第一章:2 愛される教師
十一月十六日。十四時。
対策室に寄って柴田を拾うと、高瀬は被害者・神田りりかの通う都内の女子高へと向かった。
「うわ~。女の子ばっかりですね」
「そりゃ女子高だからな」
校門をくぐって以降、柴田はきょろきょろと周囲を見渡し落ち着かない。すっかり舞い上がっているようだ。
校舎の正面は、ギリシア建築を模したような柱がいくつも並んでおり、女子高らしいエレガントな雰囲気を醸している。
二人は来客用玄関にある事務所で身分を明かすと、学校特有の匂いの中、校長室へと案内された。
合皮張りの茶色いソファーに座っていると、間もなく校長がやって来た。
「いやいや、大変なことになりました」
そう言うと、禿げあがった頭に浮いた脂をハンカチで押さえる。
「警視庁の高瀬です」
高瀬が身分証を提示すると、横に座っていた柴田もそれに倣った。
「校長の正木です。すみません、今名刺を切らしていて」
「構いません。また改めて頂戴致します」
正木は申し訳ないと頭を下げると「神田さんの件ですね?」と訳知り顔で言った。
高瀬がそれに頷く。すると、校長室の戸がノックされ、一人の男が入ってきた。
「ああ、一堂先生」
入ってきたのは、長身で色白の、洞のような眼をした男。──に見えたのは、高瀬の気のせいだったのか。
瞬きをした次の瞬間には、薄く微笑みを湛えた男に変わっていた。顔も整っており、立っているだけで様になる。
「神田さんの担任をしていました、一堂蓮です」
「警視庁の高瀬です。こっちは──」
「柴田です」
名刺交換を済ませ、全員が腰を下ろすと高瀬がひとつ咳ばらいをした。
「先ずは神田りりかさんについて、どういう生徒だったかお聞かせ願えますか」
「勿論です」
一堂は膝の上で手を組んだ。
長い指──。
指輪をしていないところを見ると、独身か。そんなことを思いながら、高瀬は一堂を観察するが、分かったのは、爽やかで女生徒に人気のある、自分とは正反対のタイプだということだけだった。
「神田さんは、溌溂とした、クラスでも目立つ生徒でした。成績は中の下程ではありましたが、明るい性格もあって、クラスを牽引するようなタイプでしたね」
「なるほど。想像できます」
河川敷で眠っていたりりかは、血の気をすっかり失っていても女王のような華やかさのある娘だった。それで、周りを囲うススキですら天蓋のように見えたのかもしれない。
「何か変わった様子は?」
「いえ、特に見受けられませんでした」
「最後に見たのは?」
柴田がメモを片手に聞く。それに「一昨日の終礼の時が最後です」と答えると、一堂は目を伏せ俯いた。
「信じられません……」
そう言って肩を震わせる一堂を黙って見つめ、高瀬は奇妙な感覚に襲われた。
「一堂さん」
「……はい、すみません」
「いや」
生徒を悼んで教師が泣く事はちっとも悪いとは思わない。高瀬が気になったのは、震えるような小さい貧乏ゆすりと忙しなく動く指。そして親指の付け根の黒子──。
その黒子が、高瀬をとらえて離さない。見覚えがある。しかしどこだったか。
「どこかでお会いしましたか」
「──いえ」
一堂は鼻を軽く啜ると小さく言い、高瀬も「そうですよね」と返しながら奇妙な感覚に首を傾げた。
誤魔化しようのない違和感が背中に張り付く。それを引き剝がすように、高瀬は一堂の目を見つめて言った。
「これは形式的な質問ですが」
そう前置きして、神田りりかの死亡推定時刻と思われる時間帯のアリバイを聞いた。
「……と、言いますと、具体的にいつ頃になりますか」
