エピローグ
「何であたしがパシリみたいな事しなくちゃならないのよ!」
命を懸けた大救出劇から数日後、ノエル達三人は王都フォート・レインから遠く離れた小さな町、そんな街の片隅にあるこれまた寂れはてた宿の一室に滞在していた。
「だいたいもうすぐ夜じゃないのよ! こんな時間に女の子を一人で外出させるなんて、あんた正気? バカじゃないの!?」
柄入りTシャツに短パンという、ラフな格好で喚きたてているのはカンナだ。彼女は部屋に一つしかないベッドの上で飛び跳ねながら抗議しているため、後ろで束ねた髪の毛が動物のしっぽの様に上下に動いている様は、まるで怒れる獣のように見える。
「飲み物買ってきてって……そんなの自分で行きなさいよね! それにあんた、今立ってるじゃない! おまけに扉から一番近いじゃない!」
彼女の言う通り、ノエルが一番玄関扉に近いかもしれない。この部屋は扉を開けてすぐにベッドがあり、その左横に小さなソファーがあるつくりなっているため、ベッドの上で飛び跳ねる彼女と真正面で話すには、必然的にドアの傍に立つしかない。
「で、でも……カンナも立ってるじゃないか」
言われっぱなしなのも何なので、ノエルは皮肉を込めて言い返すが、カンナの「はぁ?」と言う言葉と共に放たれた眼力に押され、彼はすぐに俯いてしまう。
「あんた、なんか最近調子に乗ってるわよね……っと」
カンナは飛び跳ねるのに飽きたのか、勢いをつけてノエルの前までジャンプする。
「ふ、ふん! でも、あんたがどうしてもって言うのなら行ってあげても……」
「ふっ、ふははははははは! 相変わらずカンナはちょろいのだな!」
カンナの言葉を遮るように笑い声を発するのはメルト。今まで彼女はソファーに横になり、『王都フォート・レインから凶悪犯逃亡!?』と書かれた新聞紙を読んでいたはずだが、いつの間にか新聞紙から目を離してカンナとノエルのやり取りを見ていたらしい。
「だ、誰がちょろいのよ!」
「うむ、カンナに決まっておろう。お前はノエルにべた惚れだからな」
「べ、べべべべ、べ、べた惚れなんかじゃないわよ!」
例の如く赤面したカンナはノエルを押し退け、風と見間違うような速度で部屋の外へ飛び出していく。カンナのあまりの速さに茫然としていたノエルが、口を半開きにして彼女が飛び出していった扉を見ていると、
「うむ、前から思っていたのだが、カンナはどもり癖でもあるのか?」
「……いや、違うと思う」
――はぁ、カンナが帰ってきたら、なんて言ってフォローしよう。
「さてノエル、わたしと二人きりになりたかったのだろう? 要件は何なのだ」
「いつから気が付いてたんですか?」
言いながらノエルは、メルト向かい合うようにベッドへと腰掛ける。
「あんな不自然な頼み方をすれば誰でも気が付く、おそらくカンナも気が付いているのだ」
「う~ん、カンナは気が付いてないと思いますけど」
「うむ、まぁよい。お前の話を聞く前に言いたいことがある」
メルトはスビシっと音が聞こえてきそうな速度でノエルを指差す。
「昨日も言ったが、何故また敬語に戻っているのだ!」
指摘の通り、メルトを救出する際、ノエルは敬語を使わずに彼女を呼び捨てにして話していたのだが、この数日で彼の喋り方はすっかり元通りになってしまっていた。
「いや、別に……特に理由があるわけじゃないんですけど」
「じゃあ、普通に話すのだ!」
子供の様にむくれるメルトに、ノエルは苦笑いしながら頭をかく。
――普通にって言われても、これが僕の普通なんだけどな……でもまぁ、彼女が望むなら、彼女の普通に合わせてもいいか。別に何らかのこだわりがあるわけでもないし。
「……メルト」
少し照れが混じりつつも、彼が意を決して名前を呼ぶと、彼女は満足気に「うむ!」と笑う。こんな笑みを見られるのなら、どんな要望にも応えてもいいかもしれない。ふとそんな事を思ってしまうノエルだった。
「えっと、それで話の事なんだけど……結構真面目な話だから、しっかり聞いてね」
「うむ、わたしはいつだってしっかり聞いているぞ! 特にノエルの声はな」
サラッとくすぐったい事を言われ、彼女を真っ直ぐに見ていられなくなるが、照れを何とか自分の中に押し込んで、ノエルは喋りだす。
「僕はずっと世界が変わればいいと思ってきた」
思い出すのは厚く淀んだ雲の下、毎日続く変わらない日常。
「変わってほしい事に特に理由なんかない、変われば毎日がもっと面白くなるんじゃないか……その程度の事しか考えてなかったんだと思う。でも僕はずっと考えてた、一年中この世界を覆っている雲の向こう、その向こう側にある何かを見れば……世界は、僕の何かは変わるんじゃないかって」
