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ザ・ミッシングサン  作者: 紅葉コウヨウ
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第三章

フォート・レイン下層。

 立ち並ぶ木製や石造りの家屋は、蓄積された長年の汚れや破損の跡をのぞけばこれと言った特徴がなく、あちらこちらへと乱雑に建てられている。その為か、石で舗装された道は決してまっすぐに進むことがなく、酒場で泥酔した男がよたよたと歩くかのように、左右に蛇行してしまっている。また、それと関係あるかはわからないが、その道の至る所に一旦入れば迷路と見間違わんばかりに入り組んだ細い路地が見受けられる。

 家屋も道も、荒れ果てているとは言えないまでも、それに近しいものを感じさせる退廃的な印象を人に与える町並みは、フォート・レイン上層とは似ても似つかない。ついでと言っては何だが、この世界を常に覆い、雨を降らせ続けている雨雲がそんな雰囲気を与えるのに一役買ってしまっているだろう。

そんな雰囲気のせいで、普段ならば活気がなくどこか年老いた老人を思わせるような静かな町だが、どうやら今日ばかりはそうはいかないようだ。


「ぶっ殺すぞ、クソガキが!」


 フォート・レイン下層の道、ポツポツ立つ古ぼけた街灯が昼間にも関わらず必死に存在をアピールするかのように弱々しい光を放っている。同じことを繰り返すことになるが、普段ならば活気のないその道に、今日は普段からは考えられないほどの人だかりが出来ていた(と言っても、たかが知れた人数だが)。人それぞれ異なる色彩の外套を着たり、色とりどりの傘を持ったり、各々遠くから見れば花のように咲いている人だかりはどこから出てきたのか、家の中、店の中、はたまた裏路地からか……しかし、今はそんなことはどうでもいい。

 今現在重要なことは、この人だかりの中心にいる人物……いや、人物たちだ。

「人にぶつかって謝るだけとは、どういう了見だ!? 俺が誰なのかわかってんのか?」

「……っ」

 自分以外はどうでもいいというかのように、辺りかまわず怒鳴りつける男。

 男の怒声に対し縮こまる事しかできない男の子、年のころは五歳くらいといったところだろうか。

 人だかりの中心にあるのはそんな光景だった。さらにつけ加えるとするならば、前者の男はフォート・レイン守護騎士団の制服を身を纏い、右手に不浄を払うかのように輝く剣を握っている……その持ち主の顔はその剣を持つに相応しいとは言えないほどに、醜い悪意に歪んでいる。

次に後者の男の子は、茶色く薄汚れたボロ布とも見分けがつかないような服を着、地面に芋虫にのように転がっている。着ている服装から考えて、比較的貧しい者ばかりが暮らす下層の中でも、特に貧しい部類に位置する子供であろう。

 ここでいったい何が起きたのか、それは辺りの状況を見れば誰でも察しが付く。

 まず目に入るのは辺りに散乱する野菜、次に目に入ってくるのは無残に砕け散った木製の台だったもの残滓。そして、それは男の子を中心にして広がっていた。

 つまりはこういうことだろう。

 男の子は運が悪いことに、巡回中だった守護騎士の男にぶつかってしまい、理不尽にも彼の怒りを買ってしまう。男の子が謝ったにもかかわらず、守護騎士の男は納まりがつかなかったのか、無抵抗の男の子を突き飛ばしたのだ。そして、その突き飛ばされた先こそが、現在男の子が丸くなっている八百屋の店先というわけだ。

 そんな事になっているとはいざ知らず、ノエルは外套を、ヴェロニカは傘をさしてようやく病院の中から出てくる。現状を確認し、最初に声を上げたのはヴェロニカだった。彼女は守護騎士の男を苦虫でも噛んだかのような顔をしながら見つめ、「あいつは……」と言う。

 一方、彼女の囁きのような呟き声が耳に入るわけもなく、ノエルは一目散に走っていく。無論、男の子のところにではない、彼にそんな度胸を望むのは酷というものだろう。彼が向かった先は、真っ先に病院を飛び出し、現在は人だかりの最後尾から成り行きを見守っている少女……メルトの元へだ。

