第六章
昨日の夜からまだ数時間しか経っていない早朝、どんな事が起きようとも雨は変わらず降り注ぎ、この世界の大地を濡らしている。
「もうすぐ……仕事の時間か」
無味無臭のスライムの様なドロドロした塊を、顔をしかめるほど濃いコーヒーで強引に飲み下す感覚。昨日の夜フォート・レイン城から帰って来てから、ノエルは一晩中そんな感覚に捕らわれ、全く眠ることが出来なかった。
布団に入って目を閉じても、頭に浮かんでくるのは自分自身に対する激しい嫌悪感。原因はわかりきっている……世間一般的に見て彼は至極正しいことをした。王の暗殺を企てているような危険なテロリストの捕縛に協力したのだ、そんな行いが間違っているわけがない、むしろ万人から褒め称えられるような手柄だろう。
しかし、いくら自分に言い聞かせてみても、ノエルの暗く沈んだ心は一向に晴れてはくれなかった。彼の心にはあの時からずっと雨が降り続いている。
――本当はわかってる。僕は正しいことをしたけど……、
「……間違っていることをしたんだ」
――でも仕方なかったんだ! 僕が今の生活に戻るためにはああするしかなかった! それに、メルトさんは別に死ぬわけじゃない、罪に相応しいだけの罰を受けたらまた……。
「また、なんだよ? 僕はまたメルトさんに会いたいのか? こんなに酷い裏切りをしたのに……会えるわけがない」
――僕にはもうメルトさんに会う資格はない。僕が自分で資格を捨てたんだ、そもそも最初からそんなものはなかったのかもしれない。僕は昔から変化を求めてきた、なのにいざそれが目の前に来た途端、僕はそれから逃げ出した。
――詰まる所、僕は怖いんだ。変化を望む一方で、その変化がどうしようもなく怖い。今あるこの生活が失わされてしまうことが、どうしようもなく不安になる。
――でも、メルトさんのやり方は確かに間違っていた。僕の行動は正しかったはずだ……メルトさんについて行った先に僕の望む変化はない。でも、でも僕は。
彼の脳裏には焼き付いて剥がれることのない、少女の姿があった。黄金色に輝くかのような屈託のない笑顔を浮かべるその少女は、最後の瞬間まで手を差し伸べてくれた。
「僕はどうしたかったんだ……どうすればよかったんだ? どうすれば僕は、どうすればメルトさんは……うぅ」
ノエルは布団を頭からかぶり直し、こたつで丸くなる猫の様になる。だが、その心境は猫のように癒やされるものではない、やはり淀んだままだ。
押し寄せる感情、そして思考の波のせいでどうせ寝ることは出来ないが、せめてこうして丸くなって眠る努力はしてみよう。そう考えて彼が目を閉じようとすると、家の外から何かを呼ぶような大声が聞こえてくる。取引条件であると誤認逮捕の発表はまだ行われていないため、外に居るのは野次馬かもしれないと一瞬思ったが、彼は億劫そうにベッドから立ち上がる。
――どうせ寝られないし、誰が来たのか確認だけしてこよう。
野次馬だったら、そのまま布団の中へと引き返せばいい。そんな心持で彼は素早く普段着に着替えて、玄関へと歩いていく。すると、聞こえてきたのは実に予想外な声だった。いや、よく考えれば必然的な人物が訪ねて来ていた。
「ノエル君、いないのかな?」
聞こえてきた声は昨日フォート・レイン城で聞いたばかりの声、ある意味ではノエルが待ちわびていた声だった。彼は急いでドアを開けると、
「すみません、お待たせしました」
急に玄関扉が開いたことに、少し驚いた表情をしていたクルーガに謝罪する。そんなに長い時間ではないとはいえ、雨の中彼を外で待たせてしまったことには変わりない。彼はそんなノエルを見て軽く微笑むと、まるで気にしていないというような柔かい声で言う。
「気にすることはないさ、ご覧のとおり今は巡回しているわけでもないから傘もさしているしね。それに君も疲れているだろう? 君の心労に比べれば、この程度どうってことはないさ」
「あ、すみません」
思わずまた誤ってしまうと、クルーガは「あはは」と爽やかに笑う。
「ちょっと! さっきから団長とばっか話してるけど、あたしにはどうなのよ!? あたしの事も待たせたんだから、ちゃんと謝りなさいよね!」
「え? あ、カンナも居たんだ」
「居たわよ! あんたバカじゃないの!?」
「ごめん、ごめん。クルーガさんの後ろに居たから気が付かなかったんだよ」
ノエルは必至に取り繕うが、カンナは依然としご機嫌ななめだ。
「後ろになんて居ないじゃない! 横に並んでたんだから、あんたの目がおかしいだけでしょ! べ、別に気がついて欲しかったわけじゃないけど……」
「カンナ君、そんなに怒ってはノエル君に嫌われてしまうよ?」
「だ、団長!? 別にあたしは……」
クルーガの鶴の一声により騒ぎ放題だったカンナは、借りてきた猫のようにおとなしくなってしまう。そんな様子を見てノエルは、さすがはカンナの上司、彼女の取り扱い方を心得ているなと、感心するのだった。
――でも何でカンナは毎回、顔が真っ赤になるんだろう?
