9 天井を駆ける足音 - 1
大陸陰暦1020年4月18日
アンケイの街はこれまでの港街とは異なり、内陸で深い森の中にある田園地帯に街があった。
アンケイの街の手前には、膨大な水量を持つ湖があり、これが豊かな田園を支えていた。街の更に奥には、樹々が生い茂り、急な傾斜を持った丘がこぶのように幾つも並ぶ。
アンケイは、雄大な自然と調和した水と緑の街であった。
荘は干地稲という乾燥に強い稲を東南の国から移植した。やがて、その稲が荘の主食として栽培されるようになると、食物生産は安定し国力を飛躍的に高めた。
アンケイの街は、干地稲の田植え前の時季であり、豊作を祈る「実願祭」が盛大に実施され、多くの観光客も集まるなどの賑わいを見せていた。
「美しい自然に囲まれた綺麗な街だわ。それにこの街には物資が溢れているのね。
街と人々に活気があって素敵。さあ、今日は買いまくりますか」
マツリはそう言って気合を入れると、襷の一方の端を咥え、白衣の上からぐるりと腕を回して襷掛けをした。
このところ、ぼーっとしていることが多くなったジンも、晴れやかな顔をして頷いた。
マツリたちは食料や着替えの服、日用品を買い終えると、アンケイの街で宿屋を探した。しかし、「実願祭」と重なり、どこの宿屋にも空き部屋がなかった。
「ジン、もう、これが最後の宿屋です。これで無理なら野宿ですね」
「マツリ姉、誰が悪いわけでもない、時季が悪かっただけ。野宿でも仕方ないよ」
ジンがそう答えた。
マツリが最後の宿屋で宿泊を願い出たが、そこの主人は首を横に振るだけであった。
レイが見かねて再交渉する。
「私たちは子供と女2人の旅です。どうかお部屋をお貸しください」
「そう言われてもねぇ。全室に客がいるんだよ・・・・・・う~ん、この街から離れれば・・・・流石に、あそこはな~」
「心当たりがあるんですか」
「あるには、あるんだが、ここから1時間ほど離れた森の中にある「遠野」という1軒の宿だ。ただそこは訳ありでね~。もう、泊まる客はいないという話だよ」
「・・・・そこで結構です、是非紹介してください」
レイは宿屋の主人に懇願した。
マツリたちは、紹介された「遠野」という宿屋を探し、深い森の中に足を踏み入れていた。既に日も傾き、暗闇が支配する時刻に近づいていた。辺りに薄っすらと白い霧が立ち込めて来る。
「もう、かなり登っている。ジン、寒くない?」
「レイ姉、大丈夫だ。それよりも、この霧で視界が悪くな・・うぁー」
山道の脇の茂みから、大型の鳥がバタバタと羽ばたき、飛んで逃げた。
『ウル、冷えてきたわね。それにしても、この森は薄気味悪いわね・・・・経験からして妖しの類が出て来そう。でも、不思議に、邪悪な気は感じられない』
『・・・ん? まあ、邪気はないな。
ククククッ、ほら、あそこ。灯りが見えるぞ』
マツリたちは、黒い森の中で霧にぼんやりと光る灯を目指した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「・・・・・・ごめんください・・・」
受付でマツリが声を上げるが、返事はない。
「・・・・た、旅の者・・です。・・・今夜、泊めて・・・・・ください・・・」
「マツリ、微かに人の気配がする」
低い声でレイが警戒を呼び掛けた。
「ふぉひひひひ。なんふぃや」
受付卓の陰から皺だらけの老婆が顔を出して答えた。
「・・・泊めて・・・ください」
マツリが話しかけると、みぞおち辺りを抑え、顔を歪めた。それから、深い皺か瞼か見分けのつかぬ隙間から、灰色の眼を覗かせじっと見つめ返し、
「ふぉひひひひ。ふぃふぇばぐぁ、もうしにゃげばない」
と、部屋を指さした。
「マツリ、今、その婆さんが、もう逃げ場はないって言ったよね」
レイは、老婆に鋭い視線を投げつけ、太刀の柄に手をかけていた。
「・・・・レイ姉・・・・・気のせい・・・・」
マツリはレイの手にそっと手を重ねた。
「だが、確かに逃げ場はないと・・・・」
レイは譲らない。
「ああ~、泊まれてよかった~! レイ姉があの宿屋で粘って、ここを聞き出したお陰だ」
ジンは、ぴんと張り詰めた空気の中で、物怖じせず笑顔でレイを見た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宿屋「遠野」の部屋