「メルトさん!」

「うむ? あぁ、ノエルか。来るのが遅いぞ、来ないのかと思ったのだ!」

 普段と何も変わりもない口調とは裏腹に、彼女の顔が憤怒に身を焦がしたかのように強張っていたため、ノエルは一瞬それが本当に彼女なのかと呆気にとられるが、すぐに思い直す。

 ――メルトさんはテロリストなんだ。だとしたら、守護騎士は敵のようなもの……そんな奴がこんな酷いことをしていたら、怒りたくもなるか。

 ノエルがそんな事を考えながら、彼女が聞き集めた現在の状況を、彼女自身から聞いていると、テロリストではない彼でさえ燃えるような怒りが内に立ち込めてくるのを感じた。

「酷い……男の子は何も悪くないじゃないですか」

「うむ、そうだな」

 冷静に、そしてやや淡泊に彼女は相槌を打つ……が、彼女は唐突に「ならば」と続ける。

 輝かんばかりに綺麗な目を冷酷に細めて、ノエルの心を射抜く。

「ならば何故、誰もあの男の子を助けようとしない? なぜここにいる誰もがただ見ているだけなのだ! こいつらは人形なのか? 違うであろう! ならば何故、動こうとしないのだ!」

「それは……」

 思ってもみなかった急な怒声に、ノエルは声を返せなかったが、心の中では彼自身も驚くほど冷静に答えを返していた。

 ――怖いんだ。

 ――僕たちの事なんてどうにでもできる力と、権力を持った守護騎士団が怖いんだ。だから、

「……僕たちは逆らえない」


「わたしは違う!」


「わたしは……」

 メルトが何かを語ろうとし始めると、「まぁまぁ熱くなってんじゃねぇって」という、どこかやる気のない第三者の声に阻まれる。声の主を確認してみれば、後ろからけだるそうに歩いてくるヴェロニカだった。

「悪いことは言わねぇ、あいつに関わるのはやめとけ。特にメルト、口でどんなに威勢のいいことを言うのは勝手だが、お前は絶対に関わらない方がいい」

「なぜだ! わたしはこいつらとは……むぐぅ!?」

 アイアンクローの様な形で、「はいはい、少し静かにしような」と、ヴェロニカに口を押えられるメルト。両手で必死にヴェロニカの腕を掴み、少し涙ぐみながらもがいている彼女は、こんな状況にあってもとてもかわいらしく見えた。

「っぷは! 何をするのだ! この無礼者め!」

「ほんっとうっせぇな……いいか? 俺が見た限り、お前はアレだろ? なんかやばいことに関わってるやつ、もしくはお前本人がやばい事をしてるやつだろ? 自分で言うのも何だが、俺みたいな奴を仲間に勧誘してきたくらいだから……そうだな、犯罪グループってところか?」

 ヴェロニカはメルトが見つかったときの様子と、先ほどまでの彼女の言動から自分なりの推理をしてみる。そして、それは犯罪グループとテロリストという、小さな言葉の違いを除けば見事に的中していた。

 ――凄い、今までただのいい加減な人だと思ってたけど、正直見直したな……さすがは元守護騎士団長。それに言ってることも正しい、メルトさんも口ではああいってるけど、根本的な部分では僕以上に手出しができないはずだ。

 ――そうだ。僕の日常にメルトさんという変化が訪れたとしても、最終的には何も変わらないんだ。僕は……僕たちはこの重くのしかかってくるような雨雲の下、上層の人に服従して過ごしていくしかない。

 ――結局何一つ変わりはしな……、


「おい、お前! 自分よりも弱いものを、それも悪くないものを苛めて恥ずかしくないのか!」


「なっ」

 ノエルは聞こえてきた声に唖然としてしまう。隣を見てみれば、さっきまでメルトがいた位置に煩わしそうに頭を押さえたヴェロニカが、「あの……バカが」と呟きながら立っている。では消えたメルトはどこに行ったのか、その答えはすぐに見つかった。

