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ザ・ミッシングサン  作者: 紅葉コウヨウ
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第四章

「カンナ……カンナ・オールラウンド」

「メルト」

「…………」

「…………」

「「ふんっ!」」

 ――はぁ……どうしてこうなったんだろう。

 そんな事を考えながら、戦場と見間違わんばかりに散乱したリビングを、一人で蟻のような地道さで掃除しているノエル。

 現時刻は彼の幼馴染であるカンナの帰宅から三十分後、メルトとカンナの両名は顔を見合わせたとほぼ同時に、家の中でスカイシェードを用いたプチ戦争を始めたのだ。あまりの事態に茫然としていた彼が我に返った時には、家の中は現在の状況になっていた……要するに、丸テーブルは灰に変わり、部屋の隅で出番を待っていた古い冷蔵庫は自らが冷凍されていた。もちろん被害はそれだけには留まらないが、ここでは割愛する。

 さて、そんな荒ぶる神のような二人をやっとの思いで説得し、何とか自己紹介からやり直させて今に至るのだが、二人の様子を見る限り、その関係性は全く改善されていないようだ。

 ――はぁ……掃除してる場合じゃないか、本当に……はぁ。

 ノエルは心の中で何度もため息をつくと、今から最後の戦いにでも赴くかのような覚悟で、「ふ、二人とも……あの」と、やや小さめの声を、小さいながらにはっきりと口にす。すると案の定というべきか、カンナとメルトの鋭い視線が彼へと集中する。

 ――こ、怖い。でも、ここで怯んだらダメだ! たまには僕だって、言いたいことがあるときは言うんだ!

「えぇと、二人とももう少し仲良くしてほし……」

「なによ?」

「なんだ?」

「だから、その……仲良く……ごめん、何でもない」

 ――無理だ、この二人の間にこれ以上介入するのは、僕には出来ない。怖すぎる!

 二人から「何か文句あるのか?」と言わんばかりのプレッシャーをかけられ、再び黙って掃除を始めるノエルだったが、今回はそれさえさせてくれなかった。

「ちょっと! 何でそんな不満そうな顔してんのよ? 言いたいことがあるなら、ちゃんと言いなさいよね! だいたいね~」

 聞こえてきた声はカンナのものだ。聞いているだけで寒気がはしる程に美しいその声、彼女の事を何も知らない人が聞けば、冷たそうな印象しか受けないだろう。しかし、幼少の頃より幼馴染として一緒に長い時間を過ごしてきたノエルには、彼女の投げかける言葉の芯が暖かいものであるとわかっている……が、あくまでもそれはごく一般的な生活を送っている時の話であり、現在の様に家の中にテロリストが入居る時の話ではない。すなわち……、

「何であたし達の家にこんなのが居んのよ!」

 指揮者のように勢いよく人差し指をメルトに向け、ノエルに怒鳴りつけるカンナ。

 烈火の如く怒鳴っている彼女の声は、どこかに普段通りの冷たさを感じさせる。だがしかし、その全てが普段通りというわけではない。その声には、彼が普段感じているような暖かさは微塵も感じられなかった。

 ――やばい。カンナの奴、完全に怒ってるな。

「あ~もう! 信じらんない! しかもこいつがテロリストなの知ってるんでしょ?」

「うん、まぁ」

「うん、まぁ……じゃない! 意味がわからないわ……どうして昨日やりあった相手と自己紹介しないといけないのよ!」

 最早、冷たさすらも消え失せつつある声で、カンナの怒りの放出はまだまだ続く。おまけに、彼女は言葉を話すと同時に、歩いてどんどんノエルに近づいてきているため、今彼は壁際い追い詰められてしまっていた。

「ちょっと、あんた! 聞いてるの!?」と、彼女は彼を壁に押し付けるように、人差し指で彼の胸を突く。

「い、痛いってば! そんなに怒らないでよ!」

「怒られて当然の事をしたんだから、怒られて当然でしょ!」

「な、なんか言葉使いがおかしいよ……」

「うっさい! あんたは一々口答えしなくていいの! 黙ってあたしの言う事を聞いてなさい! ……ふん、何よ。あたしって存在があるのに、何で別の女を……しかもテロリストって、もう最悪」

「ごめん、後半なんていったか分からなかったんだけど?」

「う、うっさい! 何でもないんだから!」

 心なしか頬を薄紅色に染めているカンナに、ノエルが不思議そうな視線を向けていると、「うむ、ところでノエル」と、今まで黙って二人のやり取りを聞いていたメルトが会話に参加してくる。

「なによ?」

「ちがう、わたしはカンナを呼んだのではない! ノエルを呼んだのだ!」

「そんなの知ってるわ。これからこいつと話すときは、全部あたしを通してくれる? じゃないとノエルに悪影響なんだもの」

 言って、カンナは悪臭がする腐った生ごみでも見るかのような流し目で、メルトを冷やかに射る。一方、そんな目で見られた彼女は何も気にしていないかのように、ノエルに再び声をかける。

「ノエル、邪魔が入ってすまなかったな」

「邪魔って誰の事よ! あんまり調子に乗ってると逮捕するんだからね! むしろ、あたしがあんたを未だに逮捕、もしくは処刑してないのが奇跡だわ」

「それでなノエル」

「…………」

 ――き、聞こえた。今幼馴染から決定的な何かが切れる音が聞こえた。でもここは放置しよう、触る神に何とやらというやつだ。

 ノエルはとりあえず、彼の胸を刺し貫かんばかりに指に力を入れ、噴火寸前の火山のように震えている少女を放置し、メルトとの会話に集中することにした。これ以上カンナに下手に衝撃を与えれば、彼女の氷のような自制心をもってしても噴火は免れないだろうとの判断からとった行動だったが、


「わたしは今日もノエルの部屋で寝てよいのか?」


 ノエルの行動むなしく、火山は噴火した。メルトという少女が火口に投げ込んだ爆弾によって、大噴火が引き起こされてしまう。

「ぐっ、ぐるじぃ……」

 突如締められる首、自分の首に食い込む二つの小くて可愛らしい手。そんな可愛らしさとは対照的に、目の前から感じるの圧倒的な冷気、比喩的なことでなく、実際に冷気が放たれているのだ。現に目の前の冷やかに大噴火中の火山を中心に、部屋中が氷始めている。

「ねぇノエル……どういうこと? あいつと一緒に寝たって……どういうこと?」

「い、いや……」

「うっさい! 言い訳なんか聞きたくないわ!」

 ――言い訳も何も、僕はメルトと寝たなんて一言も言ってない! というか苦しい、このままだと殺される! それに部屋がだんだん冷凍庫みたいになってきてる……カンナを何とかしないと凍死しかねない。

 普段のカンナは冷静で正しい事しかしないが、押し寄せる感情の波がある一定を超えると、今のように若干暴走して何をするかわからない危うさがある。それを小さい頃からの付き合いで学んでいたノエルは、彼女をなだめる為にも、そして彼女の誤解を解くためにも何とか説得を試みる。しかし、彼の果敢な挑戦はメルトの投げ込む更なる爆弾発言により空しくも水泡に帰す。

