第5章 虚無の穴を埋めるもの 39 エイジャント石窟に棲む化け物
バハードゥラン王国の気候は、暑季・雨季・乾季の3季に分かれていた。
6月から9月までは、降水量が非常に多く、多湿で日照時間短い時季となる。ヒマギリ山脈の南部に位置するヒズン村は、特に降水量の多い地域であった。
今まさに、バハードゥラン王国は、暑季から雨季へと移り変わる時季であった。
フォーティ朝エンプドを第1の目的地としていたマツリたちは、ガンガー川に沿って西へ向かい、ガンガー川に近いこのヒズン村に滞在していたのだった。
ヒズン村は、今日は朝から大粒の雨が降り続いていた。マツリたちは、村長チャンダンの家を訪れていた。
チャンダンに、この西の先の詳しい道を尋ねた。
「ここから馬で西へ西へと向かい、フォーティ朝エンプドを目指すじゃと!
この先の砂漠をなめちゃいけねえよ、巫女様。女子供で砂漠を越えることは、死にに行くようなものだ」
マツリがチャンダンに尋ねる。
「砂漠? 私たちは荘国からこの国に来る途中で、砂漠も越えて来たけれど・・・・」
「砂漠を越えて来た? ここに? ああ、砂漠の一部を掠めるようにして来たのだな。
ガンガー川沿いに西へ行けば、ガンガー川は、やがて水源のヒマギリ山脈へと北へ遡上する。
だが、そのまま西へ行けば、人を拒むバハードゥラン砂漠となり、その先は高原、更にその先は、通れば半数は死ぬと言われているバビル砂漠が待っておる。
エンプドへは、2つの死の砂漠を越えねばならない。悪い事は言わない。巫女様、諦めなされ」
と、きつく警告された。
その話を聞いていた逞しそうな中年女性キアラが、マツリたちに話しかける。
「今、話が聞こえただが、巫女様たちは、フォーティ朝エンプドへ行きてえだか」
「そうなのだけど、砂漠を越えられないだろうと言われて、どうしたものかと」
「おらは、この村さ嫁いで来たが、元居た街は、フォーティ朝エンプドとの交易もしていただ。2ヶ月に1度くらいの間隔で、でっけえ貿易船が行き来していただ」
レイがその話に飛びつく。
「その街は、何という名の街なのだ」
「ゴンベイ、港湾都市ゴンベイと呼ばれているだ」
「このヒズン村からは、どれくらいの距離だ」
「ヒズン村の南西。馬なら4週間弱ってところかな」
ジンが、3人に向かって話しかける。
「ゴンベイ経由で海路を進む。僕は、これが、一番良い方法だと思う」
オームは竪琴をボロローンとならし同意する。
「俺も、ジンに賛成だ。竪琴もそう言っている。
2ヶ月に一度の頻度で、エンプドへの船が出航しているのであれば、陸路を進むよりも圧倒的に旅程を短縮できるはずだ。
しかも、砂漠と違って危険がない」
「それでは、ここから南西にある港湾都市ゴンベイに向かいましょう。
この村では、食料の補給とはいかないので、先ずは、近くの町を目指して出発しましょう」
マツリたちは、ゴンベイ目指すこととした。ゴンベイまでの道は、他と比べ、高原の間を縫って進む、比較的楽なルートであった。
途中で、度々魔物と遭遇したが、旭を持ったレイの敵ではなかった。
また、強力な魔物に対しては、ジンの神器・穏便の鞭が唸りを上げて宙を叩き、殺気に満ちた魔物を使役していった。
ジンは穏便の鞭は、同時に何匹までを使役獣とすることができるのかを確認するため、使役した魔物を帰さず、増やし続けて行った。現在、百匹を優に超える魔物が、同時に使役されていた。
こうなると、使役した魔物を前後左右に配置し、野生の魔物の奇襲に備えられた。また、使役した前衛の魔物が露払いをするため、魔物との戦闘で時間を無駄にすることもなくなっていた。
小雨に打たれながら、山間の道を馬で進んでいると、
『マツリ、誰か来るな』
ウルが思念会話で告げた。
『追手か、山賊の類?』
『よく分らんが、そんな感じではないな』
「ジン、人が来るわ。怖がらせたくない。使役した魔物を遠くにやって」
「分かった。ここから遠く離れさせてから、魔物を使役から解放し、帰還させる」
ジンはそう言って、遥か彼方に見える山の頂を穏便の鞭で指した。
魔物たちは、一目散に森を駆け抜け、山へ向かって行った。
マツリたちが、ヒズン村を出て2週間が経った頃、小高い丘から降りて来る巡礼者の一団を見つけた。足の不自由な老婆や片目を失った爺など、その一団は全てが年寄りで、杖を付いていた。