「あぁん、誰だお前? このクソガキの姉弟かなんか?」

 人々の視線の中心、そこにあるのはもはや男の子でも守護騎士の男でもなかった。そこにあるのは、

「うむ? いや、その男の子とは何の関係もないぞ」

「じゃあ、なんだてめぇ! おちょくってんのか!?」

「それも違うな」

 言って濡れた髪を手で払い、降りしきる雨の下に現れたのは辺りを照らさんばかりの光。

「わたしは貴様のような悪を許せないだけだ!」

 暗く淀んだ世界の中、燦然と輝くのはノエルが出会った少女の姿だった。

「メルト……さん?」

 ――何で、彼女は立場的に絶対に関わっちゃダメだったはずなのに、それなのにどうしてあそこに? 何で何も考えていないかのように、正しいと思った行いを即断できるんだ?

 ノエルは自分の前で輝く少女を見て、ひたすらに考えていた。そして、その考えの中で無意識のうちに答えを出していた。

 ――正しいからだ。メルトさんは自分が正しいって知っているから、すぐに行動できるんだ。なのに僕は……僕は何をやっているんだ。こうやって傍観しているのは間違っている、わかっているのに僕は……僕は……いいのか?

 ――間違っているってわかってるのに、このままでいいのか?

 ――いいわけがない、このままじゃ何も変わらない。

 ――僕はいつもこの世界が変わってほしいと思ってきた。でも、その考えは間違ってたんだ、メルトさんを見て、今その間違いに気が付けた。

 ノエルは澄んだ眼をメルトへと向け、決して離さない。

 ――変えるのは、変わるのはいつだって自分だ。

 ――自分から動かないと何一つ変わらない、変わるわけがない、変えられるわけがない。世界に変わってほしいと願うなら、まずは自分が動かないと話にならないんだ。それに!

 ノエルは走り出す。彼の後方で何かを言うヴェロニカを無視し、雨除けのフードが風で外れてしまうのも気にせず必死に人ごみをかき分け、視線の先にある少女を目指す。

 ――もう手遅れかもしれないけど、ここでメルトさんを目立たせたらダメだ!

 ノエルは颯爽と言うにはやや不恰好に、メルトと守護騎士の間に立ち、「うむ? ノエル、何の用だ?」と小首をかしげている彼女に背中を向けながら言う。

「僕がやる」

「……何?」

「メルトさんを見ていてわかったんです。だからここは僕に任せてください……それに、メルトさんはあんまり目立たない方がいいです」

「うむ、いきなり出てきて何を言っているのだ! 意味が分からないぞ」

「いいから! 僕を信じてください……信じられないんですか?」

「っ……ええい、何を言っているかはわかんが、そこまで言われたら信じるしかなかろう!」

 メルトは渋々と、しかしどこか満足そうに頬を膨らませながら人ごみの中へと戻っていく。今ではぐったりと倒れている男の子を除けば、この場に残ったのは二人のみ。

「威勢よく出てきて……話は済んだのか?」

 男の質問に対し、ノエルは「はい」とうなずく。

「それで何の用だよ? まさかお前も俺に意見する気か?」

 男の威圧するような、あきらかに害意があるかのような質問に、ノエルは委縮してしまうが、すぐにそれではダメだと体に力を入れなおす。

「男の子を許してあげてください」

「あぁ? それだけかよ。いいか? 俺は守護騎士としてここらを巡回してやってんだぞ? 巡回っつったら、びしょ濡れになっちまうのが有名な不人気な役回りだ。それをわざわざやってたってのによぉ」

「それと男の子と、どう関係があるんですか?」

「あ、あぁそれな。ただでさえ不機嫌だったんだ、そこにクソガキがぶつかってきたら潰したくもなるだろ?」

 ――こいつっ!

 気が付くと、ノエルは自分の手のひらに爪が食い込むほど、拳を握りしめている自分に気づく。今まで生きてきて、他人に対してここまで怒りがわいたのは、そしてここまで人を不快に感じたのは、彼にとっては初めての経験だった。

「おいおい、なに拳を握りしめてんだよ? まさか俺とやろうってのか?」

「それは……」

「いいぜ」

 ――え?