「カンナ、なぜそんなに焼きもちを焼いているのだ? ふっ、全く余裕がない奴よのう……これでは普段から一緒に暮らしているノエルが可哀想だな」

「なっ」

 ノエルが「何言ってるんですか!」と言おうとした直前、カンナが湯気でも出さんばかりに顔を真っ赤にし、今まで彼の首を絞めていた手を放してメルトへと向き直る。

「何言ってんのよ! あんたバカじゃないの!? べ、別に焼きもちなんかじゃないんだからね! あんたみたいのと一緒に寝てたらその……」

「その? なんだ?」

「だから……あ、悪影響なのよ!」

 カンナは両手を握りしめ、下へまっすぐ突き出す様な形でまくしたてる。

「そう、悪影響だわ! ノエルはバカで頼りなくて、男として情けないような性格の持ち主だけど、良いところだってあるんだからね! あんたなんかと一緒にいたら、その良いところに悪影響が出るのよ!」

 ――な、なんか酷い言われ様だ。

「だいたい何であたしの服を着てんのよ? 誰の許可をとったの? あ~嫌だ。罪人の匂いが染みついた服なんてもう着れないわ」

 カンナが指さすのは、メルトが来ている白を基調としたワンピース。それは昨日、ノエルがカンナのクローゼットから選び、寝ている間に彼女へと着せたものだった。

 まずい、その事にはあまり言及してほしくない。と、彼がカンナを止めようとするが、

「これか? うむこれはわたしが寝ている間に、ノエルが着せてくれたのだ」

 止めるにはすべてが手遅れだった。そしてメルトは、言ってほしくない部分をクリティカルに言い当てるのだった。

「き、着替えさせ……うそ……うそよ。あたしだってまだ見せてないのに」

「うむ、それになんだ? わたしに服を着られるのがそんなに嫌なのか? だとしたら悪かったな、お前が惚れているノエルにもわたしの匂いは染み込んでいるぞ? なんせ上に跨ってやったからな」

「どういう意味!? それどういう意味よ! それに……別にあたしはほ、惚れてない! あたしは惚れてなんかないんだから! 逆よ、そう……逆だわ! ノエルがわたしに惚れて……じ、じゃなくて! あ~もう!」

 明らかにカンナを挑発して楽しんでいるメルトを見て、ノエルは内心ひやひやしていたが、彼女を止めようとは思わなかった……否、止めることは出来なかった。なぜならば、ここで仮に彼が再び会話に参加してしまえば、槍玉にあげられるのは彼になる可能性が非常に高いからだ。そうなるとメルトはともかく、カンナの言及は怖すぎる。よって、彼は部屋の隅で小さくなって、目立たないように掃除を始めた。

 ――氷……どうやって溶かそう。


      ●●●


 ――いったい何が起きているんだろう。

「ノエル、もう少し向こうに行け、狭いのだ」

「そんなのの言う事なんか聞かなくていいわ。そいつが出てけば解決するんだから!」

 後にノエルが名づける事になる『お部屋の中冷蔵庫事件』から数時間後、まだ日付が変わっていない夜の話。辺りの家の灯りが消え、世界が眠りにつき始める間際、彼を巻き込んだメルトとカンナの言い争いは、一応の決着を見せていた。現状を決着と言っていいのならばだが。

「うむ、カンナは道徳のかけらもないな。怪我人に出て行けというのか? これだから貴族は好かんのだ」

「あんたのどこが怪我人なのよ! 普通に元気じゃない!」

「何を言うのだ! わたしはお前に刺されたのだぞ!」

「そんなの知らな~い、自分で刺したんじゃないの? あんたバカそうだし」

「な、なんだと!? こんな侮辱は初めてだ……」

 ――もう何でもいいから、寝かせてください。

 現在の状況とは至極シンプルなものだ。ノエルのベッドに、彼を挟んでメルトとカンナが寝ている。たったそれだけのものだが、そこで起きている事は反比例しているかのようにシンプルではなかった。なにせ、彼を挟んで二人の少女が永遠と言い争いを繰り広げているのだから、間に挟まれている彼は溜まったものではないだろう。余談だが、こういう状況になった理由はノエルにもよくわかっていない。ただ、彼の頭に今でも残っているのは、カンナの『き、今日はノエルの部屋でノエルと寝るわ!』という妄言と、メルトの『奇遇だな、実はわたしもノエルと寝ようと思っていたのだ』という狂言だった。

 ――メルトさんはからかってるだけだとして、カンナはどうしたんだろう? 普段は僕と一緒に寝るなんて、天地がひっくり返っても言いださないのに……まぁきっと変なところでメルトさんに対抗心燃やしてるだけだろうな。待てよ、もしそうなら必要なのは僕のベッドで寝ることであって、僕自身がここに居る必要はないんじゃないか?

「あ、あのさ……二人は僕のベッドで寝ていいから、僕は違うところで寝……」

「「ダメ」だ!」

「……はい」

 ノエルは再び再開した小規模な戦争にうんざりしながら、ゆっくりと眼を閉じる。彼は本格的な眠りに落ちるまでの間、とあることをずっと考えていた。それは両隣にいる溢れんばかりの輝きを宿した正反対の少女たちの事である。

ノエルは小さいころからずっとカンナと二人で生活してきた。ある日、彼女が守護騎士団に入り、貴族の仲間入りをしてからも、彼女は特例的に上層に住まず、必要最低限の時以外は下層のこの家に住み続けた。本人は決して口にしないが、それはノエルを一人にしないためであったのは火を見るより明らかだ。そして、彼女とのそんな生活が寂しいわけでは決してないが、彼は思う。

カンナが居て、僕が居て……そしてメルトがいる。そんな生活も賑やかで悪くないな。と、そんな事を考えているうちに、彼の意識は夜の闇よりなお深い、漆黒の中に溶けていった。


      ●●●


 翌朝、ノエルはリビングから聞こえるリズミカルな音で目を覚ます。おそらく、リビングと併設されているキッチンで、カンナ辺りが包丁片手に朝食を作ってくれているのだろう。今までは微睡の中、ぼんやりとした思考しか持っていなかった彼だったが、朝食という単語を意識した途端、昨夜は夕飯を食べていないことを思い出し、腹の減り具合も相成って急速に意識が覚醒し始める。

 彼が一番最初に感じたのは、朝独特の空いた胃へと染み渡る匂いだった。

「お腹すいたな……」

 目を半開きにしてるにも関わらず、依然として辺りが暗いままな事に若干の疑問が湧き上がるが、何かを入れろという胃から催促に、小さな疑問は小さなままに消え去ってしまう。

「何だかカンナの朝ごはん食べるの久しぶりな気がするな」

 今日はどんなものを作ってくれているのだろう。と、ノエルが鼻を犬のようにヒクヒクとさせながら、自らの嗅覚に意識を集中させる。早く起きて、自分の目で確認するのが一番早いのだが、ベッドには使用者を引き離さない妙な魔力があるのだ。特に今日のように仕事のある日は、一秒でも長く毛布に頭から包まっていたい衝動に駆られる。

「いい匂いだな」

 まだ寝ぼけていたノエルの鼻腔に届いたのは花の香り。花の香りと言っても、フォート・レイン上層の貴族がよくつけている、あきらかに高級そうで刺激臭と間違うかのうに強い香水の香りではない。そう、感じるは人工的に作られたどこか不安を感じさせる香りではなく、まるで心を直接抱擁するかのように優しく優雅な香り。

 そして彼はようやく気が付いた。

 ――これって何の匂いだ?