「少し幅があるんですがね、十一月十四日の、十八時から十九時頃です」
一堂は少し天井を見上げ、「ああ」と声を漏らした。
「その時間でしたら、生徒の相談にのってましたね」
「そんな時間にですか」
高瀬は膝に肘をつき、前のめりになって一堂の眼を覗いた。
「ええ」
「……因みに、その生徒というのは?」
「僕の受け持ちの生徒で、渡瀬真紀さんです」
「確認しても?」
一堂はどうぞと頷き、校長が内線でどこかに連絡すると、間もなく渡瀬真紀を呼び出す校内放送がかかった。
校長室へとやって来た渡瀬真紀は、小柄で、髪を肩で切りそろえた、ごく普通のどこにでもいるような生徒だった。
なぜ呼ばれたのかといった不思議そうな表情で校長室に入ると、高瀬と柴田、そして一堂の顔を見比べている。
そして、高瀬が「十一月十四日の十八時から十九時頃、どこで何をしていたか」聞くと、学校で一堂に相談に乗ってもらったと答えた。
「相談?」
高瀬が聞き返すと真紀は一瞬唇を巻き込んだが、小さく「家庭の事情です」と答えた。
「親と揉めてて……。詳しく言わなきゃいけませんか」
「ああ、いや」
家庭内の揉め事はどこにでもある。高瀬は礼を言うと、念の為連絡先を聞いて退室させた。
一堂のアリバイは証明された。
* * *
校長室を出て玄関に向かう。
ぺたぺたとリノリウムの床を叩く柴田のスリッパの音を聞きながら、高瀬は記憶の引き出しを引っ掻き回した。
一堂──。
一堂蓮──。
しかし、どれだけ引き出しを開け閉めしても、その名の欠片も出てこない。
どこかで会ったと思ったが気のせいだったか。と深い息をついた時だった。
「オジサン!」
背中を力一杯叩かれ、高瀬は思わず背後の柴田を睨みつけた。
「僕じゃないですよ!」
顔色を失い、慌てて手を振る柴田の横で、漆黒のロングヘアを揺らした女子生徒が笑っている。
その姿が、河川敷で眠っていた、神田りりかに重なった──。
手を胸で組ませ、血を花弁に、頭を北枕に──。
殺しより『死を見せる』が先に立っとる──。
竹山の言葉がリフレインし、高瀬の耳に、また土を掘る音が甦った。
それは、いつか遠い夜に聞いた音。
湿った土の臭い──。
漂う血の香り──。
死を整えるのは誰のためか。
「オ、ジ、サン!」
繰り返されるその声に、高瀬の意識が引き戻される。ぼんやりとした高瀬のピントは、目の前の女生徒の顔に合わされた。
「美咲……」
仁王立ちしている少女に、高瀬はがっくりと肩を落とした。
春野美咲──。
数か月前、学生同士のケンカ騒ぎに割って入り、危うく巻き込まれかけたところを高瀬が助けて以来、彼のまわりを野良猫のようにうろつく厄介な存在だ。
「ネットで見たよ。死体が見つかったって。あれ、神田りりかでしょ?」
高瀬は眉を寄せた。
美咲は好奇心と正義感の塊のような少女だ。厄介ごとに首を突っ込んで、危うく死にかけたこともある。
「お前の知り合いか」
「全然。クラス違うし。でもあの子、目立つから」
「だったら妙な関心を持つな」
高瀬は冷たく言い放つと、柴田に「行くぞ」と顎をしゃくる。
美咲は「もう!」と口を尖らせたが、高瀬はそれに構わず玄関へと向かった。
ふと中庭を覗くと、生徒たちに囲まれている一堂の姿が目に入った。
甘えるように一堂の腕にぶら下がる女生徒たち──と、その様子を、窓越しに眺めている渡瀬真紀の姿。
顎を高く上げ、ただじっと一堂たちを睨んでいる。先程、一堂のアリバイを証明した彼女とは別人のようだ。
その真紀の姿に、高瀬はうすら寒いものを感じた。




