50 冥界の鍵
小さな城の王の間
冥界の番人ドラーグンは、王座の前に立ち、先端に黒い石のついた杖を掲げている。
ドラーグンの足元は、広大で難解な魔法陣の中心に位置し、その魔法陣は王の間の床を越え、その城の敷地を越え、城の周辺に八角形に並ぶ小屋、正確には小屋の中にある真闇の石へと繋がっていた。
巨大な八角形を結び、幾重にも張り巡らされた石垣によって、複雑な呪術紋が描かれていた。
ドラーグンの外套のフードがはだけ、ボサボサの白髪、くすんだ色の肌、光を失った窪んだ眼、まるでミイラのような顔が出ていた。
「神級の化け物であっても、このドラーグンの前では、この程度か。
慌てふためくその姿をこの眼で見られぬ事が、口惜しいわい。
この冥界の鍵によって、冥界の門を僅かに開いたばかりなのに、もう良い勝負となっておる。
はてはて、門が大きく開くのは、まだまだこれからじゃで。」
ドラーグンは、古びていているが、単純な構造で頑丈そうな黒色の鍵を眺めて微笑んだ。
冥界の鍵を足元の邪悪な魔法陣の鍵穴に差し込むと、無造作に回した。
「ふぉふぉふぉふぉふぉっ。冥界の門を更に開いてやったぞ。
・・・・・聞こえるぞ、聞こえるぞ。心地よい死者たちの足音が聞こえて来るぞ!
神といえども、数限りのなく噴き出して来る魔族が相手では、その魔力は枯渇し、やがて、生命力も尽き果てるであろう。
『帥魔将』が1人、冥界の番人ドラーグンは、これで『神殺し』の異名をも得る!」
ドラーグンは歓喜の声を上げた。
レイが思い出したようにマツリに告げる。
「子供たちを救い出した時に見たの。洞窟の奥には城と小屋、低い石垣があって、それが城を中心に巨大で複雑な幾何学模様を作っていた」
「巨大な幾何学模様?」
『マツリ、それは巨大な魔法陣かもしれない。
この邪悪でおどろおどろしい気は、そこが原因かもしれん。
そして、際限なく増え続ける魔族もだ』
ウルは竹笛で、左の掌を叩いた。
「ウル、この魔族の群れの理由には、その魔法陣かもしれないというのね。
ムラクモ、すぐに見てきて」
『承知した』
ムラクモは高度を上げ、洞窟の断崖を越えて行った。
ムラクモは、襲い掛かって来る魔族の大群を、雷の雨で焼き落とし、拠点の見える位置へと進んだ。
ムラクモは上空から、断崖に囲まれたすり鉢状の底にある広大な空間を目視した。
そこには、八角形に並ぶ小屋と石垣で、巨大で複雑な魔法陣が形成されていた。その巨大な魔法陣からは、邪悪でおどろおどろしい気が揺らめきながら噴出し、そこから、今も溢れるように魔族が湧き出している。
どこを見ても、彷徨い、うごめく魔族、魔族、魔族の群れ。
その数は、ついに10万に膨れ上がろうとしていた。
湧き出す魔族たちは、我先にと洞窟の内側から外に抜ける通路を目指して群がり、あるいは、翼を広げて空を黒く染めるほどであった。
ムラクモは、この様子を思念会話でマツリに報告する。
『主、洞窟を抜けたところに広い空間がある。
そこには、小屋と石垣、その中心にある城で、巨大な魔法陣が形成されている。
地面から水が湧き出るように。その魔法陣から魔族たちが小山となり、湧き出ている。
まるで、群がる地獄の亡者だ』
『ムラクモ、その魔法陣から、魔族が溢れ出ているのは間違いないのだな』
『そうだ』
「どこかに潜む魔族が、その魔法陣から、こちらに移動しているの?」
上空から邪悪でおどろおどろしい気を漂わせる魔法陣を見ながら、ムラクモは渋い顔をして言う。
『主、概ね正解の気がするが、事態はもっと深刻かもしれん』
「深刻?」
『死んだはずの魔族、ロスゥエルやグラビンの気をまたもや感じている。
これは死者の国、つまり冥界から魔族を呼び出しているのだ』
「そんなことができるの?」
『ククククッ、それで全ての辻褄が合う。
この魔法陣は、冥界から死んだ魔族を呼んで戦わせ、その魔族が死ねば、またその死んだ魔族を冥界から呼び戻す。こうやって、輪を描く如く無限に循環させているのだ』
「そんな、・・・・・死者を冒涜する悪行。
しかも、際限のない戦いになるわ」
マツリの顔から血の気が引いていった。
『マツリ、鬼族、魔族とはそういうものだろう。
人間の倫理観や感情は適応できない。魔族には魔族の価値観があるのだ』
「・・・・・確かにそう。でも、死者を冒涜する行為は許せない。
ムラクモ、その魔法陣を吹き飛ばして!」
『承知した』
ムラクモは返答するやいなや、その指を動かした。
