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ザ・ミッシングサン  作者: 紅葉コウヨウ
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第一章

――寝ても覚めても毎日同じことの繰り返し、ここで暮らす人たちは僕も含めて、機械のように同じ毎日を過ごし続けている。別に特別なことを望んでるわけじゃないけど、少しくらいは違うことが起きてほしい。

 ――朝、目が覚めればこのゴミ溜めのような下層で暮らしていくための賃金欲しさに一日中働き通す。ようやく一日が終わったと思って家に帰ると、死んだようにベッドで眠りに落ちる。そして翌日、僕はまた同じことを繰り返す。

 ――変わらない時間。

 ――変わらない毎日。

 ――変わらない世界。

 ――それを自覚するたびに日常に嫌気がさす……自ら変えようとする度胸もないくせに、そんなことを考えている自分自身にも嫌気がさす。

 ――それでも僕は変化を求める。

 ――どんな変化でもいい、変化の大きさにこだわったりはしない……けど、もしも僕の願いがかなうのなら、一年中この世界を覆っているあの雨雲がなくなった景色を見てみたい。

 ――もしもあの分厚い雲がなくなったのなら、そこにはいったいどんな景色があるんだろう?

 ――見てみたい。

 ――そうすれば何かがわかる気がする……僕にも変えようとする意思が生まれる気がする。

 ――だから僕は、


「ノエル! そこまでいつまでボケーっとしてんだ! 空なんか見てても事態は解決しねぇぞ!」


耳鳴りがするほど大きな声に、ノエルは乗っていた梯子から落ちそうになり、強制的に思考を打ち切られる。

「仕事はどうした、仕事は? そこで立ってるのがお前の仕事か? だとしたら楽な身分だな、おい!」

 再度聞こえてきた声の主はヴェロニカのものだ。彼女は王都フォート・レイン下層 西地区で医者を生業としている人物である。そして、ノエルと彼女が今いるこのボロ家こそが病院ということになる。もっとも、病院と言っていいほどの広さは確保できていないが。

「早くしろ、ノエル! 床が濡れるかどうかはお前にかかっている!」

「わかってすますよ……でも、ヴェロニカさんだって手伝ってくれたって」

「あぁ?」

「い、いえ」

 ノエルが現在している作業は実におかしなものだった。否、正確にいうのならばおかしくない。しかし、ここが清潔でなければならない病院であると考えるのなら、実におかしなものだと感じてしまう。

 彼がしている作業とは、腐って抜けてしまった天井の修復だ。加えてもう一つ、抜け落ち、天窓のようになってしまった天井から入ってくる雨水を梯子の下に置いたバケツに溜め、バケツが満杯になったら外に捨てに行く。

これら二つが、現在ノエルが行っている作業の全てである。

 彼がしている作業は壊れた建物の修復として至極当然の物のように感じるが、どうしてもそれ以上に違和感を感じざるを得ない。なぜならここが病院だからだ、清潔であり綺麗である病院だからだ。だというのにこの病院は荒れ果てている。木造建築のこじんまりとした病院、その天井の一部は腐り落ち、壁も継ぎはぎだらけのため、温かい昼間はまだしも夜間は隙間風に悩まされるだろう。ダメ押しとばかりに、部屋の隅で最後の力を振り絞るかのように瞬いている電灯が、寂れた雰囲気をよりいっそう助長している。

「おい! 天井の修理ばっかりやってるんじゃねぇよ! 下を見ろ下を! バケツから水が溢れそうだぞ!」

「ちゃんと見てますから大丈夫ですよ」

 付け加えて言うならば、医者であるはずのヴェロニカの存在自体がこの病院の寂れ具合、荒れ果て具合に拍車をかけている。その原因は彼女の容姿、そして勤務態度にあるだろう。

 彼女は全体的にだらしさなさを感じるダボッとした服をいい加減に着、荒々しい獅子を思わせるような、赤く長い髪をあちこちにハネさせながら、「怠い!」「つまらん!」「暇だ!」と、負の三拍子を打っているかのようにベッドに腰掛けて、足をバタバタ前後にふっている。

 小さい子がすれば可愛らしい仕草に見えたかもしれないが、三十路をすぎた女性……それも体中から剣呑な雰囲気を漂わせている女性が行っているとなれば、当然受ける印象もだいぶ変わってくる。

 ――こ、怖い。

 それがノエルの受けた印象である。

 獅子のような髪を持つ剣呑な雰囲気の女性に、睨みつけられれば誰だって怖い。彼が抱いた印象は間違ってはいないだろう。

 ――にしても、ヴェロニカさんがもうちょっと真面目に仕事してくれれば、この病院の雰囲気もだいぶ変わると思うんだけどな。

 ノエルが次に抱いた考えも間違ってはいない。

 ヴェロニカがもう少し真面目に働けば、病院の雰囲気もだいぶ変わるだろう。病院における医者とは、いうなれば病院の心臓のようなものだ。その心臓に活力がなければ全体の元気もなくなるし、心臓に活力があれば全体の元気も出るだろう。