そしてノエルは見たのだ。望むと望まざるにかかわらず、あの日彼は雲の向こう側に広がる景色を見た。
「うむ、それでお前の何かは変わったのか?」
「それはわからないよ」
――そう、それはわからない。
「でもね、メルト。僕は君にあってからわかった事があるんだ」
「わたしと会ってわかったこと? うむ、それは何とも気になるのだ」
より正確に言うのならば、彼女との出会いがそれに気が付くきっかけを与えてくれたのだろう。
「世界に変化を求めるとばかりじゃダメなんだ、まずは自分が変わらないと。世界に何かを求めるのはそれからだ」
そんな当たり前な事を気が付かせてくれた人見ながら、ノエルは続ける。
「捉え方を変えるなら、僕の何かは君と出会ったあの時に、あの路地裏で変わっていたのかもしれない」
メルトと初めて会った路地裏で、ノエルは確かに運命的な何かを感じた。例えるならば、今まで一つ悲しく回っていた歯車が、もう一つの歯車とかみ合ったかのような感覚。
「だからね、メルト。君が僕を仲間に誘ってくれた時、はぐらかしてしまった質問の答えを、今ここでしようと思う」
ノエルは立ち上がり、口を開こうとするが、立ち上がったところでメルトから「待て」と声がかかる。彼とほぼ同時に立ち上がったのか、ノエルより少し低めの所のある顔やや上に向け、彼をしたから見上ている。
「ならば、わたしからも言わせてもらおう」
「ノエル、わたしと共に来ないか?」
差し出される右手、彼女の目は真っ直ぐに淀みない。
「後悔などさせはしない、わたしと共に来い!」
彼女が口にした誘いの言葉。
――答えはもう決まってる。
そう、あの時とは違うのだ。
ノエルは目の前に差し出される右手、真っ直ぐに心を射抜く黄金の瞳を見て己が答えを言う。
「僕は君と一緒に行くことは出来ない」
「なっ、ノエル?」
予想外の言葉が返ってきたせいか、メルトは裏切られたかのような顔をしている。そんな彼女を見て、ノエルの胸は激しく痛みだすが、ここで引き返すわけにはいかない。
「もちろん、君と行動を共にする事が出来ないって言ってるんじゃない。僕が出来ないのは、君の仲間になることだ。君の目的に手を貸すことだ」
「……それは、この世界の雨雲を消すことか?」
「うん、でも少し違うかな。僕が言っているのはその手段と、その後の事かも知れない。僕はどんな理由があったとしても、人を殺して……大勢の人を不幸にしてまで、自分の目的を成し得るのは間違ってると思う」
ノエルの脳裏には、メルトが雨雲を消すために王を殺そうとしている事、雨雲を消せば大勢の人が不幸になるかもしれない事、それらが明確なヴィジョンとなってよぎっていた。しかし、一方のメルトも言われ放題と言うわけではない。
「ちがう! わたしは犠牲だけを強いるつもりはない! 大勢の犠牲が必要だとしても、わたしはそれ以上の人間を幸せにしてみせる。ノエル、お前も見たであろう!? あの雨雲の向こうにある景色を、人々の上にあっていいのは作られた偽物ではないのだ! 本物の空、温もりを教えてくれる太陽……それこそが真実、偽物に覆われた生活は間違っているのだ……いかに正しかろうと、それがどんなに正当な理由だとしても、偽物の下で暮らすことは間違っている! それが何故わからん!?」
自分の信念を傷つけられたと言わんばかりに怒鳴り散らすメルト、その凄まじいい気迫を前にするが、ノエルは一歩も引くことはなかった。
「それでも君は間違ってる。綺麗ごとだけどさ、この世界に犠牲を強いていい人なんて居ないんだよ。今この世界を覆う雲なくせば、とんでもない混乱が起きてしまう、それに人を殺すのなんかもってのほかだ、どんな理由があってもやっちゃだめなことだ」
「……だったら、だったらどうしろと言うのだ? わたしにはお前の言う事が理解できん!」
「ほかの方法を探そう」
「な、に?」
あまりに自然に言い放つノエルに、メルトは毒気を抜かれたように立ち尽くす。
「犠牲を強いない方法を探そう、きっと何かあるはずだよ――本物の空を人々の上に取り返し、なおかつ発電っていう問題も解決する、そんな何かが」
彼の言葉にメルトは腕を組み、しばらくの間瞳を閉じて考えるが、溜息と共に再度ノエルの瞳を見つめてくる。その溜息はおそらく、犠牲を強いる以外に方法はないという諦観の溜息だったのだろう。
「そんなもの、あるわけが……」