マツリたちは、今後について話し合っていた。
部屋の灯りは、植物の繊維を灯芯にして、皿の上の油を吸い上げて燃やしているものだけであった。時より炎が風もなく揺らいだ。
仄かな灯りで、ジンを見るマツリの顔のほりが強調される。
「ジン、よく聞いて。私の使命である至高の『塩と酒』を求めて、今後も旅を続けることは変わらない。ジンを守ることも両立する」
「僕はそれでよい。レイ姉も異論はないか」
「勿論」
マツリはジンとの会話はスムーズであった。そこで、ジンに話しかけることによって、レイとの円滑なコミュニケーションを図れることに気づいたのである。
「私たちは、塩と酒を求めて街や村、山奥などを絶えず移動して行く。そこで冒や行、作などの組合の依頼を受けることもあると思う。
もし、追手の気配を感じれば、潜伏場所に身を隠す。これを基本としましょう」
「潜伏場所はどこに?」
ジンがマツリに尋ねた。
「そこが問題。私は異国の者、全く心当たりがない」
「2つなら、私に候補地がある」
レイが即答した。
「・・・・・・さすが・・・・・・レ、レイ姉・・・・」
「レイ姉、頼りになる。
マツリ姉、ところで、候補地はどのような条件が必要なのだ」
「そうね。とりあえず、身を隠せる。人と出会わない。周りを気にせずに大暴れができるの3つかな」
「なるほど、その3つが条件になるのだな」
レイが訝しげにマツリに、追加確認する。
「なあ、マツリの条件には、魔物に襲われ難いがないのだが、それは考慮しなくても良いのか」
「・・・・・・た、多分・・・・気にしなくて・・・・・よい。・・・・け、結界を・・・・創る」
「マツリは、結界を創れるのか。それなら候補がぐんと広がり、すぐにでも場所が浮かんで来る」
「ジン、レイの候補地はどこだろうね」
会話を円滑にするため、マツリは敢えてジンに尋ねた。
レイはマツリの眼をじっと見て、一呼吸ためてから答える。
「ダンジョンよ」
「・・・・・・・・・えっ、・・・・・・ええっ!・・・・」
レイの提案を聞いたウルが、思念会話でマツリに話しかける。
『潜伏場所がダンジョン!
これは盲点だった。発想の転換だ。レイの提案に大賛成だ。
冒険者の多くは、ダンジョン攻略を目指すものだと聞いていた。
つまり、ダンジョンは多くの冒険者で賑わい、人目も多い。だから、潜伏場所にはなり得ないと先入観を持っていた』
『ウル、ダンジョンには、たくさんの冒険者が出入りしているのでしょう。すぐに噂にならない?』
『難易度の高いダンジョンの深部であったのなら、冒険者たちはそう易々と到達できない。
もし、そこに隠し部屋などを発見できれば、これ以上ない絶好隠れ家となる。
食料などは、マツリの秘物庫から出し入れすればよい』
『なるほど、レイ姉の提案は素晴らしいわ。
・・・・・・・・ウル、ちょっと待って、ということは、私たちが難易度の高いダンジョンの深部まで到達する必要があるということになるのでは?』
『ククククッ、当然そうなるな』
『当然って・・・・私たちでそこにいけるのかしら』
『行くしかないだろう。そこが最も安全な潜伏地になるのだからな』
レイが突然立ち上がり、壁に立てかけておいた太刀をじっと見つめた。
「・・・・・・レ、レイ姉・・・・何か?」
「妙だ・・・・私は2本の太刀を置く時には、常に右が「旭」、左が「月光」と決めている。だが、左右の太刀が入れ替わっている・・・・」
「置き間違い? でも、レイ姉は、腰に差す左右の太刀を大事にしているからな~」
「ジン、そうなのよ。太刀は我が命と言えるもの、置き方一つでも拘りがある」
『ウル、私は一瞬だけど、妖しの類と似た気を感じた』
『だが、殺意は感じない』
『そうね。心配ないか』
「ジン、基本方針は確認できたので、今夜はこれで寝ましょう」
マツリは満足げに微笑んだ。
「僕は、少し疲れたぁ~」
ジンは目を擦りながら、欠伸をした。
「・・・・太刀の左右は、置き違えたのかもしれない。
ふーっ、私も疲れが出たのかも」
「レイ姉はずっと気を張っていたからね。ありがとう。今夜はゆっくり寝るとよい」
「ジンもお休み」
「お休み、レイ姉」
皆、逃避行で疲れていたのか、その夜はぐっすりと寝込んだ。
<次回 第10話「天井を駆ける足音 – 2」




