46 楽園
ファンドーラは濃霧に囲まれ、ニブルの姿を見失っていた。
濃霧に隠れて繰り出される無数の氷の刃がファンドーラを襲い、その体は、傷から流れる血と濃霧の水滴によって、全身が濡れていた。
「ふ~っ、ニブルよ、もうちょっと艶っぽいアタックを俺にくれないかい?」
ファンドーラは、投げキッスをしながら、お道化て見せた。
「わららは、弱い男は嫌いじゃ」
濃霧に浮かぶニブルの朧な輪郭が見えた。
ファンドーラは、ニブルの輪郭めがけ、大鎌ガルジャナを振り下ろすが、ニブルは濃霧に浮かぶ幻影であり、刃は空を切るばかりであった。
大鎌を持つ手を下げ、無防備な姿勢になったファンドーラが、
「銀霧の妖姫と名乗るからには、もう少し艶っぽい攻撃をしてくるかと期待していたが、敵に掠り傷を負わす程度の攻撃のみだとは期待外れだな~。
ニブル、戦いを止め、双方で折り合いをつけないか?」
と、この期に及んでも、場にそぐわぬ言葉を口にした。
「ほほほほっ、愉快じゃ。実に愉快じゃ。もう、泣き言か!
雷と戦の神ファンドーラとやらも、この銀霧の妖姫ニブルの術中に嵌り、成す術がないとはな」
「俺とニブル、相性は最悪だ。このままじゃ、恋仲にもなれやしない」
と、ファンドーラは首を横に振ってから、肩をすぼめた。
「もう、戦いの負けを認めたのかぇ。ほほほほっ」
濃霧による白の世界から、鋭い氷の刃が飛び、ファンドーラの体を切る。
「魔族は狡猾で、残忍だと聞いていたんだが、ニブルの戦いは単調で正直なんだよな~。
俺を切り刻もうとする残忍さはあるけれども、悪賢い狡猾とは違う。
ニブルって、ひょっとしたら小悪魔的で魅力的な魔女?」
ニブルは攻撃の手を弛めず、氷の刃で攻撃を続けながら、
「わらわは、お前などに興味はない。
切り刻まれたお前や人間の亡骸には、興味をそそられるがな。ほほほほっ」
と、けんもほろろであった。
ファンドーラは荒い息を繰り返しながら、大鎌ガルジャナを地に突き刺し、
「人間の亡骸に興味か・・・・・・やはり、分かり合えないものなのか。
いやいや、障害が多いほど恋は燃えるというものだ。
愛で人間を慈しむことはできないか?」
と、両掌を突き出し、その指を小刻みに動かした。
「ほほほほほっ、戯言もそこまでね。
わらわの最強の魔法で止めを刺してあげる。
あの世で、この銀霧の妖姫ニブルを恋焦がれるがよい」
白の世界に、おどろおどろしい魔力が流れ込んできた。
指を小刻みに動かしながら、
「あら、俺の愛のまじないも効かないようだな」
と深い溜息を吐いた。
ファンドーラは恋敗れた青年のように肩を落とし、目を閉じる。
「もう俺との恋の駆け引きに飽きてしまったのか。もう少しだけ、付き合ってほしかったのにな。
人の亡骸に興味があるというのなら、仕方ない。
放電!」
ファンドーラを包む四方の濃霧に電撃が走った。辺り一面に広がった濃霧の極小さな水粒を電気が伝い流れ、高電圧の霧へと変化した。
高電圧の霧の中から、うぎゃぁぁぁと、叫び声が響いた。
ファンドーラはゆっくりと目を開けると、霧は四散し始めていた。薄れゆく霧の中から、朧げな輪郭が徐々に見えてきた。そこには、黒焦げになったニブルが横たわっていた。
「魔法属性は俺が雷、ニブルが水と氷。
2人の相性は最悪だと警告しておいただろう。
・・・・・・ひょっとしたら、人間ともうまく折り合いをつけられるかと期待したのだが、実に残念だ」
ファンドーラは、儚い思いを断ち切るかのように、大鎌ガルジャナを一振りすると、それを背負った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ウルが・・・・・、ウルの心臓が止まっているの」
ムラクモは、北の空に逃げ、小さくなっていく2匹の魔族を横目で見ると、マツリの下に飛んで来た。
『主、ウルがどうしたのだ』
『うぅ・・・・・助けて、ムラクモ、助けて・・・・ウルの胸に・・・・魔族の魔法が当たったの。
心臓を圧迫しているんだけど、・・・・・止まった心臓が動き出さないの』
マツリの頬から、大粒の涙が地面に滴り落ちていた。
ムラクモは、ウルの様子を観察する。
『主、胸の火傷以外には、ウルに目立った外傷はないな』
