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時計売りの話  少女編

作者: そら

鼻をつくのは部屋の湿った空気と埃っぽい匂い。


眼が捉えるのは燭台に置かれた蝋燭の淡い光と薄暗いを部屋を埋め尽くすほどの無数の時計。


耳に入るのは針が時を刻む音と、唯一外へと繋がる扉の向こうから聞こえる――――小さな足音。


「――――――ほう、珍し」


本を捲っていた手を止め、男は扉へと目を向ける。

前の客人が訪れたのはほんの数日前。数年客人が来ないことなど珍しくないこの店にとって稀に見る来客頻度だ。


さらに、足音から察するところ、相当珍しい客人だと伺える。


男は本を傍らのテーブルに置き、ゆっくりと腰を上げた。



********



薄暗く細長いこの一本道を幼い少女一人で通るのは酷なことだった。

最初は歩いていた足も恐怖に駆られたせいか、気付いたら走り出していた。


ここから早くに逃げたい。


この路地に入ってから生物の気配を一つも感じず、この世界に一人取り残されたような感覚がしてならない。

漠然としか分からないが、感覚が鋭い幼子にとって、それは恐怖を覚えるには十分な材料だ。


逃げたい。だげど、今ここから逃げるわけにはいかない。


目的のためには、これしか方法がないのだから。


何度も心の中でそう唱え、自分を励ます。

自然と浮かぶ涙を裾で拭いながらも、走る足を止めなかった。



********



あれからどれくらいの時間が経ったか分からないが、灰色の壁のみという単調だった風景に目新しい一枚の扉が視界に入り込んできた。

息が乱れ、涙を浮かべたままその扉を見上げる。


ここから先は道が無い。きっとこの扉が、目指していたものだろう。

少女は息を呑み、取っ手には手が届かない為、片方の扉一枚を意を決して押した。


――――が。


「――っ!」


少女が扉に手をつき、押そうとしたその時、扉が急に開いた。

今まさに扉を押そうとしていた為か、そのまま倒れ込みそうになり、ぎゅっと目を瞑り、声にならない悲鳴を上げた。


「おっと危ない」


痛みはない。代わりに何かに抱き込まれた感覚がした。

おそるおそる目を開けると、最初に目に入ったのは長い白い髪。そして、声がした上の方を見ると、そこにも長い白い髪しかなかった。


「失礼、小さな客人。この扉は小さな客人には荷が重いと思って開けたのだが、どうやら驚かせてしまったようだ。怪我はなかったかな?」


混乱したまま頷くと、長い白い髪の人は少女を立たせ、少女の目線に合わせたまま話を続ける。



「私はこの店の店主。ようこそ、小さなお客人」



最後に「名前は?」と聞かれ、少女は小さく「結衣」と答えたのだった。




********




店主だと名乗る者に手を引かれ、店の奥へと案内された。

奥にあるソファーに辿り着くまでの道中、数多の時計が店内を埋め尽くされている光景を目にした。店内は暗く、頼りとなる灯りは蝋燭の淡い光しかなかった。だが、不思議と恐怖は湧かず、逆にその光が山積みにされた時計を照らすことで幻想的な光景が構築され、魅了された。

光景に圧倒されながら奥まで着くと、店主と相対するようにソファーに腰を下ろす。

勢いに任せたままここまで来たせいか、いざという時になって、何を言えばいいか分からずに口を閉じ、下を向いていると、男性とも女性とも判別がつかない中性的な柔らかい声がその沈黙を破った。


「客人は、どんな“時”をお望みで?」

「 “時”?」


不思議そうに首を傾げる結衣に、店主は長い髪の間から見える口の口角をどこか得意気に上げ、近くに置いてあった時計を引き寄せ、結衣に見せるよう自身の膝の上に置いた。


「私の時計は、その人の望む“時”を与えてくれる。例えば、笑いたい時や泣きたい時といったものか」

「望む、時・・・」


店主の言葉を確かめるように呟いた結衣は、「それじゃあ」とぽつりと続けた。


「戻れる“時”はあるの?」


思わず上擦った声で尋ねたそれは、結衣がここまで来た目的だった。

風の噂で「望むものが手に入る」と聞き、噂に導かれるままに赴いた。聞いた当初、結衣自身余裕が無く、藁にも縋る思いで勢い任せにここまで来たのだが、時間が経つにつれ冷静になり不安が押し寄せた。そして今、店主の言葉を聞く限りで、「もしかしたら」という期待が満ちてくる。

