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土曜日 頼まれる

「俺、実は神様なんだよね」

 僕の目の前の男はそう言った。

「は?」

 反射的に僕は聞き返す。なんて言ったか聞き取れなかったわけじゃない。聞き取れたからこその確認なのだ。

「だから神様。俺、神様」

 短い髭を撫でながら、男は続けて言った。

「それでさ、一週間だけこの世界を頼まれてくれないかな?」



 さて、どこから語ろうか。なんて考えるまでもなく、この男との出会いから始めるべきだろう。

 出会いといってもそんなに大層なことではない。欲しい本があって外出していたらぶつかってしまっただけである。外出していたらというか、帰宅中だったんだけど。

 その本は数週間ほど前に発売していて、そういえばもう出てたなと思い出したのが今日の午前中。しかし、本屋を三軒回ったがすべて売り切れた後だった。

 目当ての本が見つからなくて落胆していた僕は、少し俯いて歩いていた。もしかしたら普段から俯き気味だったかもしれないけど、そんなことは特に重要じゃない。

 問題はその後声をかけられて、愚かにも耳を傾けてしまったことである。すいませんと謝ってさっさと立ち去るべきだったのだ。そうしなかったから、こんな意味の分からないことを言われるハメになった。

 神様だってよ。

 この人神様だってよ。

 じゃあ僕は仏様かもしれない。

 なんて頭の悪い考えはさておき、どうしたものだろう。こういう場合どう返すのが正解なのだろうか。

 知らない人が住宅街で神様だとカミングアウトしてきたのだ。神だけに、カミングアウト。……いや、面白くもなんともないな。

 常識的に考えてこの男は、冗談を言っているか頭がおかしいかのどっちかだ。でも僕は、知らない人に冗談を言うような人と仲良くなれそうにはないし、頭のおかしい人はもっとお断りだ。

 走って逃げてしまおうか? 幸いにも家は近いし。追いかけてきても逃げ切る自信はある。かけっこは昔から得意だ。

 男は見た目二十代後半から三十代だろう。若くは見えないけど年寄りってほどでもないくらいだ。鍛えてるわけでもなさそうだし、多分足で負けることはないと思う。

「あれ? 聞いてる?」

 僕の沈黙に不安になったのか、男がまた声をかけてきた。どうでもいいけど、見た目オッサンな男が小首を傾げないでほしい。ただただ見苦しい。

「いや、あの、聞いてますけど」

「あ、よかった。で、どう?」

 とりあえず返事はしたが、なんというか、知らない人に声をかけられるってこんなにパニックになるものなのか。いや、内容が悪いのかな?

 とにかく走って逃げよう。よし、そうと決まれば善は急げだ。

「あの、さようならっ」

「あれ? ちょっとちょっと、どうしたのー?」

 後ろから声がしたが、振り返らずに走る。ここから僕の家までは走って数分だ。止まらないことにしよう。

少し悪いことをした気もするが、あのまま話をしていたらどんな方向にいったかわからない。悪質な宗教勧誘だった可能性もある。そう考えれば、こうして逃げるのは最善の選択のはずだ。

 そういえば買おうと思っていた本も、タイトルに神と入っている本だった。今日はそういう系に縁がある日なのだろうか。

 そうして僕は自宅の前についた。家には鍵がかかっていなかったので、ドアを開けて中に入る。嫌な汗をかいてしまった。少し早いけどシャワーでも浴びようか。そんなことを考えながら居間に入った。

「逃げないでよ。ひどいな」

「うわぁ!」

 居間にさっきの男がいた。

 お茶をすすってる。

 ……いやいや、おかしいでしょ! どうしているんだよ!

「足、速いね。陸上でもやってるの?」

「え、いや、別に……じゃなくて! どうして僕の家にいるんですか!」

「君がここに逃げたから。話の途中だったでしょ」

「いやいやそうじゃなくて。それはそうなんでしょうけど、そういうことじゃなくて……」

 僕は落ち着くために浅く深呼吸をした。自分で言ってあれだけど、浅く深呼吸って表現はおかしいな。ただの呼吸じゃん。

でもとりあえず冷静になれたからよしとしよう。僕は改めて男に話しかけた。

「どうやって先回りしたんですか? そもそも母があなたを家に入れてお茶を出すとは思えないんですが。それに、あなたは」

「あーあーわかったわかった。説明するから待ってよ」

 言葉を遮り、男は僕に座るように促した。テーブルを挟んで、男の正面に座る。こうなってしまったら話を聞くしかない。

「俺神様だからさ。先回りなんて余裕なの。あと、お母さんはいなかったよ? 出かけてるんじゃないの?」

 案の定神様だからで済まされてしまった。もっと納得できる回答が欲しかったけど、どんな回答でも納得出来ない気がするからタチが悪い。

 しかし、どうやって男が僕より先にこの家に来れたのか。それ以前に、どうして僕の家を知っていたのか、考えても思いつかない。何よりなぜ男はお茶を飲んでくつろいでいるのだろうか。人の家でずうずうしい。