「さて、そろそろここに来た用事を果たさせてもらうよ」
そう言って、クルーガはノエルの前から数歩下がると、地面に片膝をつけて頭を下げたまま。雨雲を引き裂かんばかりの大声で言う。
「この度は誤認逮捕、本当に申し訳ない! 守護騎士団 団長、クルーガ・ベインが我ら守護騎士を代表して謝罪する! どうか許してもらいたい!」
絶叫にも等しい突然の大声に、周囲の視線がたぐり寄せられる様に集まる。
「また、テロリストの捕獲という功績を認め、貴殿に貴族名を与えると同時に上層へと迎え入れたいと思う! よって、後ほど時間がある際にフォート・レイン城へと来てもらいたい!」
「えーと、あの……」
事前に取引条件として約束していたこととはいえ、事態が加速度的に進みすぎて、ノエルの頭は完全に現実から置いてけぼりを食らっていた。
「ノエル君、もっと胸を張りたまえ。そうでないと、私は取引条件を果たせないだろう? もっとも、城に帰ったら私は私で『君は誤認逮捕だった、テロリストを捕えるのに貢献してくれた』という情報を流させてもらうがね」
言ってクルーガは立ち上がると、カンナに「ここからは君の役目だ。ノエル君のアフターケアは任せたよ」と、草原を吹き抜ける風を思わせるような笑顔を振りまいて去っていく。ほかの誰かが同じことをすれば嫌味になりそうな表情であったが、クルーガに限って不思議とハマってみえた。
「行っちゃった……じゃあ立ち話も何だし、とりあえず家に入りましょうか?」
「え?」
「ほら、ボケっとしない! それと後で団長にお礼言っておきなさいよね! ノエルが無実だっていう噂を一刻も早く広めるために、本来なら家の前で謝罪するだけのところ、わざわざ恥をかいてまであんな大声でしゃべってくれたんだから」
――それで……。
クルーガが何の脈絡もなく、突然大声でしゃべりだした理由をノエルはようやく察することが出来た。それと同時に、ノエルの胸にはクルーガに対する大きな感謝の気持ちが訪れた。
――こんなことなら、ちゃんとお礼を言っておけばよかった。
「ほら、とにかく入るわよ」
今からクルーガを追いかけることも出来たが、今度フォート・レイン城に言った際に挨拶出来る機会もあるだろうと、彼は家の中へと入る。それに今クルーガを追いかければ、カンナの機嫌が悪くなること間違いなしだ。さらに言えば、ノエルは彼女と話したい気分だった。どんな時でも一緒に居てくれた幼馴染、彼女が居れば少しは落ち着くことも出来るだろう。
●●●
普段着に着替えるとの事なので、自室のベッドで横になって待つこと数分。カンナが傍にいてリラックスできているせいか、ノエルはようやく眠けらしきものを感じていたが、ここで眠るわけにはいかない。なにせ今日はこの後、いつも通り仕事があるのだ。仮に仕事をサボれば、後ほど烈火の如き表情で怒鳴りまくるヴェロニカの姿が、彼には明確に思い描くことが出来た。とはいえ、このままの態勢では寝てしまうと踏んだノエルは、状態を起こしてベッドに腰掛ける。するとそこで彼の部屋の扉が開き、短パンTシャツという見慣れた格好のカンナが、ようやくやってくる。
「お待たせ!」
「大丈夫だよ、そんなに待ってないし……それより、話って何?」
カンナは「今話すわ!」と、濁りのない笑顔で元気よく微笑み、ノエルの元までトテトテと歩いて来て彼の隣へ腰を下ろすと、足をパタパタと泳ぐように交互に上下させる。ベッドに二人きりの男女が寄り添って座っているという、世の男子ならば羨ましがるか、照れてしまいかねない状況であったが、相手は長年家族のように過ごしてきたカンナだ。ノエルは全く照れることなく、むしろ姉、もしくは妹が隣に居るかのように、とても安心する居心地のいい気分になった。
「うん、大事な話だからよく聞きなさいよね」
言ってカンナは語りだす。言葉に彼女なりに最大の優しさを込めて。
「あんたは優しいからきっと今でも色々考えてると思う、あいつのこととか……でもね。でもあんたは正しい事をしたの、将来失われることになるかもしれなかった多くの命を救ったの。ノエルが何を気にしているか、その全部を理解することは出来ないけど、あんたによって救われた命があるってことだけは覚えておいて……そしてそれは何よりも尊いものだという事もね」
カンナはじゃれつくように、ノエルの肩へ頭をのせる。
「それでももし、それでももしノエルが辛いなら、あたしに頼ればいいよ。あたしはずっとノエルの傍に居るから。いつだって、どんな時でもあたしはノエルの傍にいる。ノエルが何かに押しつぶされそうになったら、あたしがそれを半分持つ……だから、あいつの事は忘れて、これからも一緒に仲良く暮らそうね?」
