光さすあした
一年あまり篭っていた子が少しずつ動き始めた。
カウンセラーの「あと三か月もすれば動きが出ますよ」という励ましとも思える言葉に引っ張られここまできたが、あれから随分月日が経ったもんだ……。
茂美はトンネルの向こうに灯りが見えない日々を送っていた。
「この子がこうなったのはおまえのせいだ」と、父親の責任を逃れようとする夫の暴言に責められながらの毎日だった。
朝になると毎日近所の子らが誘いにきた。
「邦夫く~ん」みんなが一斉に呼びかける声が茂美にとってはたまらなかった。
「ごめんね、今日もお休みなの……」
そのことが当たり前のように、子供達はランドセルをしょった背を向けて立ち去っていく。
今日も一日が暮れた。茂美は夜が来るとほっとした。みんな眠っている時間だからだ。
隣に寝ている夫は高いびきをかいている。
朝が来て、夜が来て……、今日でちょうど三百九十日目になっていた。
夫は白いワイシャツにキリリとネクタイを締めて、何ごともないかのように出勤する。
茂美にとっては平常を装っている夫がむしろ慰みだった。
好い天気……、でも学校から先生が訪問して来ると押入れに駆け込んで震えている邦夫。
「邦夫ちゃん、好い天気だよ。どこか行ってみない?」
そんな呼びかけは何百回したかしれないけれど、一向に動く気配も見せなかった邦夫だったが、けさはちがっていた。やっぱりお日さまが恋しいらしい、と茂美は思った。
ふたりはこれといって何もいわず、暗黙の了解のように車に乗りこんだ。
茂美が車の免許を取ったのは、ふたりの子供を町の幼稚園に送る為だった。初心者が乗るにしては超高級車の真っ白い1800㏄のブルーバード。
邦夫は車が家の坂を下りて坂の下にある家の前を通るとき、車の中に身をかがめた。
気が付かぬふりをする茂美だったが、自分の子育ての失敗が胸を突き刺す傷みとして身体中を走る。
ちらちら見るバックミラーに写る邦夫の顔がほころんでいる。
――よかった!
茂美は内心ほっとしていた。いっときでも邦夫が安らいてくれる時間を持てたことがうれしかった。この日の燦々と射しこむ太陽に心からお礼が言いたかった。
「かあちゃん。外は広いね。花がいっぱい咲いてるね。外で遊びたいな……」
邦夫のその思いがけない言葉を茂美は夢の中できいているような気がしていた。
胸が詰まってすぐに返事ができなかった。何か言ってやりたかった。偉いよ、外に出る気になったんだね――、口には出せない言葉が茂美の頭の中でぐるぐる回った。
▽
茂美はあの時のことを思い出していた。
初めてあの子が外に出たのは、それまで寒かった初春の、ひさびさに太陽が出た日だったこと、邦夫を外に導いてくれたあたたかな日の光……。忘れることはできなかった。
「ばあちゃん!」一樹が呼んでいる。
「あいよ、今行くから……」外に出て一緒に遊びたがる孫の一樹の声だ。
ばあちゃんは感傷に浸っている暇がないほど、一日中動き回っている。毎朝お日様が出ると手を合わせ、「ありがとうございます」と感謝する日々。