暗雲からうねる竜巻がその威力を増しながら、すり鉢状の底にある巨大な魔法陣めがけて舞い降りて来た。
空を飛ぶ魔族の群れが竜巻に呑み込まれ、錐揉み状態となって上昇していく。
湖畔にいるマツリたちにも、魔族たちを巻き上げる巨大な竜巻が、断崖越しに見えた。
「・・・・・凄まじい力。ムラクモ様の御業には、恐ろしささえ感じる」
レイの額を汗が伝わり落ちた。
「マツリ姉、魔族が何万匹いようと、これで全滅する」
ジンは肩を小刻みに震わせながら呟いた。
ついに、うねる竜巻が巨大な魔法陣に接すると、断崖にできたすり鉢状の空間を、踊るように右へ左へと動き回る。
ムラクモの指が動くと、竜巻は更にその威力と範囲を高めていく。すり鉢状の底は巨大な竜巻に覆われた。
ムラクモは、冷徹で無慈悲な眼をしたまま微笑んでいた。
やがて、竜巻が収まると、そこには魔族群れは、跡形もなく消えていた。しかし、城を中心とした巨大な魔法陣は、そこに健在であった。
再び、魔法陣から黒い靄が揺れるように噴き出すと、魔族の群れが湧き出してきた。
『主、邪悪で強力な結界が張り巡らされている。その結界で魔法陣は無傷だ。』
マツリは眼を見開いたまま、奥歯を噛みしめ、
「ムラクモ、白龍の息吹!」
と、鉾先鈴をチリリンと鳴らして指示した。
ムラクモは深く息を吸うと、喉元が橙色に輝く。獰猛な牙の並ぶ口から眩い閃光が、眼下の城に直撃した。
衝撃波がすり鉢状の空間を走る。
遅れて、轟音がすり鉢状の空間に反響して、天へと突きあがっていった。
ジンとレイ、ヤクシャは立ち上がり、歓喜の咆哮を上げ、両手の拳を突き上げていた。
すり鉢状の空間は、白い靄で満たされている。やがて、その靄が徐々に晴れていく。
『主、魔法陣は無傷だ。
白龍の息吹でさえ、あそこの結界を破ることはできない』
「何ですって! ・・・・無傷だなんて」
マツリの言葉に、ジンとレイ、ヤクシャは勝利の確信から、失望へと突き落とされた。
「・・・・・あ、あの攻撃でも通じないなんて」
「魔族の帥魔将とは、そんなにも強いのか」
「レイ姉、ヤクシャ、ま、まだ負けたわけではない。そう、まだ戦える」
「ふぉふぉふぉふぉふぉっ。無駄じゃ、無駄じゃ。
冥界の瘴気は無限じゃ。その瘴気を力とする、我が魔法陣の結界を破ることは不可能じゃ。
さあ、冥界より還って来た魔族の戦士どもよ。
我が魔法陣の下へ集え!」
冥界の番人ドラーグンは、魔法陣に差し込んである冥界の鍵を更に回し、冥界の門を全開にした。
「・・・・・う、う」
ジンは胸を押さえて、蹲った。
「ジン、どうしたのしっかりして」
レイはジンの肩を押さえて顔色を見た。
「レイ姉、・・・・・大丈夫だよ」
「胸を見せなさい」
レイはジンの襟を捲り、胸を覗き込んだ。
「ジン、この黒い痣は・・・・」
ジンの胸には三角形が正逆に向き合う、砂時計のような黒い痣があった。
「レイ姉、今は戦闘に集中しよう」
そう言って、ジンは襟を整えた。
レイは、心に言うに言われぬ不安が込み上げてきて、奥歯を食いしばった。
『ククククッ、ムラクモの白龍の息吹でさえ、耐える結界とは信じられんな。
冥界の邪悪な瘴気を吸収し、結界を強化しているのかもしれん』
「厳しい状況ね。・・・・・ウル、でも、これで、冥界の番人ドラーグンの作る魔法陣のだいたいの特徴は分かったわ」
『まあ、そうだな。
魔法陣で、
死んだ魔族を冥界から召喚する。
冥界の瘴気を吸収し、強力な結界を張る、だな』
『ムラクモ、ファンドーラは、そのまま攻撃を続けていて』
『承知した』
『マツリ、了解した。ここは1匹も通さん』
と、通路を守るファンドーラが答えた。
マツリは、真剣な眼つきで頷く。
『ウル、神楽笛よ』
『あいよ。この竹笛の名手、木の精霊ククノチのウル様に任せな』
ウルは神楽笛を握り、マツリの肩の上から舞い上がった。
マツリは神楽鈴を握りしめると、チリリンと鈴がなった。
神楽鈴を拝み捧げるようにして、額の上に掲げる。その柄から伸びる長い五色布をそっと左手に乗せる。
「掛けまくも畏き大神 諸々の禍事 神ながら祓い給え 恐み恐みも白す」
マツリは祓詞を恭しく奏上した。
マツリの脇でウルが神楽笛を奏でる。パロン湖の穏やかな水面に、湖畔の山々や断崖に、雅な音色が染み込んでいく。
時には高く、時には掠れ、長く伸び、戦場で散っていった魔族の魂を沈めるようにさえ感じられた。
<次回 第51話「極光」>