「…………」
心に沁みわたる優しい言葉、カンナがどれほど暖かい言葉をかけてくれているのかはわかった。しかし、ノエルは最後の問いだけは返事をすることが出来なかった。
――メルトさんを忘れる……僕は。
「あ、でもこれからは上層で暮らすことになるのよね? この家ともさよならかぁ、そう考えると何だか感慨深いわね……そうだ! 新しい家具とか見に行かない? あんただけだと不安だから、仕方なく付き合ってあげるわ!」
動かしていた足を止めてピンッと伸ばすカンナは、ここ最近類を見ないほど機嫌がいい。ノエルとしても気分転換を兼ねていきたいところだったが、彼にはいけない理由があった。
「ごめん、今日はヴェロニカさんの所に行かなきゃいけ……」
「大丈夫よ! 今日はお休みって伝えてきてあげたから。感謝しなさいよね!」
「……あ、そう」
相変わらずと言うか何というか、昔からやたらと行動力、そして計画性に富んだ幼馴染だった。やや呆けているノエルを他所に、カンナは「もう準備は出来てるわよね? じゃあ行きましょ!」と、彼の手を掴んで勢いよく立たせる。
「も、もう行くの? まだ朝だよ?」
「いいのよ、朝から思いっきり遊んだ方が一日中楽しめるでしょ?」
「いやそうだけどさ……遊びに行くの? 家具を見るんじゃなかったの?」
「う、うるさいわね! 言葉の綾よ! そんな小さい事ばっか気にしてないで、早くいくわよ!」
「ちょ、待ってよ!」
勢いよく手を引っ張られ、ノエルは部屋を抜け、リビングを抜け、瞬く間に玄関の外の通りへと引きずり出されていた。外は雨が降っているため、このままではビショビショになってしまう。彼は咄嗟に玄関の脇にある傘立てから傘を引き抜こうとしたが、
「はい、傘」
幼馴染が差し出してくれた一本の傘、ノエルはその傘に彼女と一緒に入り、お互いが濡れないようになるべく体を寄せ合って歩き出す。
「どこ行こっか?」
「家具屋じゃないの?」
「もうっ、いつまでそのネタ引っ張るのよ! いい加減しないと怒るんだからね!」
「ごめんごめん、冗談だって。まだやってないお店ばっかかもしれないけど、とりあえず商店街の方に言ってみようか?」
フォート・レイン下層で暮らす人々にとって欠かせない場所、それが商店街だ。東西南北にある四つの門から続くメインストリートにあるそれらは、どれもが共通して王都フォート・レインの交易の中心部になると同時に、下層の人々が日用品や食料品を手に入れる唯一の場所と言っていいだろう。
「あたしに冗談言うなんて生意気だけど……まぁいいわ、じゃあ行きましょ!」
今いる場所から目的地まではそんなにかからないとはいえ、ただ歩いているだけではつまらない。メルトの事で色々あった直後とはいえ、せっかくカンナと出かけているのだ、いつまでも沈んだ気分のままと言うわけにはいかない。ノエルが黙っていれば、今のカンナはいらぬ心配をしてしまうだろう。当然の事ながら、それはノエルの望むところではない。
――そうだ、せっかく出かけるんだから楽しまないとな。
「ねぇカンナ、上層ってどんなところなの?」
「いきなりどうしたの? 今まで上層の事なんか興味なかったくせに」
「うぐっ」
カンナが身体能力を買われて守護騎士団に入団した当初、彼女がしきりに上層について目を輝かせて語っていたのを、当時のノエルは「ふ~ん」「へぇ」「なるほどねぇ」などと、かなり適当にあしらっていた苦い記憶が蘇ってくる。彼女の言い方から察するに、彼女は彼女で若干根に持っているようだが、ノエルはあまり気にしないようにした。
「ほら、僕たちもうすぐ上層で一緒に暮らす事になるでしょ? その時に僕がカンナの足を引っ張ったりしたら嫌だしさ。だから最低限どんな所かは知っておきたくて」
「ふーん、殊勝な心掛けね! 仕方がないから教えてあげるわ、感謝しなさいよね……って言ってもねぇ、あんた上層に対して変な偏見持ちすぎよ」
「別に偏見なんて持ってるつもりないよ。僕は何が起きてもいいように一応」
「だからそれが偏見なのよ。そもそも足を引っ張るも何も、足を引っ張られるような事態は上層では起きないわよ。それこそノエルが守護騎士団に入るって言うなら話は別だけどね。多分あんたは無意識に、貴族は信用できないとでも思ってるんじゃないの?」
そう言われてみればノエルに思い当たることがあった。以前ヴェロニカの病院の前でスカイシェードを使って暴れた貴族だ。
――あの一件で、自分でもそれと気が付かないうちに偏見を持っていたのかな? もしそうだとしたら、全く気が付かなかった……まぁ、だからこその無意識なんだろな。そういえばあの貴族、守護騎士団の一員みたいだけど、あの後どうなったんだろう?