 もっとも、ヴェロニカは真面目に働いていないわけではない。むしろ彼女は下層の医者の中であ真面目に働いている部類に入るだろう。では、ノエルは彼女の何をもって真面目でないと判断したのか。

「だりぃ~」

 それすなわち、雰囲気だろう。

 けが人が来れば真面目になるとしても、普段の雰囲気や生活態度がこれでは、不真面目だと思われても仕方がない。現に今も彼女はノエルの仕事を見ているだけで、一向に手伝おうとしない。

「暇なら少しは手伝ってくれてもいいじゃないですか」

「うるせぇな、俺は客がいつ来てもいいように待ってんだよ! はぁ……早く客こねぇかなぁ」

「早く客来ないかなって……」

 ノエルは天井の修理を終えると、梯子からゆっくりと降りてヴェロニカのほうへと向きなおる。

「客って要するに病人、けが人ですよね?」

「あぁ? だからどうした?」

「いえ、その……」

「はっきり言え!」

 ヴェロニカに怒鳴られ、ノエルは身をはねるように震わせると、まるで獰猛な獣に追い詰められた小動物のように、消え入りそうな声で話し出す。

「客が早く来ないかなっていうのは……その、病人と怪我人が早く来ないかなってことであって……不謹慎じゃないかと」

「で?」

 ヴェロニカはおもむろに腰掛けていたベッドから立ち上がると、小鹿のように震えるノエルのもとへと歩いていく。彼女は文字通りノエルの目と鼻の先まで近づいていくと、彼の両肩をその両手で万力のように締め付け、

「だからなんだよ?」

「あ、の……痛いです」

「バカかお前? 痛くしてるんだよ、お前が生意気なこと言うからな」

「な、生意気なことなんて……」

 ノエルは目を落ち着きなく上下左右に泳がせながら、滝のような汗を流している。

「いいかノエル、これからお前にこの世の真理を教えてやるから、しっかりと頭を回転させて聞けよ……返事は!」

「は、はい!」

「ったく、最初からそうすればいいんだよ。そんじゃあ本題だが、お前は誰に金をもらってる? 誰に雇ってもらってるんだ?」

「それは、ヴェロニカさんですけど」

「よし、じゃあ俺は誰から金もらってんだ?」

「えっと……」

「遅い! いいか? 俺は客から金もらってんだよ。つまり、客が来ないとお前も金もらえなくなるぞ? それでもお前は不謹慎がどうとか抜かすのか? いいご身分だよなぁ、おい! 客が来なかったら金も入らない、お前は金がいらねぇのかよ?」

「そんなこと言ってないじゃないですか!」

 ノエルは珍しく、なけなしの勇気を振り絞って言い返すが、ヴェロニカの人を食い殺さんばかりの眼力に押されてすぐにうつむいてしまう。

「まぁいい、今は仕事だ」

 ヴェロニカはノエルの肩から手を離すとベッドのほうまで歩いていき、何日も歩き続けた旅人がようやく休む場所を見つけたかのごとくベッドへと倒れこむ。これは余談だが、このベッドはヴェロニカが寝るためにおいてあるものではない、これは急患を寝かせるためのものである。

「お前と話してたら疲れたから寝る。お前はバケツの中にたまった雨水でも捨ててきてくれや」

 彼女はそう言いながらやる気がなさそうに手を振ると、カーテンを閉めて本格的に寝入ってしまう。

「はぁ……」

 ノエルはヴェロニカに聞こえないように、虫がささやくほどの音量でゆっくり溜息をつくと、天井の穴の修理中に穴から降り注ぐ雨を受け止め満杯になった木製のバケツを二つ、両手で重そうに持ち上げる。

「おっも」

 ――少しくらい手伝ってくれてもいいじゃないか。

 ノエルは納得いかなそうにボソボソと呟くが、どうせ何を言っても無駄だと理解しているのか、何か言えば面倒なことになると考えているのか、寂れた院内を抜けて、路地裏へと続く扉へとやってくる。

「扉を開けるのは何とかなるとしても、雨に濡れるのは覚悟しないとかな」

 一年中世界を覆い続けている雨雲のせいで、同じく一年中雨が降り続ける世界。普段ならば、傘をさして外出するか防水加工の施されたフード付きの外套を着るのが当然だ。ノエルはこの日、外套を着てやってきていたが、一々表玄関まで外套を取りに戻るのは面倒くさい。

「天井修理するときに結構濡れたし、もうたいして変わらないか……よし」

 ノエルはバケツを持った手で器用に扉を開けると、降りしきる雨の中へと足を踏み出す。

「っ」

 ヴェロニカと話しているうちに思いのほか強くなっていた雨脚に驚きつつ、ノエルは狭く薄暗い路地裏の脇にある排水溝へとバケツを運んでいく。

 バケツの中の水はただの雨水であるため、その辺りに適当に流していいように思えるが

、わざわざ排水溝へと運んでいくところに、彼の性格がよく表れているといえるだろう。

 ――にしても、よくあの性格で守護騎士団長なんかやれたよな。

 排水溝にバケツの水を流しながら、ノエルが考えていたことはヴェロニカのことだ。

 彼女は今でこそ下層の寂れた病院で医者をやっているが、以前は上層の貴族……それもフォート・レイン城 守護騎士団 団長という超特権階級だったのだから驚きだ。ノエルは、ヴェロニカがどうして今に至ったのか詳しくは知らないが、昔どのような仕事をしていたのかだけは教えられていた。