この間も、マツリは掌の上に横たわるウルの胸を指で圧迫し続けていた。
『主、ウルを仰向けにして、下に置くのだ』
「ウル、戻れ! 戻れ! 戻れ!」
『主、一刻を争う。ウルを地面に置け!』
ムラクモは、音声会話で叫んだ。
ヤクシャは、心臓を圧迫しているマツリの指を優しく掴んだ。
マツリが顔を上げ、ヤクシャの顔を見上げる。ヤクシャはゆっくりと頷くと、マツリの掌から、ウルを大事そうに受け取った。そして、ムラクモの指示通りに寝かせた。
ムラクモは、ウルの胸に長い指を伸ばした。
『・・・・・・・・・・主、ウルの心臓から、微弱だが異常な電流を感じる』
「ムラクモ、ウルは助かるんでしょう」
ムラクモは黙って、マツリの瞳を見て、
『ウルの心臓が痙攣しているということだ。このままでは、極めて危うい』
と、無機質なトーンで言葉を発した。
「そんな・・・・・・、ムラクモ、何とかして。貴方だけが頼りなの」
『主、ヤクシャ、少し離れておれ』
ムラクモはそう言うと、小さなウルの両脇腹を、2本の長い指で摘まんだ。
マツリはヤクシャに肩をそっと掴まれたまま、不安そうにウルを見ている。
バチバチッと、ムラクモの指先からの放電で、青白いスパークが輝き、ウルの胸を貫いた。その一瞬、ウルの肢体が激しく上下した。
「ウル!」
マツリが不安そうな表情をして、名を叫んだ。
ウルからの応答はない。抜け殻のように身動き一つしない。
再び、ムラクモの指先から青白いスパークが走る。ウルの体が上下に動く。
「ウルー! 戻れ! 戻れ! 戻れー!」
マツリの祈りが、切なる叫びとなって森に吸い込まれていく。
「戻れ! 戻れ! 戻れ! 戻れ! 戻れ!」
『・・・・・・ククククッ、マツリ、興奮するな。
大声で叫ぶから耳がキーンとしたぜ』
目を閉じたまま、ウルの唇が動いた。
「・・・・ウルー!!」
マツリは地に伏せるウルを掌ですくい、頬に押し付けた。
『クククク、クルシイ。マツリ、苦しい』
「戻って来れたのね・・・・・ウル、嬉しい、嬉しい。
このままウルが・・・ウルが、死んでしまうかと思ったの」
『ククククッ、辺り一面のお花畑を見たぜ。黄色と赤の花が緑に映え、奇麗だった。
木の精霊ククノチとしては、そこは楽園だったぜ』
「そう簡単に、楽園なんかに行かせやしないわ」
マツリは、涙で濡れた頬を押し付け、ウルに何度も頬ずりした。
『マツリ、心配をかけたな・・・・・、ありがとう。
楽園に行こうとしたら、マツリの俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
それから、戻れ! 戻れ! と、悲痛な叫び声もな。
だから、立ち止まって振り返った』
ムラクモが口から牙を覗かせ、
『ウル、魅力的な楽園に心を惹かれても、主の声は聞こえたのだな』
と言って、ウルの瞳を見た。
『ああ、天然過ぎるマツリを、この場に置いていくわけにはいかないからな。
・・・・・ムラクモ、・・・感謝する』
『主の望みで、我にしかできぬことをしたまでだ』
『ククククッ、今回だけは、ムラクモを俺が讃えてやる。
よくやった』
『フフフフッ、ウルもな』
ウルは親指を立てサムズズアップすると、ムラクモの口から牙が覗いた。
マツリは頬にウルをつけたまま、ムラクモを見た。
『ムラクモ、ありがとう。貴方にしかできない御業だったわ』
ムラクモは、両目を細め、「への字」にした。
思い出したように、突然、マツリは頬からウルを引き離す。
「魔族は全部倒した?」
「2匹が北へ飛んで逃げて行った」
ヤクシャがそう答えた。
「それは大変だわ。魔族に私たちの存在が知られる。場合によっては、ジンの存在に辿り着くかもしれない」
「レイは『逃げる魔族は大丈夫。ジンがいる』と言って、北に走って行った」
「そう、全て作戦通りに事が運んだのね。
ジンたちの到着が遅れたから、どうなったのかと、心配していたのよ。
ところで、ゴビンダの様子を見ているはずのヤクシャが、なぜここに?」
「俺の町、俺の国だ。俺も戦う。おとうからも、戦ってこいと尻を叩かれた」
マツリは、改めてウルに微笑みかけると、驚きの声を上げた。
「あれ、ウルの胸が白と橙色の2色に光っているわ!」
<次回 第47話「拠点急襲」>