 ノエルはまだ長い年月を生きてきたとは言えなかったが、今感じているものが食べ物から発せられる匂いではないことはわかった。食べ物から感じられる匂いなのだとしたら、事細かく分析しているうちに、とっくに彼の胃は声をを出して自己主張し始めていたことだろう。

 ――だったらこれはなんだ?

半開きではなく、ノエルは今度こそ両目を見開く。だがしかし、飛び込んできたのはまたしても闇だった。キッチンからは料理の音が聞こえるので、今は間違いなく朝のはず、ならば何故こんなにも暗いのか。

 ――いったい僕の身に何が起きてるんだ!? 

 まさか失明したのだろうかと、ノエルは自分の身が心配になるが、その心配はすぐに霧散することになる。


「んっ……うみゅ、ノエルは……仲間ににゃるにょだ……」


「!?」

 ――な、何が起きているんだ!? メルトさんの声が脳内に直接響いてきた?

 否、そんなわけがない。ノエルはもう一度落ち着いて現在の状況を確認する。そして気が付いてしまった。彼が現在、とんでもない状況に陥っているのだということを。

「こ、これは!」

 ノエルはようやく、辺りが闇に包まれているのかを理解した。視界が闇に閉ざされていた理由、それは彼の顔の前面に何やら温かく、柔かいものが押し付けられているからだ。彼が動こうとすると、ときおり小山の先端のようなものが顔の皮膚を刺激する。

 即ち……朝、目が覚めるとそこには彼の頭を抱くようにして眠るメルトが居た。

「~~~~~~っ!」

 布越しにとはいえ、自分がとんでもないものに顔を押し付けているという幸福、そして羞恥心に顔を極限まで熱した鉄のように真っ赤にしながら、声にならない声をあげて飛び起きる。

「……うみゅ~」

「お、お、お、おおお」

 自分でも何を言っているのかわからない悲鳴、もしくは歓喜の声をあげながら、メルトを起こさないように、ゆっくりと後ずさりして部屋を出る。

「お、おお、おおおおお、おおおおおおお」

 ――お、おっぱい、おっぱいが……おっぱ……。


「あ、起きたの? おはよう」


 いつの間にリビングまで来ていたのか、サクランボの実った二つの小山の事で頭がいっぱいだったノエルの頭に、冷水を浴びせるかのような声が聞こえてくる。

「なによその顔? 今ごはん作ってるから、もう少し待ちなさいよね」

 声の主はカンナだ。今日は休暇のためか、いつもの守護騎士団の制服を着ておらず。鮮やかなイラストの入ったTシャツに、デニム生地の短パンというラフな格好をしていた。

「あ、うん。おっぱ……じゃなくて、おはよう」

 彼の挙動不審な態度に、カンナは頭上にクエッションマークを浮かべながら、再び料理に戻る。彼女の一連の動作を確認してから、ノエルはピンク色に騒ぎ立てる心を落ち着ける為にも一人席へとつく。

 ――とんでもない経験をしちゃったな。

 どう心を落ち着けようとしても、脳裏に浮かんでくるのは先ほどの感覚。頬にあたる母性の象徴、女の子独特の優しい香り。数々のイメージがノエルの頭を否応なく蹂躙していく。彼はどうにか煩悩を晴らそうと、丸テーブルに肘をついて頭を抱える。すると、丸テーブルが突如、耳障りな悲鳴を上げ始める。

 ――っと、そうだった。

 今あるこの丸テーブルは昨日、灰になってしまった丸テーブルの代わりに、外に隣接されている物置から取ってきたものなのだ。灰になったもの以上にボロく、大破寸前の骨董品だったが、緊急措置として引っ張り出してきた。あまり体重をかけるのは得策ではないだろう。

「それで?」

 気が付くと目の前にはカンナが座っていた。あんな体験をしたにもかかわらず、頭はまだどこかボーっとしていたようだ。彼女が近づいてくるのに、まるで気が付かなかった。

「料理はいいの? まだ火が付いてるみたいだけど」

「味を染み込ませてるのよ、だから少しの間あのまま。ねぇ、ノエル……そんな事より、それでどうなのよ?」

 最初の問いかけと合わせて二つ、質問を重ねてくるカンナ。その顔に浮かぶ疑問の表情も合わせれば、三つ重ねられていることになる。しかし、ノエルには彼女の質問の意図がいまいちよくわからない。カンナは彼のそんな考えを読み取ったのだろう。「もう! 少しは察しなさいよね!」と、口を不機嫌に尖らせる。

「あのさ、ノエル。あいつが……メルトだっけ? とにかくあの女が仲間がどうとか寝言で言ってたんだけど……大丈夫だよね?」

 何が大丈夫なのか。と、一瞬問いそうになるノエルだったが、すぐに思い直す。今の流れからして、彼女がしている心配は明らかだ。しかし、彼が黙っているうちにカンナは言葉を紡ぐ。

「あいつの仲間になる……なんて言わないよね?」

「それは……」

 それはノエルにもわからなかった。自分はいったいどうしたいのか、メルトについて行けば何かが変わる気がする。彼女と同じ夢を追えば、自分の中の何かが変わる気がする。おそらくそれは確かだろう。

 ――でも彼女はテロリストなんだ。でも、でも彼女が悪人にはどうしても思えない。

 メルトから誘われた時、保留にした問いかけ。メルト以外の人物から再びその問いかけを聞かされるとは思わなかった。自分はいったいどうしたいのか、どうすればいいのか。その答えはまだノエル自身にもわからない。

 視線をそらし、黙っているノエルを見てカンナは不安な表情で続ける。

「あいつが何をしようとしてるか知ってる? あいつが一昨日、フォート・レイン城で何をしようとしたか知ってるの? 知らないなら教えてあげるわ」

 言って、カンナは表現するのが難しいほどの冷たい憤怒を浮かべ語る。

「あいつは……!」


「うむ、なにやらいい匂いがするな。思えば久しく食事をとっていない気がするぞ」


「……この話は後にするわ、今は朝食にしましょ」

 カンナは身も凍りつくような目で、寝起きにもかかわらず凛とした表情で起きてきたメルトを睨むと、キッチンへと歩いて行った。

「うむ? なんなのだあいつは。よくわからないヤツめ」

「あ、あはは……」

 何もしていないのに睨まれ事に対し、納得がいかないといった表情で席に着くメルト。そんな彼女にノエルは笑うしかなかった。その場しのぎにとりあえず笑った彼だったが、そんな彼を見てメルトはさらに難しい顔になる。