「別に鬱憤を晴らせるなら誰だっていいんだ……あぁ、安心しろよ。やるって言っても剣は使わねぇ、素手で殴りあいだ。お前が俺の顔面に一撃入れられたら、クソガキもお前の事も全部見逃してやるよ」

 言って、男は剣を鞘に入れ、無造作に道の脇へと投げ捨てる。ノエルはそんな様子は茫然として眺めているしかできなかった。その理由は自分の相棒に等しい剣をゴミのように扱っているからではない、彼が茫然とした理由はそれとは別にある。それは男の言った事が信じられなかったからだ。

 ――鬱憤を晴らしたい? 誰だっていい? 何を言ってるんだこの人は。そんな理由だけで男の子に暴力を振るったのか? しかも僕が勝負に勝ったら許す? そんなゲーム感覚で、この人は暴力を振るっているのか?

 ほんのついさっきまで、ノエルは男の子を助けることから逃げ、傍観者であることに徹しようとしていた。しかし、メルトを見て……目の前の男と話して確信が持てた。

 ――この人は間違ってる。でも僕に出来るのか?

 いくら本人が何等かの覚悟をしたとしても、ノエルは所詮ただの一般人。それも、どちらかというとおとなしい部類に入り、今まで喧嘩らしい喧嘩すらしたことがなく、面倒事からなるべく離れようと生きてきた彼に、はたして出来ることがあるのだろうか。しかし、ここまで来てしまった以上もう引くことはできないし、最初から引く気などない。

 ノエルは男の背後で気絶してしまっている弱々しい男の子に目線をずらした後、自らの背中に感じる視線に意識を傾ける。感じる視線の先、ノエルはそこにいる人物を見ることもなく判断できた。これほど力強い視線を受けたことはない、そしてこれほど力強い視線の持ち主はそうそういない。

 ――メルトさんに「信じる」って、そう言っもらったんだ。

「んじゃ、殴らせてもらうかなっと!」

 男はノエルが何も言ってこないのを見て、怯えていると勘違いしたのか、相手を押しつぶすかのような大振りの一撃を放ってくる。

 ――相手に一撃入れれば僕の勝ちなんだ……でも、正面からやっても僕にまず勝ち目はない。もし勝てるとしたら、相手が油断してる最初のうちしかない

 顔面に迫りくる相手の拳、相手に威圧されているせいか、ノエルにはその拳が数倍の大きさに膨らんで見えた。だが冷静に見れば、決して捉えられない一撃ではない。

 ――ここだ! この一撃の後に反撃すれば……僕でも!

 ノエルは相手が油断しているうちに倒そうと、カウンターに全てをかけたのか、身を低くし、相手の攻撃に合わせて移動する……が、

「ぐっ!」

 ノエルの体が動いた直後、肉を棒で殴ったような鈍い音と共に、ノエルの体が後方に飛ぶ。彼は男の攻撃をよけることが出来ず、顔面に拳の直撃を受けてしまったのだ。

「……あ」

 意識が朦朧としているのか、彼の焦点は空を泳ぐかのように定まっていない。そんな彼に対して、男は両手の平を上に向け体の前で左右に開き、肩をすくめて露骨に相手を挑発し、バカにしたかのような態度で笑いながらゆっくりと歩いてくる。

「ノエル! 何をしているのだ! お前に任せれば大丈夫なのではなかったのか!?」

 少女の罪悪感に満ちた様な声が聞こえる。メルトの声は天を仰いで倒れてしまっているノエルにも届いたのか、彼は必死に拳を握る。しかし、拳を握ったからと言って、勝率が上がるわけでもなければ、奇跡の様な何かが起こるはずもない。