 ――守護騎士団長ヴェロニカとか、今では考えられないな。

ノエルは今のヴェロニカの姿を思い出しながら苦笑いする。

「っと、雨脚が強くなってきたし、水も捨てたし……早く中に戻ろう」

 中身を捨てたことによって、行きと比べて天と地ほども軽くなったバケツを手に立ち上がり、病院の中へと歩き出そうとし、


 何か重たいものが崩れ落ちるような音を聞いた。まるで人間が倒れるような音を……。


「!?」

 音がした方角、路地裏のさらに奥、物音はそこからしたように感じた。しかし、路地裏とはいうものの、かつては石のブロックによって舗装されていた道は荒れ果て、もう人が通ることはほとんどないような場所だ。それも今日の様に一際雨が強い日に、好き好んで狭く薄暗い道を歩く人が居るだろうか。

「気の……せい? いやでも」


「っ!」


 確かに聞こえた。

 今では滝のように降りしきる雨の中、石に跳ね返る激しい雨音の隙間を縫って、それは確かにノエルの耳へと届いた。

「人の声?」

 聞こえてきたのは人の声、雨音に紛れてはっきりとは聞こえなかったが、それは確に人の声に聞こえた。

 ――それもひどく弱々しいような……もし怪我人だとしたら、病院で働いている以上見過ごすわけにはいかなよな。

 フォート・レイン下層は、上層と違ってお世辞にも治安がいいとは言えない。むしろ治安がとても悪いといえるので、ノエルは路地裏には極力近づかないようにしていた。

「でもこういう場合は仕方ないか」

 何せ人命がかかっているかもしれない。

 服もすでにびしょ濡れで、服を着たまま川に飛び込んだかのような状態になっているため、これ以上濡れたとしても何も変わらないだろう。

 ノエルは自分の心に踏ん切りをつけると、薄暗く異常に静かな路地裏の奥へと歩いて行った。

「…………」

 路地裏が静かな反面、雨の音がやたらうるさく感じる。ノエルはその音が自分を急かしているような錯覚に陥りつつあったが、彼は息をのみながら一歩一歩慎重に足を進めた。  その理由として、治安が悪い路地裏の奥に歩いていくのが怖かったというのもあるが、彼の胸を騒がすとある確信が、彼の歩みを慎重にしているのだ。

 ――何かがある。

 ――この奥に何かがある。

 ノエルがどうしてそのように思うのかは、彼自信にもわかってはいなかった。しかし、確信だけはあった。その確信も他人からすれば霞のようにあやふやなものだったが、彼にとってはそうではない。

 人間とは運命的な経験、出会いをする直前に何とも形容しがたい感覚に襲われることがあるという。おそらくノエルにとってはこの時がそうだったのだろう。もちろんそんな直観じみたものは外れる可能性のほうが多いだろう。そして彼の場合は、

「誰か……いるんですか?」

 声が聞こえたであろう場所まで来たノエルは、恐る恐るといった様子で声を出す。

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 だがいくら待っても返事は帰ってこなかった。全て彼の勘違いだったのだろうか。期待していたといえば語弊があるかも知れないが、ノエルは運命的な何かを感じていたため落胆は大きかった。

 ――やっぱり、いきなり日常に変化が起こるわけないか。

 彼ははさっきまでの自分を恥じるように苦笑いすると、来た道を引き返そうと後ろを振り返り、


 絶句した。


 振り返ったノエルの先にはいったいどこから現れたのか、黒いフード付きのローブを着た人物が立っていたのだ。闇色のローブに覆われ、本来顔がある場所は深淵のように暗い。そして、その深淵からは二つの金色の光が彼をのぞいていた。

「~~~~~~~~~~~~!」

 突然の事態にノエルは声にならない声をあげながら後ずさるが、

「…………」

 ローブを着た人物は一向に動く気配を見せない。それどころかその人物は、今まで立っていたのが嘘だったかのように、ノエルのほうへと倒れてくる。

「うわ……っと」

 咄嗟にノエルは倒れてこんできた体を受けとめる。

「え?」

 受け止めた体が予想以上に軽かったこともそうだが、ノエルが何より驚いたのは。

「女の子?」

 倒れてきた反動で外れたフード下から見えてきたのは光だった。

 この世界を照らさんばかりに輝く黄金の光……ノエルが見たのはそれほどに美しい髪を持つ女の子だった。年のころはノエルよりも二、三歳した……十五歳か十六歳といったところだろう。やや幼さの残る顔立ちだが、今は閉じられているにもかかわらず瞳からは強い力を感じる。

 ――綺麗だ。

 ノエルが彼女に抱いた初めての感想がそれだった。そして、これこそがノエルと彼女の初めての出会いだった。


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