この場で副団長であるカンナに聞けば、どうなったかわかるかもしれなかったが、そうまでして聞きたいものではない。ノエルは嫌な思い出をすぐに頭から追い出して、幼馴染の言葉に耳を傾ける。
「貴族になってからもノエルと暮らしてた関係上、あたしだって上層の全てを把握してるわじゃないけどね、少なくとも下層より治安はいいわ。上層には犯罪の温床になる様な路地裏もなければ、そういう犯罪をしないと生きていけない人だっていないしね。それに、これはあんたも知ってるだろうけど、上層は許可がない人は入れないのよ。だから危ない人は極僅かの例外を除いて入ってこないわ。あと貴族ね……貴族も大半はいい人よ。中にはどうしよもないバカな連中もいるけどね」
「いい人か……」
ノエルは自分のために色々してくれたクルーガの顔が真っ先に思い浮かんだが、すぐに思い直す。なぜならば、彼にとって最良の貴族とは隣を歩くカンナに他ならないのだから。
「な、なによ! 何でこっち見てるのよ! 変なこと考えてたら許さないんだからね!」
ノエルに何やらくすぐったい視線を向けられたカンナは、水に朱を差したかのように徐々に顔が赤くなっていき、最終的に自分で自分の顔がどうなっているのか察しただろう。カンナは銀色の髪を揺らしてノエルから顔を背けてしまう。
彼女ののそんな仕草が、今日のノエルには堪らなく愛おしいものに感じられた。
「ちゃんと前向いて歩かないと危ないよ?」
「う、うるさい! ちゃんと見てるからいいの!」
ツンツンと尖った態度のカンナ。それは普段と変わらな、いつも通りの幼馴染の姿だ。
――このままでいいんだよね? 毎日同じようなことの繰り返しでも、あの雨雲の向こう側が見れなかったとしても……僕が今の僕のままあり続けること、それは何も間違っていないんだ。何も変わらないことで得られる日常もある。
「商店街、やっぱり閉まってるお店の方が多いわね。こんなに朝早くに来て言うセリフじゃないけど」
――やめよう、さっき決めたばかりじゃないか。せめて今日くらいは暗い事を考えるのはよそう。そんなんじゃきっと、僕もカンナも本心から楽しめない。
そんな時だった。どこからともなく「ぐぎゅるる」と言う地獄からの咆哮が聞こえたのは。
「え、今の音なに?」
「今の音って? あたしには何も……」
くきゅううっと、今度はやや可愛らしい音。それが何の音なのかは最早考えるまでもなかった。なぜならば、隣を歩く幼馴染が自分のお腹をポコポコと殴りながら、再び顔を染めていたからだ。そんな状況を見て何もわからない方がどうかしている。
「ひょっとして、お腹すいたの?」
「……うん」
その場に立ち留まって、控え目にコクリと頷く彼女。
「仕方ないじゃない! 昨日のお昼から何も食べてないんだからね! なんか悪いの!?」
「別に悪いなんて言ってないけどさ……そういえば、僕たちまだ朝ご飯も食べてないんだね。せっかくだし、たまには外で朝ごはんでも食べる?」
昼食や夕食を外で食べる事はあったとしても、朝食を外で食べるという経験は、思い返す限りノエルにはなかった。朝は軽めに済ませるという心情の彼にとって、レストランで出てくるような食事は、若干重たい気もする。しかしそれこそ、せっかくだしたまにはいいだろう。
「あたしは別にいいけど、こんな時間からやってるレストランってるのかしら? このあたりのお店って、だいたい十時ころからよね」
カンナが道路わきに半ば装飾品のようにして立っている時計を見上げるのに釣られて、ノエルもその時計を見上げる。すると現在の時刻は七時五十分、十時にはほど遠い。
「あんたがさっき言ったみたいに、もう開店してる気の早いお店もあるみたいだけど、さすがに食べ物屋さんはね」
「とりあえず、もう少しフラフラしてみよっか? フラフラしてるうちにレストランが見つかるかもしれないし、それに僕はこうやってカンナと話しながら歩いてるの楽しいよ」
「ば、バカじゃないの!」
「カンナは楽しくない?」
「あたしは別に……もにょもにょ」
内容は他愛もないが、ノエルにとっては心安らぐ日常の会話を続けながら歩くこと数分。ノエル達は八時開店のレストランを見つけていた。
「こちらの席でよろしいですか?」
ややぶっきらぼうな女性店員の声に「はい」と答え、ノエルとカンナは通りに面した窓際の席につく。
