51 極光
ウルの神楽笛から、神秘的な音色が響く。
マツリは右手で神楽鈴を持ち、チリン、チリリンと鳴らしながら天を示す。
その場で円を描きながら、足裏を滑らすように進む。マツリの丈長の和紙で結わかれた長い髪が揺れる。
左手は下に、横にと動かしながら雅に舞う。
厳かな神楽笛の音色と、流麗な神楽舞であった。
マツリは虚ろな瞳で、一心に舞を捧げる。両腕を横に開き、緋袴の中で両膝を僅かに曲げ上下する。右手で神楽鈴をチリン、チリリンと鳴らし舞い続ける。
この間にも、冥界の門から溢れ出す魔族が、洞窟の通路に押し寄せ、魔法陣の上の空に黒雲の如く群がっていた。
ムラクモの繰り出す竜巻で群がる魔族を一掃するものの、冥界の門が全開となった今では、僅か数秒足らずで、我先にとうごめき群がる地獄の亡者のような、魔族の死者の悍ましい塔がそそり立った。
『一掃しても、また湧き出してきりがないぞ。
魔族は、もう数十万を超えている』
ファンドーラは、雷魔法の雷槍を連発しているが、一時しのぎにしかならなかった。
『こちらの魔力にも限界はある。・・・・これは、かなりまずい状況になってきた』
冥界の門が全開となり、瞬く間に噴き出す魔族の数で形勢を逆転していた。
レイがその状況を見て呟く。
「まずいわね。ムラクモ様とファンドーラの殲滅速度よりも、魔族たちの湧き出る速度の方が、明らかに速くなってきた」
「俺は後悔を繰り返したくない。八百万の神の召喚まで、マツリとウルを守る」
ヤクシャはそう言うと、岩を飛び越えてマツリたちの盾となった。
「ジン、このままだと、直に魔族がここにも攻めて来る。ワイバーンを護衛に呼び戻して」
「分かった。レイ姉、僕も覚悟を決める」
ジンは穏便の鞭を振り、3匹のワイバーンに戻るように命じた。
パロン湖の青く澄んだ湖面にさざ波が起こる。今まで鏡のような湖面に映っていた空と山々が、さざ波に消えていく。
「レイ姉、ほら、洞窟の入口の方に向かって湖面が波打っている」
「それだけではないわ。ジン、あそこを見て」
レイは、東の山々の山頂を指さした。
「え、何なんだ。遠くの山頂から、真っ黒な何かが昇って来る。あれは黒雲?」
目を凝らして眺めるヤクシャが呟く。
「・・・・・うう~ん、あの黒い空は、黒雲ではないな。
信じられんが、夜空だ。
・・・・夜が東の地平線から昇って来たのだ!」
「夜が昇って来るだって?
・・・・・確かに、言われてみれば。・・・・星の瞬きも見える」
「間違いないわ。夜が、徐々に昼を覆いつくそうとしている」
昼空を、くっきりとした半円の境界をもつ夜の帳が、昼を覆い隠そうとしていた。
「これは日食か」
ヤクシャがレイに尋ねた。
「違う。日食は太陽が欠ける現象だけど、これは昼そのものが欠け始めている」
マツリは虚ろな瞳で、神楽鈴を鳴らし、神楽舞を踊り続けている。そこに天変地異への驚きや不安、魔族への恐怖などは存在していない。ただ、八百万の神々と交信をしていたのだ。
その時、ムラクモとファンドーラが討ち漏らした魔族の一群が、尋常ならざる気を纏うマツリめがけて飛んで来た。
ヤクシャの棍「砕」が唸る。魔族の頭部を殴りつけると、その先端を支点として、上空へと飛び上がった。
ヤクシャは落下しながら、仄暗い宙を飛行する魔族を、砕で次々に叩き落とした。
ジンの前へ出たレイは、闇に消える真黒の覇で、左から迫る魔族の頭をかち割り、夜叉姫で右の魔族を両断した。
ジンの命を受けたワイバーン3匹は、高高度から降下し、魔族に襲い掛かった。
1匹目は、歯を剥き出し、魔族にかぶりつく。
2匹目は、後ろ足で横腹を掴み引き千切る。
3匹目は、魔族の炎魔法の炎弾を片翼に受け、錐揉み状態で落下して行った。
昼は欠け、夜に覆いつくされた。
「レイ姉、見て。黒と青、赤の夜空になった!」
レイは、向かって来た魔族の一群を殲滅したことを確かめてから、ジンの指さす方へと視線を向けた。
「どうなっているのだ。赤と青に揺れ光る夜空。あそこには、緑色の円い雲も現れた」
緑色の薄い光が輪を作る。そこから仄かに白い光を放つ門が現れた。
門が徐々に開いていく。すると橙色の光が漏れ出してくる。
「レイ、ジン、あれは人か? 門の内側に人影がある」
「ヤクシャ、橙色の逆光で、朧げにしか見えないけれども、あれは恐らく、いえ、間違いなく神」
ヤクシャは両膝を着き、呆然と眺める顔から感涙の雫が滴り落ちていた。
「・・・・・うう、・・・・・うっ、・・・・・あれが、あのお方が・・・・・か、神」
「神域の門が開いた」
マツリは平伏し、神楽鈴とその柄から伸びる五色布を掲げて頭を垂れた。
「八百万の神の神威、カムナホビノカミ、禊の極光」
朧げな人影が持っている水瓶から、掌で水をすくうようにしてそっと撒いた。掌からは緑に輝く夜空の星々のような粒が、夜空に流れる美しい河となって、魔法陣の上へと伸びていく。
それを見上げていたジンが呟く。