店主は、顎に手を置き何かを考える素振りを見せる。それを期待の目で見つめていると、店主は唐突に口を開いた。


「結果から言おう。戻れる“時”はない」

「・・・・、そ、か」


舞い上がっていた心が一気にどん底に突き落とされたようだ。

最初から半信半疑ではあったが、用意していた期待は大きく、受けた衝撃は大きいものだ。

ショックで下を向く結衣に、店主は謝罪した。


「すまぬな。私の店は望む“時”を与えてくれるが、時間を遡ったり、未来に行くということは一種の禁忌なのだ。――――客人は何故戻る“時”が欲しいのだ?」


店主にそう問われたが、受けた衝撃のせいでうまく言葉を呑み込めなかった。時間をかけて理解したそれに、じわりと視界が滲んだ。

結衣の胸元にはリボン状に結ばれた水色の大きなスカーフがある。それは、初めてできた友達が結衣へと贈った物だ。

彼女は、お世辞にも可愛いとは言い難かった結衣に、初めて可愛いと言ってくれて、初めて優しくしてくれた人だ。

彼女と会う時間はとても温かく、結衣にとって一番大切な時間だった。しかし、その時間は唐突に終わり、彼女と会う時間は二度と来なくなった。

彼女はたくさんの物を結衣にくれたのに、結衣は何一つとして返せていない。

結衣から返せるものは何一つ持ってないけど、せめて、


「会って、『ありがとう』って言いたいの」


優しくしてくれたこと、会ってくれたこと、――――守ってくれたこと全てに対しての伝えれなかった感謝の言葉を、あの頃に戻って、伝えたい。

だけど、その願いを叶える最初で最後の希望は打ち砕かれてしまった。消沈する結衣の耳に、「なんだ」と、気が抜けた声が入り、のろのろと顔を上げた。


「客人は誰かに会いたいのか?」

「うん」

「なら、叶えれる。少し待っておれ」


思いがけない言葉に虚をつかれ、呆けている結衣を置いて、店主は立ち上がり、時計で埋め尽くされた店内の中に姿を消した。

数分が経った後、時計の山から右手に何かを持っている店主が再び姿を現す。


「少し遅くなってしまってすまぬな。仕舞ったのが大分前で、どこに置いてあるか忘れてしまってな、手間取ってしまった。――どれ、手を出してみなさい」


言われるがままに手を出すと、店主は結衣の掌の上に持っていたそれを置いた。

男性の拳くらいの大きさのそれは全てが薄いガラスでできているからか、大きさの割りに軽い。そして、その形は、ある一つの物を連想させた。


「・・・・砂時計?」


その形を見て、そうは言ったものの、知っている形と少し異なっており、確信が持てずに首を傾げる。

よく見る砂時計は三本の柱と二枚の円板でできた籠の中に一定量の砂が入ったひょうたん型のガラスの容器が入っているものだ。だが、手に置かれたそれは、三本の柱と二枚の円板は見慣れたものだが、中に入っている容器がいつも見るものと違っていた。中にあるはずのひょうたん型の容器は半分しかなく、砂時計という名前の由来でもある砂までもが無かった。

目を瞬かせ、不思議そうに見つめている結衣が愉快だったのか、ガラス越しに店主が笑っている姿が見てとれた。


「珍しいだろう? これは、時間を刻むことも計ることも出来ないが、“会う時”を創ってくれる特別な時計だ。これが客人の望む“時”を作ってくれるだろう」

「本当に? でも、どうやって?」

「ここを使う」


店主は、指先でとん、と容器を叩いた。


「この中に会いたい者との思い出の品を入れるのだ。そうすれば、客人の会いたい者が現れる。だが、これには欠点があってな、会いたい者に会えるのだが、それは霊体のようなものだ。話すことはできても触れることはできないのだ」