「おいおい、まだ全然鬱憤晴らしになってないぞ? まぁ俺がいくらお前を殴ろうと、お前が俺の顔面に一撃加えるまで終わらないからな。死なない程度に殴らせてもらうぜ?」

 男はにやにや笑い、指の骨を音をたてて鳴らす。最後に余裕そうに首を回そうとして、

 余裕の付けを払うことになった。

「なっ……クソガキ、てめぇ!」

「油断しすぎなんですよ、僕は最初からこれを狙っていたんです」

 ノエルは殴られそうになったとき、かわすふりをして吹っ飛ぶ方向を調整したのだ。男に殴られて飛ばされるであろう方向を……そして、ノエルが飛ばされ倒れた近くに落ちていたのは、元は野菜市の店先に並べられていたであろう小ぶりのジャガイモだった。彼はそのジャガイモを気づかれないようにそっと拳の中に隠し、男が勝ちを確信して油断を最大に表したところに、それを投げつけたのだ。彼が狙った場所は当然、勝利条件である男の顔面。

「僕の勝です。約束は守ってください」と、ノエルは身を起こしながら言う。

「やく……そく?」

 ――顔面に一撃、何で攻撃しなくちゃいけないとは言われていない。

「はい。僕が勝ったら全てをなかったことにする約束です。守ってくれますよね?」

「……な」

 男は絶対に勝てると思い、自分を強者であると認識していたにもかかわらず、格下のノエル、所謂弱者に負けたのが相当気に食わなかったのか、目に見えてわかる程顔を真っ赤に染める。

「ふざけるな! そんな約束なんか知るか!」

「な、そんなの……」

「うるせぇ! だいたい何が勝負だ! おいクソガキ、お前わかってるのか? 俺に暴力を振るったってことは守護騎士団全体を侮辱したのと同義だ! よって、お前を処刑する……キャクタス!」

 男はノエルが反論する暇も与えず、処刑と同義の言葉を紡ぐ。すると、目に見えない無数の針状の何かが、ノエルに向かって一斉に飛来する。

 守護騎士の男が用いたのは『キャクタス』。それは空気を押し固めて無数の透明の針を作り出す能力。そして、そんな超常の力を男に使用可能にさせているのが、男が身に着けているとある石だ。見ているだけで吸い込まれそうな引力を持つその石の総称はスカイシェード、石自身が主人と認めたものに対し、自らの絶対的な力を分け与える文字通り世の理を超えた存在だ。また、スカイシェードは何らかの形で王家に関わりのある者、あるいは貴族もしくは守護騎士団しか持ちえない。

そうなれば当然、ノエルに男の攻撃を防げる手段あるはずがない。人間を凌駕した力に対抗できるのは、同じく人間を凌駕した力を振るう者のみである。


「スナップ・ドラゴン!」


 無数の見えない針が飛来し、わけもわからぬ内にノエルが穴だらけにされようとしたまさにその時、彼の目の前に爆発を伴った赤い焔の花が咲き乱れた。その花は圧倒的な熱量を持って、ノエルに飛来するはずだった死の脅威を駆逐していく。

「なにぃ!?」

 自信を持った確殺の一撃を全て焼き尽くされ、男は血管が切れそうなほど顔を赤くしている。それは狼狽からか、もしくは奥の手が防がれたことによる羞恥からくるものだろうか。男はすぐさまノエルに「貴様、何をした!」と、問いかけてくるが、彼自身にも何が起きたのか把握することは出来ていなかった。

「いや、そんな事より……この力は」

「うむ、守護騎士よ。お前は自ら定めた法も守ることが出来んのか? ならば、この戦いはフェアではない……よって」

 半ば腰を抜かしていたノエルの前に、いつの間にか立っていたのは、

「ここから先はわたしが相手をしよう」

「メルト! 何で出てきたんだ!」

「うむ、ここから先はノエルには荷が重かろう……次はわたしを信じてくれないだろうか?」

「っ……メルトさんは卑怯です」

「うむ!」

 ノエルは先ほど自分が言った言葉を、そっくりそのまま返され、胸に湧き上がるどうしようもない葛藤を何とか押し込めむとゆっくりと立ち上がり、その場から一歩引く。

「さて、待たせたな」

 メルトはノエルが安全な位置まで下がったのを確認すると、自分は圧倒的な強者であると言わんばかりに、男を挑発的な視線で誘う。一方、そんなバカにされた扱いを受け、プライドの塊のような男が平静を保っていられるわけがない。