「レイ姉、あの緑の粒は星なのかな」
「どうでしょう。でも、清らかで、神聖なものだと感じる」
天を流れる河に、まるで羽衣でも垂れ下げたかのように、柔らかで優しい光の布が靡きながら落ちていく。その羽衣は、生き物のように刻々と形と色を変え、淡い七色の光を纏った極光となった。
「なんて神秘的な天の羽衣だ。
静かに揺れ、天と地の穢れを浄化していくようだ」
ヤクシャは、極光を見ながら、いつしか両手を合わせていた。
空から舞い降りる極光が、ゆらゆらと形を変えながら、魔法陣へと光臨した。
冥界から呼ばれた魔族は、極光に包まれると、体はそのまま透き通るようにして消える。亡者のように群がり塔を作る魔族も、地を這う魔族も、空を覆いつくす魔族も、瞬時にその存在が霞み、消えて行った。
ついには、数十万もの魔族の全てが、現世から音もなく消え去っていった。
「レイ姉、魔族が笑顔で消えていった」
「あれが、笑顔かどうかは別として、安らかな顔をして消えていったように見えたわ」
溢れる涙を拭きもせずに、ヤクシャが2人に呟く。
「・・・・あの光の羽衣は、本来の正しき状態へと戻す力を秘めているのだと思う」
「本来の正しき状態?」
レイはそう言って、ヤクシャの顔を見て尋ねた。
「いくら魔族といえども、死んでもなお冥界から引き戻され、戦いに駆り出されることなど、
本来のあるべき状態ではないだろう。
だから、魔族は死後いるべき場所、死者のあるべき状態に戻れて、安らかに消えたのではないか」
「本来の正しき状態か。
僕は、それだけではなく、あの魔族たちには、穢れのない清らかな心で、新たな居場所を見つけてほしい」
「・・・・・・ジン、私もそう願うわ」
東から昼の空が昇ってきた。夜空は西へと沈んでいった。
マツリは平伏し、無言のまま感謝の祈りを捧げた。
「その存在に善や悪はない。禊を司る者」
冥界の番人ドラーグンは、冥界から呼び戻した魔族たちが消え、城の中で狼狽していた。
「何が起こったのだ! ・・・・儂の冥界からの戦士が消えただと。
冥界の瘴気は無限のはずじゃ。我が魔法陣が敗れるはずなどない・・・・」
ドラーグンの手から、黒い石のついた杖が滑り落ちる。カラン、コロンと杖の転がる音が王の間に響いた。
傍に控える側近の魔族キャジイが、その杖を拾い、ドラーグンの手に握らせて囁く。
「ドラーグン様、冥界からの戦士は、・・・・もうおりません」
キャジイの囁きに、ドラーグンは反応せず、声を張り上げる。
「さあ、亡き魔族の戦士よ。再び冥界から蘇り、我が魔法陣の下へ集え!
今一度、その死者の足音を響かせるのじゃ!」
「・・・・・・・・・・・・どうしたのじゃ。聞こえぬのか。
この儂が、冥界の番人ドラーグンが、命じているのだぞ・・・・」
キャジイが、ドラーグンに追い打ちをかけるように新たな事実を報告する。
「ドラーグン様、結界も消えております。
・・・・・・最早、ここは裸の城となりました」
「キャジイ! 何を言うか。結界が消えるなどあるはずが・・・・・・・な、ない!
結界がない」
ドラーグンは、結界の完全なる消失を感じ取った。
「妙幻石による侵略拠点を喪失。
キャジイ、至急本国へ戻り、この一大事を復命せよ。
そして、キオウマルはまだ冥界におらぬ。必ずや探し出すようお伝えしろ」
「ドラーグン様を置いて行くわけにはいきません」
「儂は死して、魔王ゼクヴァーナ様にご報告する」
!! ドラーグン様・・・・・やはり、あの・・・・」
「はやく行け!」
ドラーグンは、そう言うと四つ這いになり、魔法陣に刺さる冥界の鍵を手探りで探し始めた。
『ムラクモ!
あの死者を冒涜する魔法陣と、冥界の番人ドラーグン、備蓄された妙幻石を祓ってやりなさい!』
マツリは怒気のこもった声で、鉾先鈴の清らかな音を響かせた。
パロン湖の湖畔が、フラッシュのような白く強い光が瞬いた。ジンやレイ、ヤクシャ、マツリたちが、目を腕で覆った。
その直後に、地鳴りと轟音が、マツリたちの足裏をビリビリと震わせた。
すり鉢状の焼野原から、白雲の輪が内側から外側へと回転し、上昇気流で天高く昇っていく。まるで清らかな天使の輪のようであった。
『主、白龍の息吹で、城も魔法陣も、備蓄されていた妙幻石も消滅した』
『ムラクモ、ご苦労様。勿論、ドラーグンもでしょう』
『言葉に挙げる必要もない』
ムラクモは口角を上げ、獰猛な牙を覗かせた。
ヤクシャが空を見上げて呟く。
「・・・・新しい居場所か」
ジンとレイ、ヤクシャは、高い青空に浮かぶ、白い天使の輪を、いつまでも見ていた。
【大陸陰暦1020年7月5日
パロン湖
魔族の妙幻石による侵略拠点は壊滅した。
早晩、拠点を壊滅させた私たちのことが、魔王ゼクヴァーナに伝わるだろう。
私たちは決意した。とことん逃げる。それであっても、民のためなら戦う】
<次回 第52話「亡族の魔女」>
「日出処の巫女の旅日記 邂逅編」、次々回「邂逅編」最終話