ノエルにとって今日は、朝からわからない事だらけだが、彼が本当にわからなかったのは、自分がどうしたいのかと言う事……すなわち、自分自身の心だった。


      ●●●


「よぉカンナ、久しぶりじゃねぇか!」

 無駄に大きな声を出し、カンナの肩をバンバンと叩くのはヴェロニカである。朝食をとったのち、ノエルは仕事があるので病院に行こうとすると、メルトが一緒に行くと言って聞かず、そうこうしているうちに何故かカンナも一緒に来ることになったのだ。

 天気は今日も当然の如く雨、ほとんど傘をさす必要も感じられないほど小雨だが、雨には変わりない。ヴェロニカは自分が濡れないように、一人だけ室内と外のちょうど中間あたりに陣取っている。もっとも、ノエルは外套を、他の二人は傘をさしているため三人も濡れはしないが。

「いつ帰ってきたんだよ?」

「昨日です。任務ついでに休暇を取ってたの」

「へぇ~、にしても……」と、ヴェロニカはメルトとカンナを交互に見始める。何がツボにはまったのかはわからないが、彼女は堪え切れないといった風に噴き出すと、「すげぇ組み合わせだな!」と言いながら、二人を順に指さす。

「栄えある守護騎士団 副団長さまと、めちゃくちゃ怪しいやつのコンビとはな!」

「うむ、わたしは怪しいやつではないぞ!」

 ヴェロニカの言い分が気に入らなかったのか、メルトはすぐに訂正する。しかし、

「そうよね、あんたは怪しいやつじゃなくて、ただのテロリストだもんね」

「それも違う! 確かにそういう言い方もできるが、わたしの夢はもっと大きなところにあるのだ! そう、この世界に陽光をもたらすという夢がな!」

 胸張って、どこまでも高く宣言する彼女に、カンナは心底つめたい視線を向け、ヴェロニカは「太陽ねぇ……」などと、これもまた心底うさんくさそうにしている。その夢を実現するのに協力しないかと誘われたノエルはというと、凛と張られた胸を見て今朝の事を思い出し、何ともいたたまれない気分になっていた。

「なんなのだその眼は! わたしを愚弄する気か!」

「いやいや、別に愚弄なんかしてねぇよ。だからそう睨むなって……ってかさ、おいノエル!」

 女子三人で話ているかと思ったら、急に矛先がノエルへと向く。そして彼には、ヴェロニカの機嫌が何故悪いのか、大いに心当たりがあった。

「てめぇ、昨日バックれやがっただろ?」

「い、いや……あれは」

「あれは、なんだよ?」

 確かにノエルは昨日、仕事の途中にも関わらず帰ってしまった。しかし、それは結果だけを見た場合である。実際には病院の前で行われた喧嘩を仲裁し、その都合上一刻も早く身を隠す必要がったのだ。よって、彼は仕事が嫌で帰ったわけでもなければ、ヴェロニカに全てを押し付けるつもりで帰ったわけでもない。

 ――って、言いたいところだけど。

「ご、ごめんなさい」

誰が何と言おうとも、その全てを目で押し殺さんばかりのヴェロニカに、ノエルはただ謝る事しかできなかった。そして、彼の場当たり的な謝罪を受け、彼女は「最初からそう言えばいいんだよ!」と怒鳴る。そんな彼女に対し、肩をすくめて彼はビクビクしていたが、次に続く言葉は信じられないものだった。

「ったく……まぁいい、あの時は仕方なかった面もあるしな」

 これこそまさに驚天動地だ。思ってもみない言葉が、思ってもみない人から飛び出したことにノエルは目を真ん丸にして、茫然とヴェロニカを見る。しかし、彼の驚きはそれだけでは済まなかった。

「おい、ノエル。せっかくカンナが帰ってきてるんだ、今日は休んでいいぞ。たまには二人でデートでもしてこい」

「で、デート!? あたしとノエルが……でぇと……」

 ヴェロニカの言葉に真っ先に反応したのは、なぜか頭から湯気のようなものを立ち上らせているカンナであった。彼女は急にノエルの袖をあちこちに引っ張りながら「でぇと……でぇと……う、嬉しくなんか! でも……でぇと」などと繰り返している。彼女はまれにおかしなスイッチを入れてしまい、今のように挙動が怪しくなることは多々あったが、彼が驚いているのは目の前の女性についてだった。

「なんだ、その眼は? おい、やめろ。俺を心配するような目で見るな」

 いつも傍若無人、唯我独尊なこの人がこんなセリフを吐けば、心配するのも無理もないという話だ。だが、合法的に仕事を休めるまたとないチャンス。ノエルはこのチャンスを無駄にするようなことがないよう、彼女の気が変わらないうちに、そそくさと病院を後にするのだった……最後まで驚愕に目を見開きながら。


      ●●●


「それで? なんであんたがついて来んのよ?」

「あんたとは、わたしの事か?」

「あんた意外に誰がいんのよ!」

 最早おなじみのものとなりつつある言い争い、その渦中にいるのは二人の少女と、一人の少年。すなわちメルトとカンナ、そしてノエルだ。二人は現在、ノエルを間に挟んで舌戦を繰り広げている。時は昼少し前、ちょうど小腹がすいてくる時間だろう。とりあえずという事でやってきていた森林公園では、雨除けの可愛らしいパラソルが点在するオープンテラス型のレストランなどがある。また、上を見上げれば適度に間隔を開けて立ち並ぶ大きな木々が、視界をドームのように覆っており、とても静かで落ち着ける空間を作り出しているため、濡れるのも構わずに大の字に寝転がりたい衝動に駆られる。ようするに、ここはとても癒やされそうな場所なのだ。なのだが、

「なんだ? わたしがついて来てはいけない理由でもあるのか? もしあるのならぜひとも教えてほしいものだな」

「これはあたしとノエルので、でぇ……っ、とにかく理由があるのよ! だいたい、あんたみたいなテロリストがこんな所にいる資格なんかないんだからね!」

「うむ、仮にわたしがテロリストだとしてもだ、カンナにとやかく言われる筋合いはないのではないか?」

「あるわよ! あたしは守護騎士団……それも副団長なんだからね! それに、あたしはノエルの幼馴染でもあるのよ!」

 カンナは胸を張って、「どう? すごいでしょ!」とでも言わんばかりだが、それに対するメルトの反応は実に冷たいものだった。

「だったら早く城に戻ったらどうだ? 下層は貴族にはさぞ居心地が悪かろう」

「なんですって?」

「なんだ?」

 ――僕はどうすればいいんだ。

 散歩という名目で、森林公園を歩き回る三人。そもそもノエルがここに来たのは、自然の美しさによる癒やし効果によって、二人が少しは仲良くなるのではないかという目論見もあったのだが、現状を見る限り、その目論見は……というより、儚い願いは木端微塵に打ち砕かれ続けているようだ。

