第一章:5 黒子
翌日。十一月十九日。午前六時半。
高瀬と柴田は穴の中を覗き込んでいた。
郊外の造成地。薄い霜の降りた土の中にあるのは、神田りりかとその父親の殺害の容疑で手配中の井村翔太の遺体だった。
「どういうこった……」
「花を持たせてますね。その辺の雑草ですけど」
そう言って、柴田は細い目を穴の中に向けしゃがみ込んだ。
「双葉組の報復ですかね」
「そんな訳ねえだろ。見てみろ」
井村の手は、近くに山ほど生えているセイタカアワダチソウを持つようにして胸の上で組まれている。
「死の演出やな」
竹山が手袋をはめながら、柴田の隣にしゃがみ込んだ。ふわりとミントの香りがする。竹山がいつも口にしているハッカ飴だ。
「河川敷のお嬢ちゃんと、同じや」
「竹さんもそう思いますか」
高瀬の問いに、竹山は無言でうなずく。
「ホトケさんは首を絞められた跡があるにも関わらず、苦悶の表情のひとつもない。殺害後に整えたんちゃうかな。きれいになるように」
「きれいに──」
竹山の言葉を繰り返す。
高瀬の頭の奥で、ざらりと土を掘る音がした。
──死んでからの方がきれいだな。
耳の奥で小さく聞こえる少年の声。
鼻の奥で広がるのは、土のにおいと血のにおい。
そして、土を掘る手にあるのは──。
「黒子……」
高瀬の中で、あの夜の少年と、洞のような眼をした教師の姿が重なった。
* * *
十一月二十日。十九時。
高瀬は、科捜研で受け取った結果を握りしめていた。
一堂蓮と名刺交換した際、その名刺についた指紋を科捜研で照合してもらっていたのだ。
一堂に会って以来、ひどく仄暗い何かが高瀬を襲い、胸に痞えた石を震わせる。
あの、洞のような目。親指の付け根の黒子。
どこかで会っている。だがどうしても思い出せなかった。
しかし、その答えが目の前にあった。
──雨宮風斗。
一堂蓮が、生まれた時に与えられた名前。
手の中にある書類の「雨宮風斗」の文字が浮き上がり、高瀬の周りを渦巻いた。
雨宮風斗。
風斗。
ふうと。
ふうと、ふうと、ふうと──。
高瀬は息を飲んだ。
思い出した。
二十二年前のあの日、河川敷で猫の死体を埋めていた「ふうと」。
思い出した。
あの後、ふうとが何をしたかを。
高瀬は目を閉じ、重くなる頭を支えた。脳裏に当時の新聞記事が次々と浮かび上がる。
──十歳の小学生。実の父親を殺害。
──付近で起きていた動物殺傷も自供。
──近所では頭の良い礼儀正しい子と評判。
「そうだ……!」
高瀬は書庫へと走った。
この事件により、当時十歳の風斗は児相で指紋を取られた。
二十二年も前の事件だが、指紋とは別に資料として書庫に事件の概要が保管されているはずだ。
「平成、十五年の……。これだ」
想像を絶するほどの資料の山だというのに、なぜかそれは高瀬を引き寄せた。
──雨宮風斗・父親殺害事件。
ファイルの背に、サインペンで書かれたその文字列を目にした瞬間、高瀬の喉が鳴った。
ファイルを抜き、捜査資料を検める。「十歳。未成年のため不起訴」とあり、更に供述書の一節にこうあった。
「お墓を……作って、あげたかった……」
行をなぞった指先が冷えた。その言葉が、二十二年前の夜を呼び覚ます。
あの少年。あの瞳。
ふうと──。
声にならない声が、口の奥で形になる。高瀬は戦慄く唇を押さえた。
あの夜──猫を埋める少年の横顔。
あの猫も風斗が殺したに違いない。
そうとも知らず、何と言っていいか分からず、「えらかったな」と言った、自分の声。
風斗は高瀬の一言を、己の行動を「肯定」するものとして受け取ったのだ。
殺すこと、整えること、祈ること。
それを、深く考えず、自分が正当化してしまった──。
高瀬の視界が白く霞んだ。
胸の奥で痞えていた石が今、名前を得た。
それは──後悔という名だった。
* * *
「高瀬刑事!」
高瀬が書庫から戻ると、森永が対策室に駆け込んで来た。その眉尻は上がり、肩は怒りで震えている。
その訳は直ぐに予想出来た。「科捜研での指紋鑑定依頼」だ。
「この事件の責任者が私だと分かっていながら、なぜ勝手なことを」
「一堂蓮を調べたいと言ったら許可したかよ」
「一堂蓮さんはアリバイが証明されているでしょう! 被疑者ではありません! あなたは冤罪の被害者を作るつもりですか! 警視庁の信用を地に貶めるつもりですか!」
森永の手が机を打つ。室内に冷えた空気が充満した。
「……一堂蓮は二十二年前、小動物を殺傷し、父親も殺している」
「だったらなんです」
「なんです……だと?」
高瀬の咬筋が緊張した。森永の言葉が信じられなかったが、それが警察の見解なのだと思い知った。
「……あなたを、神田りりかの捜査から外します」
そう言い放つと、森永は部屋を出て行った。