「だがら探すんだよ、その事になら僕も協力する……いや、僕だけじゃない。きっとカンナも協力してくれる! もしそれでもダメだったら、他に協力してくれる人を探そう! 大丈夫だよ、メルト。今の君は一人じゃない、みんなで探せば絶対に方法が見つかる」
一呼吸だけ間を置き、ノエルは続ける。
「太陽の下で、人々が今の生活水準のまま幸せに暮らせる世界。そんな素晴らしい世界を一緒に見ようよ」
「……ノエル」
メルトはもう一度だけ溜息をつくが、今度は何の溜息かはわからない。彼女は体から力が抜けたかのように、倒れこむようにソファーに座ると、何かを思い出すように俯いて語りだす。
「このわたし、メルトーリア・フォートレインには姉が居た。王女アルトーリア・フォートレイン……なんとなく気が付いていたのだろう?」
突然そんな話をし始めたメルトに、少し動揺しつつノエルは頷く。
「うむ、ならば話を続けよう」
言って彼女は目を閉じる。
「わたしは小さい頃に王室にある書斎でとある本を読んだのだ。その本こそが、ノエルに以前言った、太陽について詳しく載っている本だな。あれを始めて読んだ時は心が躍ったものだ。
太陽に対して興味を持ったわたしは、当然色々な大人……当時わたしの周りに居た王室の奴らに聞いたよ、それはもう自分でもしつこいと思うほど聞いた。その結果わかったことが、王室に居る奴らは全員太陽の事を民衆に隠していること。それに、王室に住まう者はある年齢に達すれば、太陽の事を含めてこの世界の真実を教えられるというものだった。
人々の文明維持のために、そこにあって然るべきものを隠す……当然わたしは反対した。子供ながらにそれが間違っていると思ったからな、姉上……アルトーリアや両親、王室に居る奴らに自分の考えの正しさを、わたしは声高らかに説いたのだ。
その結果、わたしは処刑されることになった。
王室の奴らからすれば、わたしの考えは疎ましものだったのだろうな。両親すらわたしの処刑に賛同していたのは、むしろ笑いが込み上げてきものだ。血縁であろうと、危険分子は即座に切り捨てる……これを笑わずして何を笑う?
とにかくだ、わたしは『自らを王室のものだと吹聴した』という処刑の口実を作るためのでっちあげの罪で、守護騎士団に引き渡された。本来ならばそこでわたしは殺されるはずだったのだがな、その時に名も知らぬ守護騎士団の者が助けてくれたのだ。わたしの今があるのは、そやつのおかげと言えよう」
メルトはそこまで一気に語ると、瞳を開けて「こんな所だな、以前お前に語らなかったわたしの事は」と、手の甲に頬を載せるように当てて笑う。やや挑発的にも見えるその笑みは、ノエルの反応を試しているようにも見える。
「何で、何で仲間にならないって言った僕に、そんな大事なことを教えてくれたの?」
「信用できると思ったからに決まっているであろう? そうでなければ、こんな事を言うわけなかろう。だからと言って、今の話をそんなに重く受け止める必要はないのだ。私からの信頼の証と思ってくれればそれでよい」
――信頼の証……だったら、僕にはもう一つだけ彼女に確認しなくちゃいけない事がある。
ノエルの脳裏に過るのは、黒い髪を持つメルトと同じ面差しの女の子。先の話から推測するに、彼女こそが王女アルトーリア・フォートレインで間違いないだろう。と、彼は自らの考えを固めながら口を開く。
「メルトは恨んでるの? アルトーリアを、王室の人を……恨んでるから皆殺しにしようとしていたの?」
「…………」
ノエルの質問は痛いところを突いたのか、メルトはしばらく苦虫をかみつぶしたかのような顔をして思案に暮れる。おそらくは過去に王室であった事を思い出しているのだろうが、今を生きるノエルは黙って待つしかなかった。そしてさらにしばらく、正確に言うのならば数分が過ぎたころ彼女は問いかけに答える。
「正直なところ……わからない。だが、わたしは人々の上に太陽を取り戻すためにそれを成さなければならない、そう思っていたのは本当だ。そこに邪な気持ちなどはない、これだけは信じて欲しいのだ」
「信じるよ」
――信じるに決まってる。
一切の穢れなく黄金に輝いている瞳は、嘘を吐いているようには見えない。それ以前に、この様な局面において、彼女は嘘を吐けるような器用な性格ではないだろう。
「僕は君の事を信じるよ、だからこそ言いたい。君のお姉さんは……アルトさんは」
数日前、メルトを助け出すとき、本来ならば王室から出ないはずのアルトーリアが何故、王室の外を出歩いていたのか。よく考えてみれば、そんな事は誰にでもわかることだ。