「待たせたじゃねぇ! 貴様、何でスカイシェードなんか持ってやがる!?」

 男は最早、血管が切れたのではないかというほど顔を真っ赤にし、大声でまくしたてるが、メルトにとっては格下がいくら吠えたところで気にはならないのだろう。彼女は素知らぬ顔で男をやり過ごす。

「何のことかわからないな……お前は何を言っているのだ?」

「ほざけ!」

 いよいよ耐えきれなくなったのか、男は自らのスカイシェードの能力を爆発的に開放させ、メルトの周りを埋め尽くさんばかりの透明の針を出現させる。

「穴だらけになって、死にやがれ……雑魚が!」

 そして、見せない針は今度こそ目標を射殺そうと突き進むが、

「なんで……だよ」

 必殺であるはずの一撃はまたしても届かない。メルトの周りでそのこと如くが小規模の爆発を伴って焼け落ちていくさまは、まるで男のプライドが焼け落ちていくかのようにも見えた。

「うむ、見たところお前のスカイシェードの能力は、空気……酸素を圧縮して細い槍のようなものを作り出す能力であろう?」

 自分の能力を完全に防がれただけでなく、見えないはずの能力を把握された男からはプライドだけでなく、戦意までも喪失し始めていた。だが、男の戦意を完全に削ぐまでメルトは止まらない

「であるならば、わたしのスカイシェードに敵うわけがなかろう」

 メルトは空を掴むかのように右手をかざす。

「わたしのスカイシェード、『スナップ・ドラゴン』の能力は単純だ。火を操る……たったそれだけなのだからな」

 かざした右手に現出し始めた小さな火種は一呼吸もしないうちに、メルトとほぼ同じ大きさを持った球体へと変貌を遂げていた。辺りを照らし、黄金色の熱を放つそれは最早、小さな火種ではない。それはまさしく……、

「メルトさん!」

「うむ!?」

 メルトが男に向け一歩踏み出そうとした直前、ノエルは彼女の必至に声をかける。彼女を止めなければ、取り返しのつかない何かが起こりそうな気がしたからだ。それに何より、

「目立ちすぎです! こんなに騒いだら守護騎士団が来ちゃいますよ!」

「何を言っておるのだ? 守護騎士団ならここに……うむ? うむ、この程度で気絶するとは何ともしょうもないやつよな」

 彼女の言葉に、ノエルが男の方を見ると、目を真っ白にし、口から蟹のように泡を噴き出して気絶している姿が目に入った。

 ――こ、これだけやられたら、当分はおとなしくしてるだろうな……じゃなくて!

「そいつじゃない守護騎士団の事です! 早く逃げないと面倒くさいことになるんですって!」

「うむ、何だかよくわからないが、ノエルがそう言うのならばそうなのであろう」

 メルトは先ほど生み出した火球をあたかもなく消し、ノエルの元へと歩いていく。当の彼はすぐさま彼女の手をつかみ「ヴェロニカさん! あとは任せました!」と、大声で叫び、人ごみから逃げるように走り出すのだった。


     ●●●


「起きなさい」

「……うぅ」

 騒ぎが収まってから数分後、同じ場所には二人の守護騎士がいた。一人は先ほどメルトに見るも無残に惨敗した男。もう一人は昨夜、フォート・レイン城で侵入者を追い立てていた少女だ。

「無様ね、これだから雑魚は嫌なのよ」

「……お前、カンナ。俺をバカにしに来たのか?」

 男はようやく覚醒しつつある意識に火を入れ、カンナと呼ばれた少女を獰猛に睨み付ける。

「お生憎様、あたしにそんな暇はないわ」

「じゃあ……!」

「あなたを殺人未遂で逮捕するわ」と、少女は体の底から冷たくなる声で言い放つ。

「ふ、ふざけんな! あれはあいつらが!」

 男は必死に弁解しようするが、氷のような少女を動かすことは出来ない。少女はまるでゴミでもみるかのような目で男を見下ろし、そして続ける。

「証言は得ているわ。それにあなたは昔からスカイシェードを市民に濫用していたようですしね。あたしの友人に医者がいるんだけど、そこに無数の針で刺されたような怪我人が運びこまれたそうよ……心当たりはないかしら?」