 そんな風に悩む僕を尻目に、男は話を続けた。

「それで本題だけど、ちょっと用事があってさ、明日から一週間くらい留守にしなきゃいけないんだ。だから、その間に世界を預けておきたいんだよ」

「はあ」

 世界を預けるってなんだよ。ペットか何かなのかよ。

「もちろん、お礼はするよ。どうかな? 頼まれてくれるかな?」

「そうですねえ……」

 駄目だ。きっとこの人は頭がアレな人だ。目が冗談言ってないんだもん。

 怖っ。こういう人と話すの初めてだけど、怖っ。なんか断ったらいきなりキレそうな気がする。いや、偏見かもしれないけど。

とりあえず話を合わせておくしかない。

 ……と。

 ここでそう思ってしまったが僕の人生最大の失敗であり、このせいで僕は大変な目にあうことになる。

 落ち着いて、あるいは客観的に見て考えれば、僕の行動は間違い以外のなんでもない。

「まあ、僕でよければいいですよ」

 こんなこと言うべきじゃなかった。

 断るべきだったんだ。

 ……なんて、今更言っても遅いのだけれど。

 僕の言葉を受けた男は、ニヤリと笑って

「そう言ってくれると思ってたよ。明日からよろしくね」

 と言った。

 その後はあっさりしたものである。男はお茶を飲みきらないまま、帰ると言って玄関へ向かった。

「あ、そうそう」

 ようやくこの状況が終わるのかと安堵していた僕は、まだ何かあるのかと身構える。

「お礼、ポストに入ってるから」

 じゃあね、と男は家から去った。二度と来ないでくれ、と僕は心の中で呟く。

 冗談抜きで、もう二度と会いたくない。

 ポストを確認しようか迷ったが、お礼とやらが入っているにしろそうでないないにしろ、関わりたくなかったのでやめておくことにした。

 それにしても、本当になんだったんだろうか。春はおかしな人が増えるって言うけど、今は五月だ。あれ? 五月なら春でいいのか? じゃあやっぱりおかしな人だったんだな。

 と、自分なりに納得して(いや、納得できたわけじゃないけど)玄関から離れようとすると、突然ドアが開いた。

「うわぁっ!」

 男が戻ってきたのかとビビり、尻餅をつく僕。……我ながらビビりすぎな気がする。

「ただいま……って、どうしたのよ」

 入ってきた……というか、帰ってきたのは、僕の母だった。両手に袋を持っているところを見ると、普通に買い物に出かけていたらしい。

「お、おかえり、母さん」

「どうかしたの?」

 僕の反応を変に思ったのか、母さんが少し心配そうに訊いてくる。

「いや、別に。なんでもないよ」

 まさか変な男と話していたとは言い辛い。言って大事になったら面倒だ。あの男のことは黙っておくことにしよう。

 立ち上がり、僕は袋を居間に運ぶのを手伝う。

「……あら? 誰か来てたの?」

 居間のテーブルに残されたお茶を見て、母さんが訊ねる。

「あー、いや、僕が飲んでたんだよ」

 畜生。勝手に飲んでたんだから、せめて片付けてから帰れよ。と、悪態をつくわけにもいかず、咄嗟に嘘を吐く。

「そう。まだ残ってるみたいだけど、残しちゃだめよ」

「え」

「もったいないでしょ」

 えー。

 飲まないといけないの? 知らない男が残したお茶。

 嫌だなー。すっごく、嫌だなー……。

 母さんが見てないうちに捨ててしまおう。

 そう決めた僕は、隙を見計らって流しにお茶を運んだ。そしていざ流そうというところで、それに気付いた。

「……ん?」

 お茶の中に、何か入っている。

 ビー玉程度の大きさのそれは青く球状で、緑や白の模様がついていた。

 気になった僕はお茶を流し、水でよく洗ってから(だって汚いんだもの)それを手にとって見た。

 どこかで見たような模様だと思い、そしてすぐに思い出す。

「これ、地球か」

 そう。教科書で見た地球にそっくりだったのだ。

 あの男が入れてったのだろうか。しかし、なんのために?