「君を助けてくれたんじゃない?」
「……なに?」
数日前の処刑の日、アルトーリアがメルトを助けるために王室から出てきたのだとすれば、メルトが子供の頃に処刑されそうになった時も、誰もが反対する中彼女だけはメルトを助けようとしたのではないだろうか、こう推測するのは当然の流れだ。
「君を助けてくれた守護騎士団の人も、アルトさんが手を回して動いてくれたんじゃないのかな?」
「っ、そんなこと!」
安易に傷口に触れられた事でメルトあ激昂するが、ノエルも退きはしない。
「うん、そんな事はわからない。でもひょっとしたら、僕が考えている事の方が真実かもしれないんだ……それでも君はアルトさんを、王室の人を皆殺しにするの?」
「それでもっ」
メルトは勢いよく立ち上がって己の考えを主張する。しかし、その様子にはいつも纏っている威圧感の様なものがなく、雨に濡れて震えている子猫の様にすら見える。
「それでもわたしは、わたしは太陽をっ」
「ただいま……って、何してんのよあんたたち!?」
開かれた玄関扉から聞こえてくる第三者の声に、メルトの発言は止められてしまう。そして、ノエルに顔を突き出すようにして止まっている彼女の姿勢はまるで、
「き、キスなんて許さないんだからね!」
そう、はたから見れば恋人同士がキスをする直前の様な光景に見えたのである。しかし、当のノエルはそんな事など知るはずもない。
「キスって、そんな事してないってば!」
「嘘! ちゃんと見たんだからね! 人がノエルのために時間作って、わざわざ必要でもない飲み物買ってきたのに。あたしは、ノエルとメルトをチューさせるために外したんじゃないわ……この外道!」
と同時にフルスイングで投げ込まれる三つの缶ジュース。ノエルはその全てを何とかかわすと、投擲した本人に言い貸す。
「げ、外道!? っていうか危ないよ!」
「ふ、ふん! まぁいいわ、別にノエルが誰とキスしてもあたしは、あたしは……っ」
カンナは苦しそうに黙ったかと思うと、ツカツカとノエルの隣まで歩いて来る。そしてメルトに見せつけるように彼に抱き付き、
「やっぱり駄目! ノエルはあたしだけ見てて!」
「……えっと」
――なんかカンナを泣かせてしまった一件以来、カンナの精神が不安定な気がする。少なくとも昔は人前で抱き付いてくるような性格じゃなかったのにな……まぁ大丈夫だろうけど。
おそらくは先の一件以来、カンナの独占欲が強まったせいでこの様な行動に出ているのだろうが、ノエルは知る由もない。ただひたすら苦笑いを続け、手持無沙汰に抱き付かれるままにしてる彼に、メルトはややあきれ顔で話しかける。
「うむ、こやつは相変わらずだな。それにノエル、お前がそういうデレデレした態度を取っていると……なんだ、とにかくいかんのだ! 人前でデレデレするでないわ!」
「な、何で怒るのさ!?」
「別に怒ってなどいない!」
どうこからどう見ても怒っているメルトに、「どうして怒ってるんですか!?」と、つい敬語になって聞くが、何故か怒り心頭のメルトにその言葉は届かない。
「そんな事などしらん、自分の心に聞くのだ!」
「え、やっぱり僕が悪いんですか!?」
「敬語を使うなと言っている!」
「は、はい……っ」
そんな指摘をされてなお、敬語で答えそうになり、言葉に詰まるノエル。そしてその間もずっと、猫の様に満足そうに彼に抱き付いているカンナ。そんな二人を見てメルトは「やれやれ」と心持を入れ替えるよう一度溜息をついて話し出す。
「ノエル、わたしは決めたのだ。アルトーリアがわたしをどうしようとしていたのかは、今でもわからない。でもわたしは決めた……多くの犠牲を強いる以外の方法がある。そう言うお前を信じてみる事に決めた」
アルトーリアの事は信じられないが、ノエルの事を信じてみる。メルトの言うそれは、先ほどの彼が言った事に賛同すると取れる意味合いだった。
「よって頼むのだ、ノエル」
メルトは一旦言葉を止め、何かをため込むかのようにして言う。
「人々の上に、太陽を取り戻す……その手伝いをしてくれないか?」
今度は人に犠牲を強いる前提ではない、その対極の方法で雨雲を消し去る。
「一緒に探してくれるのだろう? その方法とやらを」
まるで太陽の様に優しく、無邪気で暖かい笑顔でそう問いかけるメルト。その問いかけに対し、ノエルはただ一度だけ……、
ゆっくりと頷いた。
第一部完みたいな感じです。
続きの構成は山の様に考えており、とんでもない状態になっています。
ではまた次回作でよろです。