 ――とりあえず二人を仲良くまではいかなくても、喧嘩ばかりしない関係にはしたいな。でもカンナは性格が性格だしな。

 彼は腕を組むとカンナのまっすぐすぎる性格について思いをはせる。彼女は昔から間違ってると思ったことは決して許さず、たとえ相手が自分より強大な相手だとしても、怯むことなく挑んでいった。彼女の中の正義感には時折危うさすら感じたが、銀色の髪を揺らして真っ直ぐに進んでいく彼女は、子供の目から見てもとても輝いて見えた。

 その事は決して悪いことではないのだろう、だが、例外的に今この場に置いてだけは圧倒的に悪い方にしか作用しえない。仮にメルトを悪とするのなら、カンナは紛うことなき正義。彼女は全身を持って正義を体現している。そん彼女とカンナはまさに水と油だろう。

 ――でも、だからこそ僕が頑張らなきゃならないんだ! 今日ここに来たもう一つの理由……僕の記憶が間違っていなければ、この森林公園では昨日から明日にかけてバザーの様なものがやっていたはずだ。少なくても去年は確実にやってたんだけど、今年はやってるかな? やっててほしいな……場を持たせる的な意味でも。

カンナとメルトが一緒に行動すれば、このような空気になるであろうことは半ば予想できていたし、それなりの覚悟を持っていたが、いくらなんでも一日中このままというのには、さすがのノエルも堪え切れる自信がなかった。

「そ、それどういう意味よ!」

 静かな空間に響くカンナの吠える声。どうやらノエルが考え事をしていた最中も、二人の舌戦は続けられていたらしい。

「どうもこうもない、そのまんまの意味だ。要するにカンナはノエルに惚れているのだろう? だからわたしについて来てほしくない……要するに二人きりになりたいのだな。ふっ、いくら強がっても心は乙女よな……愛いやつよ」

「ふ、二人きりになんかなりたくないんだからね! それに何が乙女よ!? どう見てもあたしより年下の奴に、そんな事言われたくないわ! ……あ、そう言う事、ようやくわかったわ」

 メルトとの会話という戦いの中で、カンナは何かを掴んだのだろうか。その顔はこの世の真理を得たかのように冴えわたり、口元には美貌とは対照的な邪笑じゃしょうが浮かんでいた。

「さっきからやたらとあたしに突っかかって来ると思ってたけど、全部あんたの事なんでしょ?」

 彼女の質問に対し、メルトは本当にわからないというかのように、首を横にかしげる。

「誤魔化したって無駄なんだからね! ノエルと二人きりになりたいのはあんたの方なんでしょ? だからあたしに突っかかって来るのね!」

「うむ? なんだお前は、ようやく気が付いたのか?」

「なっ……」

 言っては見たものの、あっさり肯定されるとは思ってもみなかったのか、可愛らしい目と口は、豆鉄砲でもくらったかのように開かれている。

「最初から言っているであろう? わたしは貴族が好きではないのだ。それにノエルはわたしの命の恩人だ。そんな奴が仲間になる予定の人物とあれば、二人きりでゆっくりと話したいのは当然であろう? うむ、今後のことについてじっくりと話したいものだな」

「こ、今後ってどういう意味よ! まさかそういう意味じゃないでしょうね!? っていか、ノエルはあんたの仲間になんかならないんだからね! 勘違いしないでよね!」

 いったい何を想像したのか、最早恒例となりつつある顔面赤面状態の彼女に対し、メルトは「そういう意味とはどう意味なのだ?」と小首を傾げるばかりだ。

「それは……」

思いのほか純真無垢なメルトに、カンナは最早火でも出るのではないかというほど顔を赤面させ、黙り込んでしまう。

 ――チャンスだ。

 どういう形にしろ、この時を逃せば二人の舌戦に、ノエルが自然に介入するタイミングは当分来ないだろう。よって、彼にとってこの間は、決して逃してはならないまたとない機会なのであった。

 ノエルはこれ見よがしに指をさし、大きな声でハッキリと言う。

「あ~! あんなとこでバザーがやっているよ~!」

「…………」

「…………」

 ――うっ、なんだろう。なんだか左右からとんでもなく冷やかな視線を感じる。

 少しわざとらしすぎただろうか。などとという彼の心配をよそに、女子二人組の反応は劇的なものがあった。

「うむ! ノエルがわたしと行きたいというのであれば、どこへだって付き合うぞ! お前は恩人であり、大切な仲間なのだからな!」

 言って、ノエルの腕に自分の腕に絡ませるように抱き付いてくるメルト。二の腕のややした辺りに、柔かい小山が押し付けられ、控え目ながらも確かな女性を感じさせてくるそれは、適格にノエルの脳髄をピンク色の波で染め上げていく。今朝のフラッシュバックも重なり、もはや頭がとある単語で埋め尽くされそうとした時、反対側の腕にも抱き付いてくる感覚がった。

「ふ、ふん! 別にそういう意味じゃないんだからね!」

 本当にどういう意味なんだろう。ノエルは益体もない事を考えながら二人の少女になされるがままにサンドイッチされる。そして彼は重大なことに気が付いてしまった。

 ――カンナって結構大きいな……胸。

 今まであまり気にした事はなかったが、女性の胸に敏感になっている今日は違った。メルトとは異なり小さすぎず、かといって大きすぎるという事もない、バランスの取れたそれ。ノエルは自分の腕が柔かい谷間の間に埋没していく感覚に捕らわれ、思わず顔を下へ向ける。

 ――なんだかすごい状況になってる気がするな。

我が身を冷静に確認してみれば、左右から漂う女性特有の心安らぐ香り、二の腕に感じるは男性では持ちえないモチモチとした心地よい弾力。もっとも、左右の少女たちの一人は、弾力を有するほどのものを持ちあわせてはいなかったが、それはそれでノエルの心臓に、ドキドキと非常に早く強い鼓動を打たせるのに一役買うことなった。

 一生分の幸せを使い果たしているかのような幸福感に捕らわれるノエルだったが、ここで初心を忘れるわけにはいかない。

「じ、じゃあ行こうか」

「うむ!」

「付き合ってあげるわ!」

 遠くに見えるバザーの活気に負けず劣らず、元気はつらつといった感じの二人の声を聞きながら、ノエルは思うのだった。

 ――よし、絶対に二人を打ち解けさせてみせる!


