の皆様、くそったれな天気を如何お過ごしかな?
オッサンの身体から排出される脂よりもねちょねちょな湿度に嫌気がさしている頃かと思うけど、いまは風呂に入っている場合じゃないぜ!
何故なら、全人類共通の脅威って奴が迫ってきているからだ。
それは何かって? 決まっているだろう。
ゾンビだよ、ゾンビ! アルバトロス王国に突如として現れた無数の糞ゾンビ共が王国中を動き回っているんだから溜まったものじゃない。
言っておくがこれはノンフィクション。火星人が襲来した1938年のラジオの再現じゃないから注意してくれ。
とにかく皆、生き残ってくれよ! 俺が切りたいのはゾンビの首じゃなくて使えない上司の首だからなHAHAHA!
「…………以上、元平凡な高校生、タチバナイツキがお送りしました!」
「馬鹿なこと言ってる場合ですか、さっさと戦ってください!」
肉の引き裂く音で若干現実に引き戻されて、目が覚める。
ああ、そうだ……俺が今いるのは。
「とにかくこのゾンビを倒して逃げ切らないと、私達もあっちの仲間入り確定です!」
アルバトロス王国。農業と漁業が中心となり、貿易も盛んな中世真っ盛りなこの王国でいま俺は、ゾンビの群れに立ち向かっている。
なぜこうなったのかと言えば、俺がこの世界への転生を望んでしまったから。いや、別にこんな世界を望んでいたわけではないけれど。
「ほい、イツキさん!」
「はいよ!」
手に渡された胴の剣を横なぎに振るい、迫るゾンビの首を3つ同時に切り落とす。剣の使い方にもだいぶ慣れたものだった。
「なあ、ユリア」
ゾンビの骨は非常に柔らかいらしく、重い剣で切り裂いてしまえば簡単に首が断裁できる。
それは、華奢な女の子の腕でも同じことのようだった。
「なんですか、大馬鹿さん!」
金の髪を靡かせ、この薄汚い世界で紅一点、輝いている。
銀の細剣が描く軌跡は、確実にゾンビを一体一体切り裂き、撃ちぬいていた。
「ゾンビ物で生き残る鉄則、知ってる?」
「斬って突いて逃げ延びる!」
「そりゃ終盤で死ぬタイプだな……この状況をよく見て見ろ」
いま俺達がいるのは、小さな民家。そこに押し寄せるゾンビの数は50は超えている。
いくら相手が強くないゾンビと言えど、この籠城戦はよろしくない。では、どうするべきか。
「英雄になるな」
「英雄どころかこのままじゃゾンビ!」
互いの背後にいるゾンビを切り伏せ、背を合せる。既に2階まで侵入されているため、もうあとはない。
残る選択肢は、ゾンビになる、全滅させる、窓から飛び降りるの3択。
「逃げ道を確保しろ」
「もう遅いですねソレ!」
「んじゃ、コレだな。火の用心」
燭台の火を借りて、1階に向けて火を放つ。事前に用意しておいた油とわら山に火が付き、瞬く間に民家は煙に包まれる。
「ちょちょちょっとぉ!? これ、私達の逃げ場までなくなってませんか?」
「少なくともゾンビの侵入は防げる。あとはどうやって2階から脱出するかだな」
「策は?」
「旅行は身軽であれ」
煙に包まれてもなお美人な相棒に向けて、窓の外を示す。
そこには、ギリギリ飛び降りても死なないんじゃないかな、程度のわら山が敷かれている。無論、俺が事前に準備しておいたものだ。
「イーグルダイブって言ってな」
「オカシイ、絶対おかしい。無理ですって」
「ここで燻製にされるよりましだろ」
「イツキさんやっぱり頭おかしいです!」
「大丈夫大丈夫、わら山に落ちればノーダメだから」
「よっし先に降りてください、本当に一切怪我してなかったら私も降りますから」
「……え」
「え、じゃない! 生き残れる自信もないことを人にやらせないでください!」
小さな民家に押し寄せるゾンビを切り捨てながら、口論はさらにヒートアップ。ついでに民家もヒートアップ。
そうこうしているうちに、勝手に焼け死んだゾンビ。俺達が切り捨てたゾンビの山が重なり、数も減ってきていた。
「残り20くらいか。よし、飛び降りよう」
「降りて怪我をしなければ、生き残れますね」
「まー何とかなるでしょ」
「よし、落ちてください。よいしょっ」
「あ」
熱々の民家の窓から外を覗いていると、背後から強力な蹴りが炸裂。
あっという間に地面が近づいたと思うと、俺の身体はわら山に無事着地を果たしていた。
「殺す気か!」
「よし、行けそうですね」
続いて、ユリアがわら山に着地したところで、俺達は同時に走り出す。
背後にはまだまだ残っているゾンビの大群。逃げる先は未定。どうせどこに行こうと待つのはゾンビだ。
「泣けるぜ」
「黙って走る!」
俺が転生したこの世界は、超絶パニック状態に陥っていた。