35 束の間の休息
ヒズン村
オームは背伸びをして外の空気を胸一杯に吸い込んだ。
「あぁ~、気持ちのよい朝だ~。
おぉ、山の斜面にこの村が作られていたのか~」
オームは借り家の戸口から出て背伸びをした。
「オームさん、耳を澄ませてください」
「ん、何だジン・・・・・・・・・この音は・・・・滝か」
「そうなのですよ。一緒に滝を見に行きましょう」
「俺も久々の外だ。ジン、案内してくれ」
ジンとオームのやり取りを聞き、レイはジンの護衛として、2人と共に村はずれまで出かけて行った。
「雄大な滝だな~。
斜面に生い茂った樹々の間を、豪快に一直線に落ちているな。瀑布だ。
雄大な自然の鼓動と生気を感じる」
オームは感嘆の声を上げた。
「あぁー気持ちよい。この絶え間ない轟音と豪快な水飛沫、滝壺に架かる虹、朝の新鮮な空気。全てが心地よい」
ジンは深く息を吸うと、感動を口にした。
リラックスしたジンの姿に、レイも目を細めて問いかける。
「毎日、ジンはこの滝を見に来る。もう、お気に入りの場所になったのね」
「うん、この雄大な自然を見ていると、自分の不安や悩みなんて、ちっぽけだな~と感じる」
オームがジンの横顔を暫く眺め、
「・・・・・・・なあ、ジン、あの滝壺まで行ってみようよ」
と指さした。
「えーっ、滝壺は深そうだし、服までずぶ濡れになっちゃうよ」
「そうなったら、そのまま泳いじゃえばいい」
オームはそう言って、服を脱いで水飛沫の舞い上がる滝壺を目指して歩いて行った。
「え、あ、ちょっと、オームさん!」
ジンは裸のオームの背に声をかけたが、オームは振り返らずに水の中を歩いて行く。流れる水面は、オームの膝から腿、腰へと上がって行く。
ジンは振り返ってレイの顔を伺うと、レイは首を横に振り、長い息を吐いた。
「・・・・・仕方がないな」
ジンは目を輝かせてそう呟くと、服を脱ぎ棄て、バシャバシャと水飛沫を上げながら走った。
オームはジンが水を蹴り、楽しそうに駆けて来る姿を見ると、悪戯っ子のような目になっていた。
オームは両手を握り、それを水中に沈めた。
「うお、うお、手が、手が・・・・」
と、異変が起こったように騒ぎ出した。
「オームさん、どうしたの?」
ジンは心配になって、オームの両手の近くに顔を近づけて覗き込んだ。
その瞬間にオームの握った手の間から、水が吹き出してジンの顔を直撃した。
「ひや~っ、つ、冷たい」
と高い声を出し、ジンは慌てて顔を手で拭った。
「あはははは」
オームは大笑いした。
「オームさん、何をするのですか!
貴方は大人でしょう。しかも、半神半人。もっと威厳のある行動をしてよ」
ジンの眼が鋭くなり、オームに抗議した。
オームは両手で両耳を摘まむ。そして、両耳を外側に引っ張った。すると、オームの尖らせた口から一直線に水が発射されて、ジンの胸元を直撃した。
まるで鼻から水を噴き出す象のようであった。
「白象パオス!」
オームは、ファンドーラの乗る象の真似をして、一人で大笑いした。
さすがに、これには腹を立てたジンが、両手で水をすくい、オームめがけて豪快にかけた。水がキラキラと輝く飛沫となって、オームの顔や胸にかかる。
「うおぉぉ、冷てー! ジン、やったなー」
ジンはスイッチが入っていた。ジンは奇声を上げ、歯を見せながら、オームの悲鳴にもお構いなしに、両手を素早く何度も動かす。
「ひやぁ~、ジン、ちょっと待った! ちょ、ちょ、水が冷たくて心臓が止まりそうだ」
オームは片手を突き出し、ジンに待つように促した。
ジンの手が止まると、その瞬間、オームがジンめがけ水を飛ばした。満面の笑みのジンの顔に大量の水がかかった。
「うわー! 冷たー! この卑怯者!」
オームの騙し打ちに合い、ジンは肩をブルッと震わせ、思わず非難と歓喜の叫びを上げた。
ジンは掌いっぱいに水をすくい、何度もオームにかける。
「あはははは、それ、そりゃ!」
ジンの容赦ない反撃で、ジンとオームの間に虹が架かった。
「うわー、もう止めてくれ、俺が悪かった、止めてくれ~、ジン!」
2人の水の掛け合いを眺めていたレイは、口を開け、大きな声を出して笑っていた。
レイは「オーム、ありがとう。子供らしい遊びは、今のジンにとってかけがえのないひと時。まだ子供なのに、恐怖や重圧と戦っているジンの心に配慮してくれたのね」と心の中で感謝の言葉を呟いていた。
レイがふと視線を上げると、2人がにやにやとして、岸へと迫って来る。嫌な予感がしたレイは、本能的に後ずさりをした。
キラキラと輝く粒が舞うと、2人とレイとの間にも虹が架かった。
「きやぁぁぁー! 冷たいー! 何てことするのよー! オームは大人なんだから、限度ってものがあるでしょう!」
レイの悲鳴と怒声が滝壺に響いた。
それでも容赦なくレイの全身に水が飛んできた。レイの黒髪から幾筋もの水滴が滴り落ちる。
「もう、いい加減にしなさい!」
オームは手で両耳を摘まみ、耳を外側に引っ張った。オームの尖らせた口から一直線に水が発射された。
「白象パオス!」
厳しく叱るレイの肩に、またもや水がかかった。
「・・・・・・・・オーム! あんたは、口で言っただけでは、分からないようね」
レイは剣の旭を岸に置くと、一跳躍して、2人の脇の水面に足から着水した。大量の水飛沫が、ジンとオームに飛んだ。
「うぁー。冷たい」
ジンとオームが顔の水を手で拭った。
怯む2人に間髪入れず、レイは両手で水飛沫を浴びせる。
「うあぁぁ、レイ姉の攻撃が速すぎて、目を開ける暇もない」
「レイの繰り出す手が速すぎて、手が見えない。ぶほーっ」
レイは格闘の体術を駆使し、手だけではなく足も使い、水攻撃は更に加速する。
「ジン、オーム! そこで立ったまま溺れるがよい!」
「ぐあぁー、レイ姉ごめんなさい。ゴホッ、ゲホッ」
「レイ、洒落にならないぞ。凄まじい殺気を感じるぞ!