      ●●●


 時刻は昼過ぎ、今日も今日とて空はどんよりとした雨雲に覆われ、その下で過ごす人々の心を圧迫しているかのようだ。しかし、雨雲の下にいる実際の人々は雨雲など意にも返していないかのようにその顔を溢れる生に輝かせ、大地に降り注ぐ雨も今は、光を反射して花を彩る滴のように美しく見える。

「おぉ! 祭りではないか! この場所で祭りがやっているなど知らなかったぞ!」

 堅そうな口調とは裏腹に、子供のように目をランランと輝かせてはしゃぐメルト。

 ノエルはうだうだと言い争いをする女子二人組を引き連れ、やっとの思いでバザーが行われている会場まで来ていた。

下層外周の東西南北にそれぞれ一つずつある外周門。それら四つの門のうち、北門と西門の丁度中間あたりに位置しているのが、この森林公園である。寂れはてた下層の良心と言っていいほどに、澄み切っているこの公園の中央広場でバザーは行われている。人々がたくさん居るだけでなく、それぞれの出店スペースを覆う色とりどりの雨よけシートは、目で見ても活気がある。

「バカみたいにはしゃいじゃって……ほんっと子供みたいね」

「うむ、いちいちつっかかってきおって、カンナはそんなにわたしに構ってほしいのか?」

「ちがうわよ! 誰があんたになんか構ってほしいもんですか!」

「うむうむ、そう照れなくてもよかろう」と、メルトは口元を猫のように歪ませながら、半眼になってカンナに流し目を送っている。

「カンナ、お前はノエルの幼馴染という事だったな。ならば良いことを思いついたぞ! お前もわたしの仲間にしてやろうではないか! そうすれば焼きもちを焼く必要もなかろう」

「テロリストの仲間になんかならないわよ! わたしは悪事にはどんな事があっても、絶対に加担しないんだからね! そ、それに焼きもちなんか焼いてないもん……勘違いしないでよね!」

「……っふ」

「何よその眼は! そんな小バカにしたような目で、あたしを見……!」

「ノエル! ノエル! あれはなんなのだ!?」

「最後まで聞きなさいよ!」

 メルトが指さすのは、数あるスペースの中でも一際人の出入りが激しい場所だった。年明けに行われる祭りによく出ている屋台のようなものがたっているその場所は、手前に腰の高さくらいの長机を二つ並べられ、その奥には五段ほど段数のある棚がたっている。その棚には、それぞれの段にクマの人形、箱に入ったガム、果ては単三乾電池と、まるで統一性のないものが置かれている。また、長机の上には五丁ほどの銃が置かれている。もちろん本物ではない。銃口にコルクを詰め、引き金を引くことによって、空気の力で詰められたコルクを発射するという仕組みの模造銃だ。そして、そのスペースの主であろう坊主の男が、やってくる客にお金と引き換えに、模造銃とコルクの弾丸を数発渡している。

「おい、ノエル! 早く答えるのだ、あれは何なのだ!?」

「むぅう~~~~!」

 とりあえずノエルは、無視されたことによって再び噴火寸前になっている幼馴染を「まぁまぁ」と宥めつつ、興味津々といった様子のメルトに声をかける。

「あれは射的ですよ」

「射的? うむ、聞いたことがないな。どのような催し物なのだ?」

「いや、そんな大げさなものじゃないんだけどさ。うーん、なんて説明したらいいのかな」

 感覚的にすでわかっているものを、それを全く知らない人に説明するのは難しい事なのかもしれない。と、ノエルは頭をひねる。

「ふんっ! あそこにある銃で、あの段に乗ってる景品を落とすのよ。そんなこともわからないの? バカはこれだから嫌ね」

「うむ、わたしは確信したぞ、ノエル。お前の幼馴染はわたしと戦争がしたいらしい」

 ――まずい、このパターンはまた言い争いが始まるやつだ。

 それだけは避けなければならない。下手をすれば、棚から牡丹餅的な感覚で得た休日が、一日中口喧嘩の仲裁をするという何とも冴えない内容で終わりかねないからだ。

 そう考えたノエルは、二人のうちのどちらかが再度声を出す前に「待った!」と、割って入る。

「せっかくだから射的やってみない? カンナとこういう所に来るの久しぶりだし、メルトさんはやったことないみたいですしね」

 内心、断られたらどうしようと、心臓がバクバクと音を立てていたノエルだったが、嬉しいことにその心配は杞憂に終わった。

「あたしは興味ないからパスするわ……でも、あんたがどうしてもって言うなら、仕方ないから付き合ってあげる、感謝しなさいよね!」

 腕を胸の辺りで組んで、ノエルから視線をそらすかのように顔を背けるカンナ。素直に頷くのが恥ずかしかったのか、その顔は朱に染まっている。一方のメルトはというと、

「やりたいぞ! わたしは射的をやってみたい!」

 カンナとは対照的に、子供の様に素直さを全開にして飛び跳ねている。

 気恥ずかしさを隠しながらも、ノエルに付き従うカンナ。そして、ひたすら無邪気に彼へと懐くメルト。ノエルを挟み、三人で寄り添って歩いている姿は、客観的に見ればまるで仲の良い兄妹のようだった。

 ――うち二名は実際、すごく仲が悪いんだけどね。

 ノエルは頭の中で、何度目になるかわからない大きなため息を付き、三人で射的の屋台のある方へと歩いていく。気のせいか、周りから恨みがましい目で見られている気がしたが、彼は全く気にしなかった。

「お、もてるねぇ兄ちゃん!」

 屋台につき、店主からの第一声がそれだった。

 ――あぁ……周りからはそう見えるのか。だから、さっきから変な視線がしたんだ。

 気にはしていなかったが、さっきから主に男連中から視線を感じていたことに、あれは嫉妬とかそういうのだったのかと納得すると、ノエルは「べ、別に惚れてないんだから!」などと騒いでいるカンナをよそに、店主のおじさんに「三人分、一回ずつお願いします」と声をかける。

「あいよ、三人分ね。お嬢ちゃんたち可愛いから、一発ずつサービスしてやるよ、もちろん兄ちゃんにもな!」

 ノエルたちは順に礼を言うと、それぞれ銃を受け取る。受け取った銃は銃身が長く、その下の部分が木製の部品で覆われているライフルタイプのものだった。三人は受け取ったライフルを片手に、狙撃位置である長机を基準にして左からカンナ、ノエル、メルトの順番で並ぶ。

 ノエルは、射的をやったことがないというメルトに一通りのルールや、銃の撃ち方などを教える。そして、さて始めようという段階になって、カンナが嬉しそうに、かつ自信満々にとある提案をしてきた。

「せっかくだから勝負しましょうよ」

「勝負? 別にいいけど、どんな?」

 問いかけると、カンナは鼻をふふんと鳴らしながら「ノエルには審判をやってもらうわ」と言い、まるで裁判で死刑を宣告するかのようにメルトに宣戦する。

「あたしとあんたで勝負するのよ! 勝負内容は簡単、景品をより多く落とせた方が勝ち」

「うむ、わたしは別に構わないが……勝負というからにはしかるべきペナルティがあるのであろうな?」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべるメルト。おそらく先ほどから散々舌戦をお繰り広げてきた相手を、この勝負を持って完全に敗退へと追い込むつもりなのだろう。そんな意図を読み取ってか読み取らずか、カンナは受けて立つといったように自信気に頷き、考えに考え抜いた恐ろしいペナルティを告げる。それはまさしく、メルトへの死の宣告のつもりだったのだろう。聞いただけで相手を怯えさせ、戦う前から戦意を削ぐ、そんな意図があったのだろう……だが。