 これが例のお礼なのだろうか。いや、お礼はポストに入っていると言っていた。では、これは一体なんなのだろう。

「ねえ」

 と、考えを巡らせていると、母さんに声をかけられた。

「何?」

「これ、あんた宛て」

 そう言って母さんは、小さな包みを手渡してきた。

「何これ?」

「さあ。ポストに入ってたけど、宛名があんたになってるから。中に何が入ってるかは書いてないけど」

 言われて包みを見ると、確かに宛名のところに僕の名前があった。

 そして差出人のところには……。

「…………」

「どうしたのよ」

「いや、なんでもないよ……」

 差出人のところには、たった一文字。まあ大体予想はついただろう。その予想は恐らく当たりである。

 『神』とだけ書いてあった。

 僕は母さんに礼を言って、とりあえず包みと地球(もちろんあの球体のことだ)を自室に持っていくことにした。包みに何が入っているかわからないが、これが男の言っていたお礼なのだろう。

 自室は二階にあるので、階段を上る。いつもは一段飛ばしで上るのだが、今はそんな気分にはなれない。

「さて……」

 運び終え、カーペットに座って包みと対峙する僕。

 サイズはそんなに大きくないが、ちょっとしたものなら入りそうだ。

 例えば、爆弾とか。

 ……いや、ね? ビビりすぎなのはわかってるんだけど、正直不安でならないんですよ。知らない怪しい男(しかも自称神)からの贈り物ですよ? 警戒して当然でしょ?

 とは言っても、開けないことには始まらない。中を確認せずに捨てるという選択肢もあるけど、なんというか……。いくら気味が悪くても、お礼だと言われている物を捨てるのは少し気が引ける。

「開けるか……」

 意を決して包みを破ると、中から出てきたのはまず一枚の神……じゃなく、紙。

『明日からよろしくね。なくしたりしたら殺しちゃうから 神』

「殺すって……」

 書いてあることは、あまり嬉しい内容ではない。物騒な冗談だ。

 それから、もう一つ。

 こっちがお礼だろう。

「これは……」

 それを見て、背筋が凍った。

 ちょっと待てよ。どうしてこれがお礼なんだよ。

 中から出てきたのは、ちょうど僕がさっきまで探し求めていた物だった。

一冊の文庫本である。

 今日僕が買いに行った……しかし、見つからなかった、あの本である。

 偶然か? いや、偶然なんて言葉で片付けられないだろ、これ。そもそも僕は、この本が欲しいなんて、誰にも言ってないんだぞ? どうして初対面のあいつが知ってたんだ。

 不思議というか、不気味だ。

 ゾワっと。

 身の毛がよだつとは、こういうことを言うのか。

 ここで初めて……最初から思ってはいたんだけど、心からという意味で初めて。僕はあの男が怖くなった。

「……っ!」

 ふと、男が背後にいる気がして、ばっと後ろを振り向く。もちろんそれは気のせいで、僕の背後には目覚まし時計と数冊の本、他にも雑多な物が並んだ棚があるだけだったんだけど。

 鼓動が早くなるのを感じる。今までに味わったことの無い、恐怖と不快感が一緒くたになったような、なんとも言えない感情。

 時間が止まったように思える。背中が冷たい。頭の中がグルグルしてうまく思考がまとまらない。

 ……ダメだ。落ち着こう。

 こんな時は深呼吸だ。カーペットに寝転がり、深く、息を吸って、吐く。ゆっくりと時間をかけて数回繰り返し、ようやく少し心が落ち着いた。

「そうだ、前向きに考えよう」

 この本が入っていたのは偶然で、あの男はただの変人だ。

 それ以外には何もない。

 知らない人に声をかけられて動揺してるところにこんな偶然が起きたから、ちょっと悪い方向に考えてしまってるだけだ。

 そういえば走って汗をかいたんだった。今日はシャワーを浴びて寝ることにしよう。そうしよう。

 明日になれば笑い話になるに決まってる。月曜日になったら学校で誰かに話して、怖がりすぎだろって笑ってもらおう。

 この考えが正しいのか間違っているのか、この時の僕が知る由も無いのは、言うまでも無いことだ。

 本格的に僕の物語が始まるのは、次の日からになるんだから。

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