「注文がお決まりした頃、またお伺いします」
店員が去って行ったのを確認してから、ノエルは店内を見回す。最後に行ったレストランが森林公園のそれだったため忘れていたが。
――汚い、ものすごく汚い。
看板が傾いているという斬新な外装を見たときから感じていたことだが、この内装を見てノエルは改めて思った。悪い意味で年期の入った内装、黒ずんだ木は至る所に亀裂が入り、いつ崩れるかと見ている者を見事に心配させてくれる。さらに天井を見上げれば大きな蜘蛛の巣に、これまた大きな蜘蛛が鎮座している。極め付けは目の前のテーブル、どこからか拾ってきたであろう樽の上に、凸凹とした板を置いただけの実にシンプルな設計のそれは、体重をかければあっという間に壊れてしまうだろう。だがこれこそが、
――安定の下層だな。こういう店に入ると、ここが下層だって改めて思う。
落ち着くべきところではないのだろうが、何故だか落ち着いてしまうノエルだった。そしてそれは、どうやら下層で一緒に育った幼馴染も同じようだ。
「こういう汚い所、なんだかんだで落ち着くのよね……貴族になってもそういう下層根性は抜けないみたい」
「仕方ないよ、そういう所で育ったんだから。それに悪い事でもないでしょ?」
「ふんっ、あんたに言われなくてもわかってるわよ! で、あんたは何食べるの?」
「僕? 僕は……」
ノエルは今まで店内を見回すばかりで、メニューを全く見てなかった。気を取り直してメニューから料理を選び、カンナの分も合わせて店員に注文すると、彼は再び幼馴染の彼女との会話に花を咲かせる。
「そういえば……っ」
「お腹すいたわね、早く来ないしら!」
「……カンナって何気に食いしん坊だよね、カンナと居ると食べてばっかな気がするし」
「ちょっとあんた! それどういう意味よ!? ノエルだって一緒に食べてるでしょ! 自分だけ助かろうなんて考え方がせこいわよ!」
「いや僕は別に……というか、そういう言い方をするってことは自覚あるんだ?」
「~~~~~~~~~~~~っ!」
照れているのか怒っているのか、カンナは口をとがらせて唸っている。しかし、二人で出掛けている今を楽しんでくれている事だけは、ノエルにもわかった。今を楽しんでいるのはもちろん彼女だけではない、ノエル自身も今を楽しいと感じていた。本人に言うのはこそばゆいため言っていないが、カンナと居るとどうしようもなく落ち着くのだ。それと同時に楽しさを感じる。おそらくそれは、彼が彼女とともに長年過ごしてきたから……幼馴染としての絆のようなものだろう。
「…………」
しかし、どんなに楽しくても……楽しければ楽しいほど、ノエルは思うことがあった。その思いは池に投じられた石のように、彼の胸に波紋を広げていく。そんな思いを外に出さないように努めていた彼だったが、やはり完全に隠す事じゃできなかったようだ。ましてや、長年の付き合いがあるカンナが相手ならば、ノエルの些細な変化に気がついて当然だ。
「何だか変な顔してるけど、大丈夫?」
「いや、別に変な顔はしてないけどさ……」
「けど何よ? はっきりしないわね! 男ならちゃんと言いなさいよね!」
ノエルのなんとも歯切れの悪い言葉に、いつも通りカンナが噛みつく。「早く言え!」と、目でひたすらに促してくる幼馴染、そうなれば基本的にカンナと事を荒立てたくない彼は、彼女の言う通りにするしかない。
「今さ、二人でこうしていて凄い楽しいよね?」
「そ、そうね……楽しくなくもないかもしれないわね!」
楽しいのかどうか実に曖昧な言葉だったが、話が進まないでおそらく楽しいのだろうという事でノエルは話を進める。
「こんなに楽しい日々がずっと続くなら、僕たちって本当に幸せだなって」
「はぁ……そんな事考えてたの? 安心しなさい、あんたが望むにしろ望まないにしろ、この生活はずっと続くわよ。あたし達は姉弟みたいなもんなんだからね! それで、あんたが変な顔して考えてたのはそれだけなの?」
「……あと一つ、ある」
今から言う事は、カンナを正視したままでは難しく感じたため、ノエルは彼女の視線から逃げるように下を向く。
「カンナと居ると、ただでさえこんなに楽しいのに」
――ここに彼女が居たら。