「はぁ、・・・はぁ・・・・婆さん大丈夫かい。気張れ!」
「もう少しじゃ。・・・足を前に出せ」
「爺さんや、・・・・はぁ、はぁ、儂の手におつかまり」
懸命に労わり合いながら、励ましていた。
「お爺さんたち、そんなに急ぐと危ないですよ」
ジンが声をかけた。
「あの上に化け物がおるのだ。儂らは、命からがら逃げて来たのじゃ。
あ! あんたらもエイジャント石窟群の参拝かい。
悪い事は言わぬ、止めた方がよい。あそこには化け物が棲んでおる」
杖を付いた老人が、その杖で小高い丘の頂上を示しながら言った。
「化け物がいる?」
「そうじゃ。儂らは、このエイジャント石窟群を参拝できれば、聖地100ヵ所巡礼が成し遂げられるのじゃが、この20年間ずっとあそこに化け物がいて、それができないのだ」
マツリがお婆さんに問いかける。
「・・・・りょ・・・領主様や・・・王様は、・・・ぐ、軍隊を派遣・・・しないの?」
ジンとレイ、オームがはっとして、一瞬だけマツリを見た。
年老いた巡礼者が、溜息を吐きながら言う。
「・・・・・それは無理じゃて、このエイジャント石窟群の祀られている神は、今この国の神ではなく、古代のサルダール王朝の神じゃ。バハードゥラン王国は保護などせん」
「貴方らも諦めて戻った方がよい。儂らは死ぬまでに聖地100ヵ所巡礼と、願っておったのじゃが、もう無理かもしれん。爺さんの足もめっきり弱くなって」
マツリは、年老いた女性を気の毒に感じ、
「・・・・・・・・・お、・・・お婆さん。・・・・・・そんな・・・・・・よ、弱気なことを・・・・・・」
と声をかけたが、その先の言葉が出なかった。
オームが竪琴を奏で口ずさむ。
「♪ エイジャントの石窟は 永遠に神の偉業を知らしめる
人の齢は移り行く
祈りを捧げんとするその願いは 嘆きとなりて風に漂う
あぁ、無常 我が志は溜息となりて 山河消える
あぁ、山河よ 願わくば 我らの儚き思い 神々に届け給え ♪」
「オーム、馬鹿なことは言わないで。人の情が分かるなら、他人事ではなく、何とかしようと考えてよ」
マツリはそう言うと、ジンに目をやった。
「ジン、危険だけど、その化け物を退治したいのだけど」
「マツリ姉、僕も同じことを考えていた。レイ姉は?」
「・・・・・・・危険は避けたいので反対だ。だが、止めても、どうせ行くのであろう」
ジンはレイを見つめ頷いた。
オームは既に小高い丘を登り始めていた。
『ウル、この丘の上に化け物の気配はある?』
『・・・・・・気配はないな。ただ、この丘の内部がダンジョンになっている』
『それなら、ここのダンジョンの魔物が増え過ぎて、溢れ出したオーバーフロー? 日出処で言う百鬼夜行?』
『それは違う。百鬼夜行の気配は全くない。むしろ、この丘には魔物が1匹もいない』
『その化け物を、確かめ、退治するしかないわね』
マツリたちは、エイジャント石窟群を目指し小高い丘を登って行った。
丘を登り、息を切らしながらジンが、マツリの気持ちを推し量りながら尋ねる。
「マツリ姉、レイ姉とヒズン村の人たちとは上手く話せたけど、さっきの見知らぬ人たちには、緊張したの?」
「緊張はしなかったけれども、・・・・・言葉が上手く出てこなかったの。
話しながらそんな自分に驚いていたわ」
オームがマツリの肩を叩いて微笑む。そして左右の人差し指を震わせながら、レイに向けて固定した。
「気にするな。レイなど信頼できる相手には、上手くは話せるようになったとだけ考えよう」
レイも優しく微笑んで励ます。
「そうよ。オームの言う通りよ。
全てが一気に上手くいくはずはないわ。前進を喜び、それを自信にしましょう」
「うん、オーム、レイ姉、ありがとう」
「ジンは、そんな敏感なことを尋ねられるとは、もう本当の姉弟だな」
オームがそう口に出すと、
「さすがに聞き辛かったよ。でも、姉弟はそうだね」
と、ジンは上機嫌になって答えた。
丘の頂上近くの断崖をくり抜いた四角い穴がいくつもあった。マツリたちは、用心しながらエイジャント石窟群へと入った。中には松明が灯っていた。
「灯りがあるということは、化け物の正体は魔物ではないな。人か魔族がいるのは間違いない」
レイが訝しがった。
