むらさきいろ
浮気に悩む友人に我慢できなくなった少女。友情もの。
気配が近付いてこようが、あたしは校舎の壁に背中をおしつけて、じっと俯いたままだった。
「手紙出したのってお前?」
顔をぱっと上げてからこくこくと何度も首を上下に振る。猫かぶり?そんなの知ってる。
――今日の放課後、校舎裏でお待ちしています。
あたしが差し出した手紙の中身だ。この、気だるげな様子すら絵になる美青年に。
彼は鼻を鳴らしてあたしを品定めするように見て、それからちょっとだけ驚いたように目を瞬いた。
「お前、もしかしてアキナの友達じゃね? 俺目当てだったってことか。まあいーや」
分かったのか。ちょっとだけ見直しかけて、直後の言葉と最後の『まあいーや』にやっぱり落胆した。明菜はあんたの恋人だろうが。何でこのシチュエーション、その理解で怒らないんだ。
「あの、貴方にお願いがあって。迷惑なのは分かってますけど、一回だけで良いので」
「ふうん………まあ、あんまり好みじゃねーけど、一回なら良いかもな」
にやっと笑ってあたしに近付いてくる。何か気色悪い自己完結をしているみたいだが、まあミスリードしたのはあたしだし、このこみ上げる鳥肌を堪え、責任を持って科白の続きを言おう。
「一回だけで良いので……殴らせろ!」
充分距離を引きつけていたので、良い感じに握り締めた拳が奴の鳩尾に当たる。ぐふ、と重苦しい息を吐いた奴の股間にローキック一発。一回だけって言ってただろって? 蹴りは殴打に入りません!
「不能になってしまえ下種野郎!」
「で、明菜、見てる?」
ぐったりした奴を余所にあたしが茂みに問い掛けると、不自然に揺れた。鎌を掛けただけだが、やっぱり居たのか。暫く迷うように沈黙していたが、やがて意を決したように、あたしの友人が姿を現した。
「ご、ごめんね、覗くつもりは」
「あったんでしょ」
昼休み、奴は例の手紙をさり気なくアピール、明菜に気にさせていた。ホント、何処まで下種なんだか。
「う……ごめんね」
「いーわよ、別に」
言いながら、明菜を促して歩き出す。奴は当然のように放置だ。まあ恨まれるだろうが、どうせ今日のことは情けなくて言いふらせやしないだろう。
あたしはちょっと考えてから戻り、行きがけの駄賃とばかりにもう一度股間を蹴り飛ばして、今度こそ場所を移動した。
「・・・・・・・あのさ、ほーこ。さっきの、結局何だったの?」
「まあ色々考えたんだけど、結局健気な友達を粗末に扱う浮気男にイラッと来たから殴りにいってみた」
いつもの公園のベンチに並んで腰掛けながらあたしが言うと、明菜は脱力したように苦笑した。
「・・・・・・・・・・わたしの所為で、ごめんね」
「馬鹿ね。言ったでしょ。『あたしが』ムカついたから殴りに行ったのよ。あんたはきっかけだけど、全部じゃないわ。謝らないで頂戴よね」
あの男を好きになった。明菜からそう聞いたのは去年の六月の頃だった。相手は浮き名に事欠かない男だったから当然止めたのだが、彼女は玉砕覚悟で告白した。しかも何を思ったか相手がOKしたのだ。最初は、好きな男の恋人になれたと尽くしまくる明菜に、奴は絆されているように見えたのだ。だからあたしももしかしたらと期待したのだが、二人が付き合って三ヶ月目を過ぎたある夜中、明菜が泣きながら電話してきた。奴が浮気した、と。
『あたしなら浮気されたらもう最後よ。それでもこっちがまだ冷めなかったら、もう一度チャンスをあげるけど、それっきりにするべきだよ』
そうアドバイスしたのだが、明菜は二度目、三度目も、泣きながらも許してしまった。奴の浮気はエスカレートしていく。許すと付け上がるだけよ、とは何度も言ったのだが、それでも好きだからと別れられなかったらしい。けれどつい三日前、あたしは見てしまった。奴が可愛らしい子とそういうホテルに入っていく現場を。五度目の浮気を明菜が許したという、その翌々日のことだった。
さすがに苛立った。こんなにも頻繁に浮気するぐらいなら振るべきなのだ。男らしくきっぱりした姿勢を取れ。明菜にも、浮気相手の子にも迷惑だ。その怒りを元に今日のような凶行に走ったわけだ。赤の他人であるあたしが怒るなんてお門違いだって分かってるけど、我慢できなかった。
「で? あんたはまだまだ許すの?」
「……正直ね、迷い始めてる」
スカートを握り締めながら、明菜は搾り出すように呟いた。どういう心境の変化なの、という意味を込めて先を促す。
「勿論、まだ好きだけど、別れたくないけど…でも、このまま続けてて意味あるのかなって、思っちゃった」
「まーね。少なくとも、一方的にあんたが傷ついている状態は変よ。見るからに対等じゃないものを恋愛とは言えないと、あたしは思うわ」
あたしが応じると、明菜は静かに頷いた。
「だから、ケリをつけなきゃいけないかなって、思い始めた」
「そ」
あたしはわざと素っ気無く、そしてちょっと皮肉っぽく口角を上げた。
「浮気男はキライ。女々しいのも見苦しい。だから正直、此処半年ぐらいのあんたは見てて苛々したんだけど、漸く前向きになったのね、おめでとう」
「………自分でも薄々、ほーこに頼りすぎかなあとは思ってたけど……きっぱり言うね。というか、それなのに何でちゃんと付き合ってくれたの?」
「馬鹿ね。見苦しくったって鬱陶しくたって、友達でしょ。困ってれば何とかしてあげたいし、困らされてれば相手にムカつくのよ」
甘ったるい少女漫画じゃあるまいし、全部が全部大好きなところばっかりの相手なんてこの世に存在するわけがない。大好きなひとにだってちょっとは「嫌だな」って思うところがあるのは当たり前。少しばかり鬱陶しかろうが何だろうが、あたしにとって明菜が友達であることには変わりなく、だから力になりたいって思うのは至極当然だろう。
「…ほーこって男前だよね」
「褒め言葉と受け取っておくわ」
「勿論そうだよ。ほーこはわたしに呆れはしたけど、見捨てないでこうやって付き合ってくれた。ありがと。わたしも、進まなきゃね」
そう、彼女はとっても綺麗な顔で笑って―――それから、俯いた。
「進まなきゃ、だけど……やっぱり、好きだから。痛いよ」
ほたほたり、明菜の膝に局所的な雨が降る。何も言わずに震える肩を、あやすようにそっと叩く。言葉通り痛々しいその姿を見ながら、やっぱり不能にしてやれば良かったあの下種め、と夕空に向かって毒づいた。
世界の主役は、幼馴染。恋人の浮気に耐える健気っ子です。
上記の設定を決めた時点ではもっと湿っぽくなるかなと思っていたのですが、気がついたら語り手が初期構想を全てぶった切って初っ端から大暴れをかましていました。