「ここにメルトさんも居たら、もっと楽しいのかな」
「…………」
「…………」
「…………」
一向に返事をしてこないカンナに疑問を抱き、ノエルは「カンナ?」と、確認しながらゆっくりと彼女の方を見る。すると、
「っ!」
目の前には虚ろな目に氷の様な炎を讃えたカンナが座っていた。髪も目つきも、そして表情も……その全ては慣れしたんだ幼馴染のものだが、全身から漂うネットリとまとわりつくような冷やかな雰囲気、そして目の奥に宿る冷たい炎。ノエルには彼女がまるで別人になってしまったかのように感じられた。少なくとも、今まで一緒に生活してきた中で、こんな様子の彼女を見たことがない。さすがに心配したノエルは、なぜか体が震えそうになるのを必至に堪えて言う。
「カンナ? どうし……」
「どうして」
「え?」
「ねぇ、ノエル。どうして? 今ノエルの前に居るのはあたしなのよ? それなのに何であの女のことを考えてるの? あの女のことを口に出すの? 終いには何よ……あの女が居ればもっと楽しい? 何で、あいつが居なくなったのに何で……どうしてノエルはあたしだけを見てくれないのよ!」
立ち上がると同時にテーブルに振り下ろされるカンナの手、衝撃で水がこぼれるが、なぜかノエルにはそれがどこか遠くで起きていることのように空虚に感じられた。
「あいつはもうすぐ死ぬのよ!? なのに何であいつのことばかり……っ」
「カンナ!」
ただただカンナの言に圧倒されいたノエルだったが、彼女の言葉の中にはどうしても聞き逃せない箇所があった。
「もうすぐ死ぬって、どういうこと?」
カンナは確かにそう言った。勢いに任せて言ってしまった事なのだろうが、だからこそ真実味がある。そして、もしそれが真実だというならば……。
「メルトさんが、もうすぐ死ぬ?」
「っ……それは」
ようやく自分の失言に気が付いたのだろう。今度はカンナがノエルの視線から逃れる番だった。しかし、もう何をしても遅い。すでに言葉はノエルの耳へと届いてしまっているのだ。さらに、カンナの気まずげな態度が、ノエルの追求に火をつける。
「ねぇ、どういうことなの!? 何でメルトさんが死ぬんだよ! 牢屋に入って、罪を償ったら出てくるんじゃないの!? クルーガさんから僕は……だから僕は取引に応じたのに! カンナ! 黙ってないで教えてよ! どういうこと!?」
「……どうもこうもないわよ」
それは長年せき止めていた何かが決壊するかのように、一気に流れ出した。
「全部ノエルのためよ! ノエルがあいつと居る間、あたしがどういう気持ちだったか少しでもわかる!? あたしはノエルの事がずっと好きだったの、世界で一番大事な人が……そんな人が危険なテロリストの傍に居て、仲間になるか迷ってて……あんたにはわからないでしょ!」
「だからって、クルーガさんとグルになって僕を騙すなんてっ」
「騙したから何よ! あたしは、あたしはあんたの傍に居たいの! あんたが他の誰かの所に行くなんて考えられない、他の誰かの事で悩んでる姿なんて見たくない! お願いだから……」
カンナは力が抜けたかのように椅子へと座る。
「ねぇ、ノエル。お願いだから……あたしの傍に居て、あたしだけを見て」
最後に「お願い」と、言い聞かせるようにもう一度言ったカンナの瞳は、涙に濡れていた。
●●●
時刻は午前三時を過ぎ、日付はとう変わってしまっている。あと数時間したら朝だろうか。ノエルは帰宅してからずっと椅子に座り、机に肘をついて重たげに頭を抱えていた。何度か眠ろうとはしたが、脳が眠るのを拒否するかのように寝付けない。
――なんか最近、全然寝てないな。
ノエルは昨日、カンナと言い争いをした後も二人で一緒に出掛けていたが、どこで何をしていたのかまるで記憶に残っていなかった。それどころか、メルトが死ぬという事を聞かされてからというもの、時間の感覚があいまいになり、一気に現在まで時間が飛んでしまったような気さえしていた。
――カンナには申し訳ないけど、仕方ないか。
あの様な話を聞かされたあとだ、正直カンナとの会話をしている余裕などあるはずがない。全てを上の空で過ごしていたため、ノエルは時間が消失したような錯覚に陥っているのだろう。
――もうすぐメルトさんが死ぬ、それを聞いて僕はどう思っているんだ?
