山吹の国(虹色幻想15)
人は死ぬと、この山の奥深くにあるという山吹の国に、旅立つと言われている。
その国は沢山の山吹が咲き誇り、美しく澄んだ泉があるという。
コノハが六つの時だった。
四つ上の兄が狩りの最中に崖から落ちて死んだ。
家族は嘆き悲しみ、コノハに教えた。
兄は山吹の国に旅立つのだと。
その時初めて、コノハはその国の存在を知った。
コノハは思い描いた。
とても美しい山吹の国を。
だからコノハは兄の死を悲しいと思わなかった。
コノハの兄の遺骸は、村の巫女と男衆によって山へと連れて行かれた。
コノハと家族はその列を家の前から見送った。
冷たい風が吹く日だった。
山吹の国があるという山は、巫女と特定の男衆しか入ることは許されなかった。
山は聖域だった。
死者の領域であった。
コノハの兄が死んで十年の時が経った。
コノハは村の男と結婚した。
やがてコノハは子供を授かり、元気な男の子を出産した。
コノハは幸せだった。
そんな時、コノハの夫と子供が水の事故で死んだ。
コノハは嘆き悲しんだ。
悲しみでご飯を食べることも出来なくなった。
村人もコノハの母親も心配し、言い聞かせた。
山吹の国で幸せに生きていると。
だから、コノハも元気になりなさいと。
コノハはこの時思い出した。
兄も山吹の国へ行ったことを。
沢山の山吹が咲き誇り、美しく澄んだ泉がある国を。
次の日、母親がコノハの様子を見にくると、コノハはどこにもいなかった。
そうしてコノハは村から消えた。
コノハは山に登っていた。
山吹の国へ行くことを決めたのだった。
巫女と男衆が行くことが出来るのだ、きっと行けるはず。
そう思った。
人が入ることがない山は、恐ろしい獣や生い茂った草でコノハを困らせた。
ちょうど今は新緑の季節だった。
柔らかい草がコノハの腕や足を切り裂いた。
それでもコノハは歩くことをやめなかった。
コノハは信じていた。
山吹の国を。
そうしてどのくらい歩いたのだろうか。
コノハは沢山の山吹が咲き誇り、清く美しい泉の元へ辿り着いた。
やっと、見つけた。
コノハの心は騒いだ。
泉の奥に洞が見えた。
きっとあそこは山吹の国の入り口に違いない、そう思い足を急がせた。
暗い闇に目が慣れるのに少し時間がかかった。
しばらく立ちつくすとやがて、洞の中が見渡せた。
そこでコノハは見た。
沢山の骸骨を。
そして、愛しい夫と子供の腐りかけた姿を。
コノハは手で口を覆って嗚咽をこらえた。
洞に入った時に嗅いだ腐臭はこれだったのだ。
山吹の国はなかった。
夫と子供に背を向け、コノハは洞から飛び出した。
あまりにも残酷な真実に、コノハは耐えることが出来なかった。
呆然として目の前にある泉を見つめていた。
山吹の鮮やかな色が目の端に映った。
巫女と男衆はここに遺骸を捨てていたのだ。
コノハは絶望した。
山吹の国に行けば、また幸せになれると思った。
なのに、山吹の国はなく、あるのは物言わぬ遺骸だった。
コノハは体中に傷が付いていた。
足もクタクタだった。
気力もなくなっていた。
絶望したコノハの前には泉しかなかった。
コノハは立ち上がり、泉に近寄った。
そうして静かに泉の中に入っていった。
もうそれ以外、山吹の国に行く道はなかった。
コノハは静かに目を閉じた。
冷たい水が全身を満たしていく。
とぷん、と音がして山に静寂が戻った。
コノハは山吹の国へと旅立った。
あとにはただ山吹の花が風に揺れているだけだった。