奥へ進むと、松明に照らされたマツリたちの影が、円柱の石柱やその奥の石壁に映り、近くとなり、遠くとなって動き付いて来た。
オームは灯りに照らされる内部を見て、感嘆の声を上げる。
「これは見事な造りだ、何本も並ぶこの赤茶の石柱とその上にある彫刻、実に美しい」
「天井も高く、丸みを帯びている。これが大昔に造られ建物とは信じられない」
ジンが立ち止まって天井を見上げて呟いた。
「正面の石の祭壇は、豪華な装飾いているわ。その周りにある宗教画が素晴らしい」
マツリも思わず息を飲んだ。
円柱の石柱の陰に何かが動いた。
「何者だ」
レイが腰から旭を抜き、鋭い口調で誰何した。
マツリは鉾先鈴を、ジンは穏便の鞭、オームは曲刀を握り構えた。
石柱の陰から化け物がゆっくりと出て来た。
体は人間に似ているが、2m超の筋骨隆々の肢体で赤茶の肌をしていた。口は大きく、短い牙が並び、眼光は鋭く血走っていた。ぼさぼさな頭髪は腰まで伸び、衣服は腰に黄色のサリーを巻いただけで裸足、手には石の棍棒を手にしていた。
よく見ると全身は大小の傷跡だらけであった。
化け物が手にした棍棒で石の床を激しく叩いた。頭に響くような大きな音が、石窟内にこだました。
「出ていけー!」
化け物は人語で、大喝した。
「人の言葉を話すのか」
マツリは驚いて化け物を凝視した。
レイは旭を構えたまま、ジンを庇うように前に進み出た。そして、じりじりと間を詰めるように前進していく。
「レイ姉、ちょっと待って!」
マツリが言葉を発した瞬間、化け物は丸太のような逞しい腕で棍棒を横に一振りした。レイはこれを跳躍で躱す。
レイの握る旭の鋭い刃が化け物の喉元に伸びる。化け物は懐に入り込んできた剣先を、肘でかちあげる。そのまま棍棒の柄の部分でレイの腹を突く。
レイはこれを左掌で受け流し、化け物の腹を両足で蹴り、その反動で蜻蛉を切りながら距離を取った。
オームがレイを見て、呆れて声をかける。
「レイ、聞こえなかったのか。マツリが止めていたぞ」
今度は、化け物の棍棒がオームを薙ぎ払う。オームは身を屈めると、棍棒が頭のすぐ上を通り過ぎていった。
オームが曲刀を下段に構え、そのまま上へと切り上げた。化け物は身軽に後ろへ跳ね、この一撃を躱した。
オームは追うように踏み込み、曲刀で水平に薙ぎ払った。化け物はこれを棍棒で受けた。オームはそのまま体を横に一回転させて、曲刀を化け物の肩口へと浴びせる。
化け物は棍棒で受けようと上にあげるが、オームの曲刀の軌道が鋭角に曲がり、化け物の無防備となった右頬を掠めた。
ツーッと、頬に赤く細い線ができた。
オームが化け物の戦闘力に、驚き唾を呑み込む。
「今の一撃も紙一重で躱すのか。こいつは強い。手加減なんてできやしない」
「オームさん、下がって」
ジンが叫んだ。
その叫び声で、化け物はジンを睨んだ。ピシッと宙に破裂音が響く。ジンが穏便の鞭を鳴らしたのだ。
ジン、レイ、オーム、マツリが、「使役できたのか」と期待を込めて凝視した。
しかし、化け物は、ジンを指さして唸り声にも似た大声で威嚇する。
「グルルルル、出ていけー!」
「だめだ。ジンの穏便の鞭が効かない」
レイがそう言うと、ジンの前に壁として立ちはだかった。
「彼奴には、殺気がないのか、それとも人間なのか?」
オームが小指を立てたまま、人差し指でツンツンと化け物を指さした。
マツリが走り、化け物とオームたちの間に立った。
マツリは両手を広げ制止し、化け物の眼を見て、後方にいるオームたちに語りかける。
「オーム、レイ姉、ジン、戦いを止めて。
これは化け物ではない。魔族の気配もない。人間よ。私たちと同じ人」
「え!」
ジンから驚きの声が聞こえた。
「私も戦ってそんな感じがした。型のある洗練された戦闘術とは違う。戦いの中で会得した百戦錬磨の人間の戦い方だった」
「俺も人間だと思う」
「人の命を殺めてはいけないわ」
「それは分かるが、この状況で、しかも手を抜いたらこちらが殺られるほどの強者だぞ」
オームがマツリに言葉を返した。
「僕らは彼を化け物だと誤解していた。けれども、人と分かれば、争わずに何とかしたい」
「ジンが望むなら、どうにかそうしたいわね」
レイは旭を鞘に納めてそう告げた。
3人の視線がマツリの後ろ姿に集まった。
<次回 第40話「贖罪」>