 言い逃れができないと悟ったのか、男は押し黙る。しかし、それは決して観念したわけではなかった。男はタイミングを見計らい……少女に牙を向ける。

「死にやがれクソガキ! キャクタ……」


「本当に無様ね」

「…………」

 少女は男に背を向けて歩き出す。

「う~ん、せっかく任務ついでに休暇もらったことだし、あいつの所でも行ってあげようかしら……最近帰ってないしね」

 少女が去った後には、物言わぬ氷のオブジェが聳え立っていた。


      ●●●


「えぇい! 守護騎士団はあれだから好かんのだ!」

 守護騎士団とのもめ事から数分後、ノエルとメルトはそれ以上の面倒事に巻き込まれることなく、無事に彼の家へと帰宅していた。

「いや、守護騎士団の連中だけではない。貴族の連中も、王家の連中も……わたしは全員嫌いだ! 何故、あいつらはあんなに偉そうにしているのだ。だいたい守護騎士団には貴族か王家の者しか入れないとはどういうことだ! そんな仕組みだから組織が腐敗するのではないか? それ以前に貴族と王家についても気に食わない点がたくさんあるがな、貴族名とは何だ! なぜ貴族だけ名前を二つ持っておるのだ! まるっきり差別ではないか!」

 場所は、リビング。体重をかければあっという間に壊れであろう古ぼけた丸テーブルを囲み、二人は座っていた。

「ノエル、何とか言ったらどうなのだ! わたしは守護騎士団が……貴族が好かんぞ!」

 メルトは先の一件が相当頭にきていたのか、帰宅そうそうこの調子で、永遠とノエルに話しかけていた。その様子を見ているだけでも、彼女の正義感が並はずれたものだということがわかる。もっとも、テロリストである彼女に『正義感』という言葉を当てはめるのも可笑しなものだが。

「おい、ノエル! わたしの話を聞いているのか?」

「き、聞いてます」

「うむ、ならばお前はどう思うのだ? ……あぁ、あとノエルに言いたいことがあるのを忘れていた」

 彼女の言葉にノエルが何だろと首をかしげていると、彼女は「わたしと話すときに敬語を使わなくてもよいぞ、それに名前も呼び捨てで頼む」と言って、愛くるしい笑顔を向けてくる。

「え、ですけど……」

「それだ、敬語で話されると何だかむず痒いのでな。それにさっき、無意識かも知れんが、ノエルはわたしの事を呼び捨てで呼んでいたぞ?」

 ――僕が? さっきっていつの事だろう? まるで心当たりがない。

「まぁ無理にとは言わん、そのうちでよいぞ! それで、さっきの質問の答えはどうなのだ?」

「さっきの質問……」

 ノエルはやや俯いて考えると、頭の中に白銀に輝く少女の姿が思い浮かんできた。メルトと出会うまでは、その少女のみがこの世界で光を放つ存在に見えた。

「僕は、僕は守護騎士団が悪い人だけだとは思いません」

「うむ、それはなぜだ?」

「確かに昼間の守護騎士は弁解のしようがないほど悪い奴でしたけど、僕が知っている守護騎士は」

 ノエルはそこで言葉を切り、自らの言葉に確信を持ってメルトを見る。その眼はこの雨雲に覆われた世界の中でも、とても澄んだ意思を宿した見えた。

「僕の幼馴染は、とても高潔で誇れる人物だと思います!」


「ただいま~」


 ノエルが言ったまさにその瞬間だった。何の前触れもなく開く玄関、聞こえてくる「ただいま」宣言。開かれた扉の先にいたのは、氷のような冷気を感じさせんばかりに輝く守護騎士の制服を身にまとった少女だった。身長、年齢ともにノエルと同じくらいであろう彼女は、後ろで一つに結われた白銀の髪を揺らし、血のように赤い瞳を細め、氷のような声で冷徹に言う。

「あんたは……」

「お前は……っ」

 眠っていた猫のようにやや遅れて反応したのはメルト。そして二人は声を合わせて言う、

「「昨日の!」」

 こうして、黄金と白銀の少女たちは会合したのだった。


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