「負けた人は、勝った人を永久に様づけで呼びなさい!」


「ちっさ!」

 思わず叫んでしまったメルトの言う通り、散々おどろおどろしい雰囲気を持たせた割に、カンナが言うペナルティは張りぼてのようにしょうもないものだった。

「何なのだ、その小ささは!? ふははは、面白い! カンナは面白いのだ!」

 あぁ、これは笑われても仕方ないな。と、ノエルは苦笑したが、犬猿の仲であるメルトに笑われたカンナには、文字通り笑いごとではない。

「何笑ってんのよ! いいから勝負よ! 負けたら絶対に守ってもらうんだからね!」

「ふふっ、よかろう! その勝負、受けて立つ!」

 メルトの言を取ったとばかりに、カンナはほくそ笑むと「じゃあ、まずはあたしからやらせてもらうわ」と、銃をまっすぐ構える。銃口が狙っているのは、今にも倒れそうなバランスでかろうじて立っている、単三乾電池二本入りのパッケージだ。

 この瞬間、ノエルは全てが彼女の計算通りだったことを悟った。それこそ正に仏の手のひらの上と言ってもいいだろう。この勝負、一見フェアな勝負にみえなくもないが、実際はそんなことはない。第一前提として、メルトは射的を今日はじめてやるのだ。この時点で経験者との差は歴然だろう。さらに先行がカンナと言うのが問題なのだ。と言うのもみた限り、一撃で確実に落ちそうなのは乾電池を置いて他にない。

 そう、この勝負。先攻を取ったものが絶対に乾電池を落とせるため、その時点で後攻を取った者よりリードできるのだ。

 ――ずるい! いやでも、これも戦略なのか?

「それじゃあ撃たせてもらうわ……そしてこの勝負、勝たせてもらうんだから!」

 一撃必殺。空気銃独特の破裂音と共に飛び出したコルクの弾丸は、目標めがけて一直線に飛んでいく。紛うことなき全身全霊の一撃……だが。

「うむ、はずれたな! 次はわたしの番だ、覚悟するがよい!」

「なっ!? 嘘……でしょ」

 この世の終わりでも来たかの様に、絶望がカンナの表情を支配する。当たらないはずがない、なのに何故外れたのか。どんなに考えても現実は変わらない、そして失った時間も帰ってこない。こうなってしまった以上、このまま彼女は勝ち目の薄いこの勝負を続け、その先にある不名誉なものを甘んじて受け取らなければならないのだ……しかし。

「うむ、クマの人形を狙ったつもりだったのだが、なかなかに難しいではないか」

 相手も外せば話は違う。おまけにメルトが狙ったのは、落ちやすい乾電池ではなく、一番下の段にドッシリと構えている大きな人形だった。あれでは例え当たっとしても、そう簡単には落ちないだろう。詰まる所この勝負は、

「今度こそ落とすんだから!」

「また外しているではないか、下手くそめ! わたしがお手本を見せてやろう!」

 詰まる所この勝負は、

「あんただって外してるでしょ!」

「そういうカンナもまた外したではないか!」

 詰まる所この勝負は、泥試合だった。

 ――ま、まぁこの展開は予想の範囲内だったかな……。

 ノエルは、自分を挟んで仲睦まじく?遊ぶ二人を尻目に、自分の銃にコルクの弾丸を込めようとし、目の前に映り込んできた異常な状況に手が止まる。

「弾が……ない?」

 ――ありえない、僕はまだ一発も撃ってないのに……はっ!

 コルクの弾丸が消えた理由を考えだそうとしたまさにその瞬間、彼の頭を天啓の如き発想がよぎった。彼はその直感のようなものに従って、左右に居る二人を交互に見る。

「何? あぁ、弾ならもらったわよ」

「うむ、ノエルには申し訳ないが、カンナと勝負をつけなければならないのでな。その……やはり怒っているか?」

 超然とした佇まいで銃を構えるカンナ、下手くそそうかつ偉そうに銃を構えるという奇跡的な配分のメルト。彼はそんな二人に対し「べ、別に問題ないよ」と、苦笑いしか返せなかった。


      ●●●


「不覚だわ」

「それはこちらのセリフだ。まさか一発も当たらないとは」

 不毛な勝負の後、彼ら三人は小休止も兼ねて、森林公園にある喫茶店へと来ていた。下層にしては珍しく、この喫茶店は内装を木材で統一しており、高級感とはいかないまでも、アットホームで落ちつく、レトロな内装となっている。ノエルはそんな店内を見渡しながら、少しは仲良くなったであろう少女たちに話しかける。

「勝負はともかく、楽しめたからいいでしょ? それで、注文は決まった?」

「うむ、決まったぞ! わたしはこの『覇王の衝撃風パフェ』だ!」

 メルトが指さすのは、この店の看板メニューらしき超大盛りのパフェだった。やや値段が張るがたまにはいいだろうと、ノエルは自分を説得してカンナの注文も聞く。

「あたしはこれにしようかしら」

「うん、わかった。メルトがこのパフェで、カンナがこのオレンジジュースね……あ、すみません! 注文お願いします」

 大きな窓ガラスの傍の席に座ったせいで目立つのか、ノエルは店員を比較的楽に捕まえることが出来た。呼ばれて注文を取りに初老の男性は、これもまた下層にしては珍しいほど愛想がよく、とても綺麗な身なりをしていた。そしてノエルがそれぞれの注文を伝えると、テーブルに置いてあったメニューを回収して、店員どこかへと戻っていく。

「さて、わたしは少し席を離れさせてもらおう」

 店員との会話が済い、出されるであろう料理の事に思いはせていると、そんなメルトの声が聞こえてきた。

「え、どうしたんですか?」

「うむ、そういう事はいちいち聞かなくてよいのだ。マナーとして心得ておくがいい」

「?」

 何故怒られたのかわからないノエルを他所に、メルトは席を立ってどこかへと歩いて行ってしまう。すると、今までメルトが居なくなるのを待っていたかのように、急に喋りだす少女が一人。

「ノエル、話があるの……真剣な話よ、聞いて」

「真剣な話って、何?」

 最初はメルトの事が気になっていたノエルだったが、テーブルから身を乗り出すようにし、後生の願いでもするかのようなカンナの気迫に尋常でないものを感じた彼は、黙って彼女の話に耳を傾ける。

「もう一度聞くけど、あんた本当にあいつの仲間になるの?」

「わからないよ、そんなの……でも、メルトだったら何かを変えてくれる気がするんだ。それが何かはわからない、でも漠然とした予感が……」

「バカじゃないの!」

 透き通る大声に、冷水をかけたかのように店内が静まり返る。

「そのくらいハッキリ決めなさいよ、いいえ違うわ。あんたの答えは一つだけよ、メルトとはもう関わらないことにしなさい。あいつはあんたが思ってるような人間でもなければ、あいつについて行ったからって、何かが変わるわけでもないわ……変わるとすれば、間違いなくあんたの人生が破滅するってことね」