メルトが処刑されるという現実に陥ったのは、他の誰でもない……ノエルが、助けに来てくれた彼女の事を裏切ったからだ。捉え方を変えれば、ノエルがメルトを殺される状況へと追いやったようなものだ。もしこれで本当に彼女が死んでしまえば、殺したのは彼だと言われても仕方がないだろう。その事は彼自身ハッキリと理解していた。
――メルトさんが死ぬのは僕のせいだ。だったら……だったら僕は。
「僕はどうすればいいんだ?」
ノエル以外誰もいない自室に空しく響く言葉、もちろん答えてくれる人は誰もいない。彼は自分のせいでメルトが捕まってしまい、処刑されそうになっているのは理解できているが、そこからどうすればいいのかがわからない。彼は先ほどから答えの出ない問題を解き続けているような気分だった。
――もし助けに行けるなら行きたいけど、僕には何かを変えるような力はない。それでメルトさんを助けに行ったって、何も出来ないだけじゃなく二人ともその場で殺されるかもしれない……いや、そもそも僕はメルトさんの居場所も知らないじゃないか。
こういうときこそ誰かに相談したかったが、話が話だけにそれは全く期待できない。他人に話せる性格の話題でない上、カンナに話せば藪蛇になりかねない。
「何でこんなことになったんだ……僕が悪いのか? 僕のせいでこんな」
いくら考えても、考えが堂々巡りするだけで何も浮かんでこない。
「くそっ!」
何にイラついているかわからないままに、ノエルは机の上に載っている物を全て腕で薙ぎ払う。物にあたるのは幼稚なことであるし、とても情けない事だとわかってはいたが、それでもなおその衝動を抑えることは出来なかった。
「…………」
――何やってるんだろう。
「最低だな、僕って……自分がどうしたいかわからなくて、迷った挙句に物にあたって」
本当に最低だ。と、ノエルは呟いてからクローゼットへと歩いていく。このまま家でこうしていても、考えてイラついて物にあたるという負の連鎖が続きかねないと判断した彼は、上に羽織るものを引っ張り出し、散歩に出かけることにした。もうすぐ朝とはいえ、まだ明るくなっていない時間帯のため、おそらく人通りは皆無のはずだ。治安が悪い下層において、そのような時間帯の外出は控えた方がよいのだろう。しかし、そんなことはどうでもよかった。少しでも今の気分を紛らわすことが出来るのなら、今の彼はその程度の事など全く気にしない。裏を返せば、彼の心はそう思えてしまうほど荒れていた。
「出かけるって、カンナにも一声かけた方がいいよな」
正直なところ、今現在ノエルはカンナと会いたくはなかった。同じ屋根の下に暮らしているので、そんな事は不可能であるし、彼女はいつも通り自然に接してくれるのだが、今はまだ会いたいと思えるような気分にはならないのだ。その心境はノエル自身にも言い表すことは出来なかったが、あえて似ているものを挙げるなら、気まずさが一番近いだろう。
「あれ? これって……」
カンナになんて声をかけよう。と、普段ならば気にもしない事を考えながら服に袖を通していたノエルだったが、ふととある違和感に気が付く。それを感じたのは、手に取って今まさに着ようとしている真っ黒い服に対してだった。
「こんな服、持ってたっけ?」
服の事など気にしている余裕はない……一瞬そう考えたが、なぜか彼にはどうしてもその服が気になった。自分の直観に従って、その服を上から下までよく見てみる。膝を超えるほど丈の長い黒い服、そして襟元には頭を覆い隠せそうほど大きなフードが付いている。一番特徴的なのは、この服を着たときに脇腹あたりに来るであろう場所に、何かで刺したような穴が開いていたことだ。
「これ、は」
気になるも何もない、手に取った瞬間気が付くべきだった。この服はノエルのよく知る人物のものだ。ヴェロニカに言われるままに家まで運び、なんとか着替えさせたあの人の物だ。洗濯して畳んで、クローゼットに入れておいたのを彼自身忘れていた。
「そういえばこの服、メルトさんに返してなかったな。それどころかメルトさん、カンナの服着っぱなしじゃないか……はは、なんだかんだんでメルトさんもおっちょこちょいだな、渡すのを忘れた僕が言えた台詞じゃないけど」
思わず笑いが込み上げてしまう。
「はは……あはははは」
しっかりしているように見えて、どこか抜けている彼女の姿に、脳裏に焼き付くその姿に。
「本当に……ほんっと、僕は」
自分の本当の気持ちにすら気が付けていなかった彼自身に。
「いったい僕は何をしてるんだ……最初から、最初からわかってたじゃないか」
ノエルは皺が出来てしまう事なんてお構いなく、黒いローブを思い切り握りしめて思い出す。目指しているものは正しくなかったかもしれないが、誰よりも真っ直ぐだった彼女。いつも黄金の様な輝きを放って彼の前にあり続けた彼女。
その輝きが潰えることなど、ノエルには想像すらできなかった。
「僕は後悔してるんだ、自分がしたことに……そしてそれを認めるのが怖くて、それに向き合って一歩踏み出すのが怖くて、僕は自分を納得させるために言い訳して、考えるたびにイライラするのも……それにいつまでたっても答えが出ないのも当たり前だ」