ぷへっ、本当に、このまま溺れ死にそうだ」
レイは笑い声を出しはしゃぎ、水を飛ばした。
滝を背景にして、水飛沫が朝日で光る。滝の轟音に混じって、笑い声と悲鳴がこだましていた。
「ちょっと、いったい何をしているの!」
朝食の準備が整い、知らせに来たマツリが、3人に呆れて問い質した。
大はしゃぎしていた3人の手が、ピタリと止まる。
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
3人は肩を落とし、視線を水面に落とす。
首を垂れたまま、ジンとオーム、レイが、互いの視線で合図を送る。そして、悪戯っ子のような目で微笑んだ。
それから、マツリを見つめ、ゆっくりと岸へ歩いて来る。
『ククククッ。マツリ、あの3人から、かなり凶悪な気配が漂うぞ』
ウルがマツリの懐の中から、警戒を促した。
『え、ウル、な、何を言って・・・・・・・』
次の瞬間、マツリは頭から大量の水を浴びた。
「きっやぁぁぁ! つ、冷たい!!」
マツリの悲鳴がこだまし、滝の轟音をも打ち消した。
その悲鳴に怯むことなく、3人は勇敢にも水の攻撃を続けた。水飛沫が舞い、特大の虹がかかった。持てる技を駆使した水攻撃が功を奏し、マツリは力なく片膝を着いた。
「私たちの攻撃が、あの日出処の巫女に効いているわ。もう一息よ」
レイが、ジンとオームに檄を飛ばした。
「よし、勝利は近い!」
「ちょ、ちょっと、何よ、これ! も~!」
マツリはキッと目を見開くと、数歩助走し、渾身の力で岸を蹴った。
マツリの体は宙に浮き、水泳の飛び込みのような姿勢になった。甲高い悲鳴を上げ、両腕をバタバタと回すマツリの体が、着水と同時に水面を2つに割った。
大きな波が、ジンとレイ、オームを呑み込んだ。
「うわー。凄い! やられたわ。流石は日出処の巫女。我が身を犠牲にしての最大奥義とは」
レイが顔を拭いながら、感心した。
「ゲホ、ゲホ、この思いっきりの良さが、起死回生の一撃となるのか」
ジンは咽かえりながら、マツリの豪胆さに感嘆した。
「人間には、予期せぬ反撃を行う。・・・・俺たちの完敗だ」
オームも両手で水を拭いながら、悔しそうに呟いた。
マツリは水面から顔を出し、
「うぅー、冷たーい! 着水に失敗して、体ごと飛び込んじゃったわー」
と微笑んだ。
「あ、ウルが水の中から浮いて来た」
ジンが水面を指さした。
ウルは水面から顔を出すと、そのまま仰向けになって、足を組んで水面を漂う。
『くぅー、マツリの運動能力の低さを侮っていた。散々だな・・・・・・・』
「ウルは、逃げ遅れたのね」
4人は顔を見合わせ、声を出して笑った。4人の笑い声と滝の轟音が、青い空に吸い込まれていった。
ラマンから借りていた小屋の前に戻ると、4人のずぶ濡れの姿を見て、ラマンの祖母であるヴィダ婆さんが目をパチクリさせてから、
「おやおや、雨でも降ったのかい? ほんと若いってのはいいね~」
と優しい笑顔で出迎えた。
【大陸陰暦1020年6月4日
ヒズン村
オームが仲間になって、緊張と僅かな平穏の日々が変わった。
今日は、馬鹿馬鹿しくて、興奮する素敵な一日。
大声で笑った。笑いと水の掛け合いで、息の出来ぬほどであった。
こんなことは、久しぶり・・・・・そう、幼い子供の時以来かもしれない。誰もが飾らず、腹の底から笑った。
一直線に落ち、轟音と水飛沫を上げる瀑布が雄大。ヒズン村で家を貸してくれたラマンさんとヴィダ婆さんも親切だ。ヒズン村は素敵な村だ。】
<次回 第36話「ヒズン村の悲劇 – 1」>