「ねぇ、もうこの話やめない? 別に今しなくても」

 せっかくの休日、初めて三人で出かけているこの時に、わざわざ腫物に触る様な話をしなくてもいいだろうとノエルは思い、カンナから目を逸らして話を受け流そうとするが、彼のそんな行動はただ火に油を注ぐだけだった。

「ふざけないで! ちゃんとあたしの話を聞いて!」

「別にふざけてなんか……」

「ノエル、あたしは本気で言ってるの……メルトは危険だって、それに今を変えたいって何? あんたは昔から同じこと言ってるけど、今のままでもいいじゃない。家は小さくておんぼろだけど、そこにわたしとノエルが居る。それだけで十分じゃない……それの何がダメなの?」

「ダメじゃないよ、ダメじゃないけど……僕は」

 ――僕は何だろう? たしかに僕は何か変化が起きてほしいと思ってきた。小さいころから漠然と、今のこの世界は何かが間違っているような気がしてた。でも、本当に間違ってるのは僕なんじゃないか?

 正論を振りかざすカンナの言葉を聞いて不安になったノエルは、窓越しから覗くどんよりとした雨雲を見る。雨脚が先ほどよりも格段に強まっているせいか、その景色は彼の心をどうしようもなく騒がせた。

 ――いつからだろう、雨雲を見るたびに不可思議な焦燥に駆られるようになったのは。あの雨雲がなくなった景色を見れば、何かが変わる……そう思い出したのはいつだろう。

「僕は……どうすればいいの?」

 目の前で顔を真っ赤にして怒るカンナ、自分自身の心に整理がつかなくなってしまったノエルから出てきた言葉は、おおよそこの様な場面には似つかわしくない情けのない、全てを他人任せにしたかのような本当に情けのない言葉だった。

「あんたが決めなさい。でも助言くらいはしてあげるわ……これはメルトの話よ、あいつが目的を達成するためには何が必要か、そして目的が遂げられた世界には何が残るのか」

「何でそんな事……」

 知っているんだ。と、訝しむノエルだったが、カンナは先手を打つかのようにして彼の言葉に凛とした声をかぶせてくる。

「あたしは守護騎士団 副団長よ。それに……」

 カンナはやや俯いて、何かに戸惑ったかのように見えたが、すぐに話し出す。

「下層に住む人には隠されてる事があるの、貴族にしか教えられないことが」

 彼女の口から紡がれた言葉は、あの日メルトが話してくれたこと同じであった。それすなわち、この世界の雨雲は人工的に作られているという事だ。しかし、彼女の言葉から『太陽』という言葉は一度も出てこなかった。意図的に雨雲の向こうの話はしなかったのか、彼女自身本当に知らなかったのか……真実はわかないが、次に出てきた言葉にノエルは耳を疑うことになった。

「雨雲作り出しているのはフォートレイン王よ。王家の人たちは昔からサンシェードっていう、特別なスカイシェードを使ってこの世界を雨雲で覆ってきているの」

 カンナが言うには雨雲で世界を覆っているのには、正当な理由があるらしい。それは文明、要するに人類発展のためだという。

「この世界の電力がどうやって賄われているか知ってる? ……そう、考えもしなかったて顔ね、でも教えてあげるわ。この世界の電力は降ってくる雨を電気に変えて賄われているの」

 俄かには信じられない話だったが、『ダム』や『水車』そして『発電所』などの専門的な言葉の壁の前に、ノエルは半ば押しつぶされる形で信じるしかなかった。

「じゃあそんな中、この世界から雨雲が消えたらどう思う?」

 挑むように質問を投げかけるカンナだったが、ノエルにはもうその答えがすでに分かっていた。全てを水に頼っている世界から水がなくなる……そうなれば当然。

「そう、文明は崩壊して人類も滅ぶわ……あんたはそんな奴の仲間になる気?」

 カンナの言葉に、ノエルは目の前が真っ白になる様な衝撃を受け、眩暈すら感じたが何とか言葉を返す。

「そう、『メルトはそれを知らなかったかもしれない』ね……確かに知らなかったかもしれないわ。じゃあ、雨を降りやますために、昨日あいつが取った行動を教えてあげるわ」


「王の暗殺よ」


「正確には王家の血を引く人間、すわち王室で暮らしている人々の惨殺かしらね」

 カンナの説明によれば王室とは外界との関わりを断ち、サンシェードを使う次代の王になるために、穢れから遠ざかって生活をしている王の血を引く人々が暮らす場所らしい。ノエルはそんな場所があるという事実、そしてフォートレイン王自身も、今まで人前に姿を見せたことがないという事実にも驚いた。だが彼がなによりも驚いたのは、


「うむ、なんだこの空気は? まるで葬式のようだぞ」


 いつの間に変えてきたのか、二人が座る座席の前にメルトが立っていた。暖かく頼りになる様な声、しかしそんな声も今のノエルにとっては色あせて聞こえた。

「ねぇ、メルトさん……嘘だよね?」

「うむ、何がだ?」

 この質問をすれば決定的な何かが壊れてしまう気がする。まだ引き返せる、この質問はするべきではない。と、ノエルの心は必至に叫び続けるが、彼の体は彼の心を振り切って歩き出す。

「メルトさんの目標を叶えるには大勢の犠牲が必要なんですか? それだけの犠牲を払って手に入れたものも……世界中の人を不幸にするものなんですか?」

「誰に聞いたか知らぬが、わたしは世界中の人を不幸にするつもりなどない! この阿呆目が!」

 ノエルの言が相当頭に来たのか、ここが店の中だという事も忘れて右手で何かを振り払うようにしながら怒声を上げるメルト。しかし、いつもは小心者のノエルも、今だけは怯まなかった……否、怯むわけにはいかなかったのだ。

「犠牲が必要なのは……否定しないんですか?」

 思いもよらぬところから刃が切り込んできたかのように、彼女は苦しそうな顔をするが、ノエルは言葉続ける。

「そんなの間違ってる……メルトさんは間違ってます! 犠牲の上にある幸福なんてない!」

「違う! わたしは……」

「僕はあなたに協力できません、あなたの全ては間違ってます」

「っ……」

 まるで大切な人に裏切られたといった顔をするが、メルトのそんな辛そうな表情も今のノエルの目には入ってこなかった。二人はしばらくの間、そうして互いを見詰め合っていたが、耐えきれなくなった彼が目を逸らした隙に、彼女は身を翻して喫茶店から出て行ってしまう。ノエルはその時になってようやく、自分が言いすぎたのだという事に気が付いた。

「あ……メルトさん、待ってください!」

 火が付いたかのように席から立ち、メルトを追いかけて店の外に出るノエル。その後ろからは、カンナが彼を呼び止める声が聞こえた気がした。


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