――いや、答えは最初から出てたんだ。出ているのにそれを答えだと認め湯とはしなった。
――僕は、
「僕はメルトさんを……」
ここら先の言葉は口には出さず、胸に秘めておく。今言葉に出せば、実現しなくなりそうな気がしたのだ。言葉に出すよりも、今は行動した方がいい……その方が心のうちで決めた何かが鈍らない、ただそんな気がした。
ノエルは漆黒のローブを羽織、顔を隠すようにフードを深く被る。そして、自室に居るはずのカンナに気が付かれないようにリビングを抜け、しんと静まり返った夜闇の中へと出ていく。
「やっぱりまだ暗いな、でも暗い方が僕にとっても好都合か」
よし、行こう。そう言って歩みだそうとした時、彼の歩みは止められる。
「何が好都合なの? それにその恰好は何?」
「……カンナ」
今しがた出たばかりの玄関。ノエルが後ろを振り返るとそこには、闇の中でも凛と輝く守護騎士団の制服を身にまとったカンナが立っていた。そして、その彼女が身にまとっている雰囲気は圧倒的に異質なものだった。不正を許さず、悪しきを罰する……まさに正義を体現したかのような触れ得ならざる様な気配。
「返答によってはノエル、あんたをこの場で逮捕させてもらうわ」
カンナの目を見る限り、彼女が言っている事は本当だろう。返答次第ではその輝きを敵意に変えることも辞さない……そういう目をしている。だが、ノエルにも覚悟がった。
「カンナ、僕はしなければならない事があるんだ。だから、お願いだから……今は退いてくれないか?」
「…………」
答えは返ってこない。あるのは夜闇にふさわしい沈黙だけだ。このまま黙って去れば、カンナは追ってこないかもしれない。ノエルはふとそんな事を考えたが、何故かそれではダメな気がした。そんなことをすれば、いずれまた後悔する時がくる。
――メルトさんの時みたいに、あとから後悔なんて……僕はもう二度としたくないんだ。
「僕が今からしようとしていることが正しいかどうかなんてのはわからないけど、僕は今それをしないと、今感じている後悔の念を一生抱えたまま生きていくことになる……そんな生き方はしたくないんだ。自分でメルトさんを裏切って都合のいいように聞こえるかもしれない、でも僕は彼女を助けに行く。それで僕が許されるかはわからないけど、何も変わらないかもしれないけど、少なくても今いかなかったら、僕は僕の事をずっと許せない」
「……そう、やっぱりあの女の所に行くのね。行ったって無駄よ、あいつの処刑は明るくなると同時に行われる……もう間に合わないわ。それにあいつの居場所もわからないでしょ? それだけじゃない、ノエルには何の力ないもないじゃない!」
強い語気とは裏腹に、カンナの声はひどく震えていた。先ほど感じた異質な感覚も最早感じはしない。そんな彼女はノエルへと二三歩歩み寄り、震える指先で懸命に彼の胸元へと縋りつく。
「お願いだから……行かないで、守護騎士を相手にしたら殺されちゃうかもしれないのよ? あたしはそんなの嫌だ、ノエルが殺されるかもしれないなんて嫌だよぉ……」
声と体を震わせ、小動物の様に弱々しいカンナの様子は、守護騎士団の副団長などではなく、どこにでもいる普通の女の子のように見えた。しかし、今の彼女を前にしてもノエルには退けない思いがある。
――カンナ……ごめん。
「僕はそれでもっ」
「……っ! なんで、なんでよ! あたしよりあいつの方が大事なの!? ノエルはあたしと一緒に居たくないの!?」
胸を強く叩かれる衝撃に次いでノエルが感じたのは、カンナの頭を寄せてくる感覚。肩はある一定の間隔で小刻みに揺れる、おそらく泣いているのだろう。彼女が泣いているのは……否、彼女を泣かせてしまったのは幼少時以来なので彼は一瞬戸惑うが、すぐに戸惑ってる場合ではないと思い直す。
「メルトさんだからとか、カンナだからとか、そんなのは関係ないよ。仮にカンナが今のメルトさんみたいな状況に陥ってたら、僕は何を捨ててでもも……どんな犠牲を払っても絶対に助けに行く。それに僕は気が付いたんだ。世界に変わってほしいと思うなら、まず最初に自分が変わらなくちゃならない、自分が変わればきっと世界の見え方も変わる。自分が動かないと何も変わらないし、変えられない」
――だから僕は、
「僕はそれでもメルトさんの所に行くよ」
ノエルは両手でカンナの肩を軽く押し、自分から引き離す。
――僕はカンナに愛想つかされるかもしれない、それでも僕は行かなくちゃならないんだ。それにもう言いたいことは言えた、僕がカンナに伝えられる全ては伝えた。だからきっと彼女もわかってくれる。
そしてノエルは歩き出す。いつも傍に居てくれたたった一人の幼馴染に背を向けて。
「……そう、わかった……わかったわノエル」
去っていくノエルの背中にかけられるのは、感情を感じない冷たく捩じれた声。
「ノエルがあいつのところに行くなら……あたしにだって、考えがるんだから……あは、あはははははは……」
壊れた様なカンナの声は、ノエルに届くことはなかった。