プロローグ
すごい雨が降っている時に書きました。
別に僕の心に雨が降っているわけではありません。
分厚い雨雲に覆われ、星の光さえも届かない深い闇夜。王都フォート・レインの中央に位置するフォート・レイン城は現在、あらゆる意味で静寂に包まれている。
城の回りを動くのは見回りの兵、そして木々に潜むリスなどの小動物くらいだろうか。先ほどまでは輝いてた城内の灯りたちも、それを使用する住人達が寝静まっているのなら、その身を休ませるしかないだろう。
城内の灯りが消えているせいか、住人が寝静まっているせいか、はたまた闇夜に染められた漆黒の雨のせいだろうか。普段ならば空を目指さんばかりに、高く凛と聳え立っている純白の城もどこか怪しく不安気なものに見える。
時は深夜二時をちょうど過ぎたころ。
城全体を包み込む重くも繊細な静寂は、
雷鳴のような暴音を伴って、あっけなく粉砕された。
突如としてざわめき出す城内。
城が目を覚ますきっかけとなった音はどうやら、何らかの爆発によって内側から壁が破壊された音らしい。その名残か、大きな穴が穿たれた壁の周りからは降り続く雨に負けることなく、身を焦がすような真紅の炎が立ち上っている。
そんな炎をものともせず、化け物のように大きく口を開けた壁の穴から外へと出てくる人影が二つ。
一人は暗闇に溶け込むためか、己が身に黒いフード付きのローブを着て特徴の全てを覆い隠している人物。
もう一人は身を蝕むような夜の中でも鮮やかに輝く白のドレスの上から、部分的に白銀の甲冑をつけた女性。
後者の女性が身に着けている騎士のような装備は、紛れもないフォート・レイン城 守護騎士団の制服だ。であるならば、彼女に追いかけている黒いローブを身に着けた人物が何者なのかは自ずとわかってくる。
いや、それ以前に二人が身にまとっているただならぬ雰囲気からして、前者の人物が危険かつフォート・レイン城ひいては王都フォート・レイン全体に、何らかの悪意を持っているのは明らかだろう。
「~~~~~っ!」
白銀の女性が何かを叫ぶ。
おそらくは侵入者の存在を伝えようとしたのだろうが、その声は雨が地面にあたる音によって、無情にも掻き消されてしまう。現に他の守護騎士団の面々は、何事かと破壊された壁へと集まってしまっている。破壊を成した人物はとうにその破壊の跡から逃亡をはかっているというのに。
他の者に協力を仰げないというのならば、ただ一人侵入者の存在に気づき、追跡中である自分が何とかしなければならない。
白銀の女性はそう考えたのか、追いかけていた足により一層力を入れ、こちらの視界を奪おうとする雨の中、城の敷地の外へ外へと逃げ続ける黒い人物を追いかける。
しかし、彼女の意気込みとは裏腹に二人の距離は一向に縮まらない。それは彼女の身体能力が、黒い人物より劣っているからではない。原因は彼女が身にまとった甲冑、そしてその腰に吊るされた鮮やかな銀色の装飾剣が重しとなっているのだ。だが、彼女にはそれを捨てて追いかけるという選択肢はなかった。
単に思い浮かばないだけなのか、思い浮かんだが丸腰になる勇気がなかったのか、もしくは何も考えていない愚か者なだけか……その答えは否である。選択肢の中に答えはない、選択する必要すらない。白銀の女性が頭の中に思い浮べている答えは常に一つだけなのから。
緑が生い茂る城の敷地の中を逃げる黒い人物の前には、これまで逃げてきた風景とは異なる風景が見えつつあった。きちんと整備された石造りの美しい道、そしてそも道を挟むように建てられているのはレンガ造りの美しい家々。
黒い人物は城の敷地からの脱出を達成しつつあるのだ。
黒い人物……ここでは仮に彼と呼称させてもらおう。
彼が見ているのは王都フォート・レイン上層部、貴族達の住居や目を疑わんばかりの金額の物品を扱う店が軒を連ねる区域だ。
彼の現在の目標がフォート・レイン城からの脱出ならば、城の敷地と上層を隔てる幅二十メートル程の流れの早い川にかかる、厳かな雰囲気を醸し出す豪奢な橋を渡らなければならない。逆に言うのならば、渡さえすれば脱出は果たしたことになるといえるだろう。そして、ここまで来たのならば、それはもうさして難しいことではない。なぜなら、彼はもう橋の中ほどまで足を進めていたのだから。
彼もそう思ったのだろう、顔を隠すように深く被ったフードの隙間から、ずる賢そう歪む口元がのぞいている。
「!?」
しかし、ここまで快調に進んでいた彼の足が突如として止まる……否、止められる。
どこからか現れた氷の壁によって。
彼は自らの身長を遥かに上回る氷の障壁に手を当て、何かを呟こうと口を動かすが、
「ダスティ・ミラー」
彼は彼自信の数メートル後ろから聞こえる氷のような声に、とっさに身をひるがえす。
「…………」
憎々し気に一点を見つめる彼の視線の先、そこには自らの正義に絶対の自信を持つかのように剣を掲げる女性の姿があった。清浄な光を帯びた白銀の髪を後ろで結い、罪人を決して許しはしないという意思を込めた銀色の瞳を持つ少女の姿があった。
彼女の周りに漂うのは無数の氷柱、おそらくは何らかの方法で周囲にある水分を凝固させたのだろう。
白銀の少女はそれら全てが断罪の剣であるかのように、一本一本を黒い人物に向ける。
「…………」
「…………」
続くのは静寂、両者の間に横たわる沈黙が雨音をより一層引き立てる。それからどれほど時間がたったのか、どちらが先に動いたのかはわからない。
わかるのは薄氷のような静寂が破られたということだけだ。
両者はほぼ同時に動いていた。
黒い人物は橋の手すりに手をかけ、川の流れの中へと逃れようとし。
白銀の少女は彼へと剣を向ける。
それから起きた出来事は偶然だったのか必然だったのか……黒い人物が橋の手すり足をかけたところで、白銀の少女の周りから放たれた氷柱の一本は、彼の脇腹へと突き刺さる。
その反動によってよって黒い人物が川へと落下していく間際、わずかにずれたフードの中に白銀の少女が目にしたのものは、
「……女?」