しかし、と店主は言葉を区切り、結衣と目線を合わせる。長い髪が顔全体を覆っているため、表情は分からないが、不思議とお互いの目が合っていることだけは分かった。


「客人なら、大丈夫だろう」

「?」


言葉の意味が分からず、結衣は首を傾げたのだった。




********




「この中に入れればいいの?」

「ああ。だが、入れると言っても、それを容器にあてるくらいでいい」


結衣の左手には砂時計が、右手には胸元につけていた水色のスカーフが握られている。

店主の話によると、容器の中に入れてしまった物は、二度と元に戻ることはないらしく、相当の覚悟が必要だった。

思い出深い物と言われ、思い浮かぶのがこのスカーフしかなかった。今となってはこのスカーフは彼女との繋がりを示す唯一無二のものだ。中々踏ん切りがつくことなく、長時間、砂時計とスカーフを手に持ったまま何の行動も起こせないでいた。

周りから見たら、擦り切れ、色褪せた小汚いものだ。だが結衣にとってはこれ以上にないほどに大切なものだ。だが、それを失ってでも、どうしても会いたくて、長いこと悩んだ末、入れることを決意した。

無駄に力が入った両手を恐る恐る近づける。スカーフの端を容器につけた時、スカーフは容器をすり抜け、そのすり抜けた部分から砂に変化し、底へと落ちていった。

その光景に驚いたが、スカーフと砂時計から手を離すことなく、スカーフの全てを容器の中に入れ終えた。


「ふむ。よい色をしているな。余程、よい思い出だったのだな」


店主は水色の砂が入った砂時計を手に取って眺め、感心したように呟くと、それを結衣と店主の間に置いた。


「――――では、これを返した時、客人の望む“時”が始まるが、よいか?」


そう問われ一も二もなく頷いた。

店主は呼応するように頷き返し、そして砂時計を返した。

砂は重力に従い下に落ちるが、底である円板につく前に空気中に消えた。

十秒、二十秒と時間が経っていくが、何の変化も見られず、焦りと不安を覚えて店主を見る。すると、ちょうどその時に店主から「始まったか」という呟きが聞こえた。

店主の見ている方向が砂時計ではなく、別の方向を見ていることに気付き、その呟きに従い、結衣もその方向に目を移した。そこは今まで何も無かった空間のはずだったが、今は点のような細かい光が集まり、一つの形を作っていた。

段々とはっきりとしていくそれに結衣は目を見開いていく。ほぼ完全に形作られた時、結衣は絶えきれず、走り出した。




*******




形作られたそれは、一人の少女―――自分の目の前にいる結衣とまったく同じ顔立ち・背格好をしていた。

結衣は目の前の光景が信じられないのか、目を見開くばかりだった。だが、少女の形がはっきりと形作られた時、少女の瞼がふるりと震え、うっすらと開いた。それを見た結衣はまるで堰が切れたかのように走り出し、その少女の名を呼んだ。


「――――っ結衣!!」


『結衣』に「結衣」と呼ばれた少女は、今にも泣き出しそうな『結衣』のそんな様子を見て、驚いたような表情を見せたが、すぐにふわりと微笑み、両手を広げる。『結衣』はくしゃりと顔を歪め、触れることのできないはずのそれに飛び込んだ。――――少しずつ、その形を変えながら。

少女は胸元に飛び込んできた、リボン状に結んだ水色のスカーフをつけた黒猫の子猫をしっかりと抱きとめた。抱きとめられた子猫は少女の頬にすり寄り、一鳴きする。少女はその意味が分かったかのか、笑みをより深くし、子猫を抱きしめる腕に力を込める。

少しの間の抱擁のあと、少女は店主を見て、ゆっくりと唇を動かした。


「――――――――ありがとう」


少女が言い終えると同時に砂が全て落ち、少女と子猫の姿は元の光の粒に変わり拡散した。

光の粒は暫くの間消えることなく、少女達のいたその場所に現れた傷だらけの、息絶えた子猫の上に降り注いでいた。




初めましての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。

そらといいます。


話の解説ですが、少女と子猫は事故に巻き込まれ、少女は子猫を守ろうとしたけど、奮闘も虚しく少女らは亡くなってしまう。一緒に成仏するはずが、子猫だけがはぐれてしまい、彷徨っている内にあの頃のような幸せな時間を送りたいと願い、そして行き着いた末が時計屋だった。というのが大まかな設定です。

最初は時計売りと少女のほのぼののつもりが・・・どうしてこうなった。


この時計売りの話の設定は個人的に凄く好きなので、また書く機会があったら書きたいです。


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